23


 誰かの船の甲板に、彼女はいる。気儘に踊る海面につられて、右へ左へ揺蕩いながら、しかしそれが誰の船なのか分からないままに、彼女はただ呆然とそこに立っている。空は陰り、どんよりとした灰色の雲が世界を覆う。そのむこうにあるはずの太陽の姿を想像した。ここは、どこなのだろうか。

 やがて、波のざわめく音に混じって、足音が近付いてくる。それに気付いた彼女が振り向いた頃には、もうそれは船内へ続く扉のすぐ反対側まで迫っている。どんどん、と力強く打たれた扉の鳴く声は、ノックというよりはむしろ、"ここを開けろ"という脅迫に近い響きを孕んでいた。

 迫ってくる。近づいてくる。見えない手が伸びてくる。
 捕まる?


「……っ、は、……!」


 喉の奥で反響した叫び声に意識を引かれ、ミラが次に見たのは、ごく普通の木の天井だった。まだわずかに混乱したまま、身体を起こして辺りを見渡せば、白いつなぎに身を包んだクルーたちが雑魚寝している。女である彼女に配慮して隣に寝てくれているベポの寝顔の愛らしさに、彼女は思わず笑った。そしてそのまま、細められた目から二、三の雫を零した。

 ぐす、と鼻を啜る音が、男たちの盛大ないびきの中へと消えていく。そのほんのわずかな異音に、眠りの浅いペンギンだけが、気付いていた。




「やっぱりやめた方がいいと思うんだが、船長」


 時は変わって翌日の昼頃。時計は、正午まであと四十分程度の空白を示す。目覚めの遅い王様へモーニングコーヒー(といえる時間帯ではないのだが)を給仕しに船長室へ立ち入ったペンギンは、仏頂面でカップに口をつけるローを見ながら、そう呟いた。「何の話だ」とローが唸るように問う。王の目覚めはいつだって、頗る機嫌が悪い。


「ミラは今、俺たちと一緒に雑魚寝だ。隣にベポがいるとはいえ、一時期は性奴隷になっていた彼女には、恐怖が大きいように思う」


 ハートの海賊団において、睡眠時に個室が与えられているのは船長であるローだけである。勿論環境にさえこだわらなければ、倉庫でだろうか冷蔵庫の中であろうが寝るのは自由だが、大抵は広い寝室に、全員が詰めて眠っている。女だからという差別もどうかと、とりあえずは同じように雑魚寝していた彼女であるが、ここ数日酷く魘されている。その声を聞いた者が、ペンギン以外にいるのかどうかは、定かではない。


「だったら、倉庫でもなんでも空いてる場所で一人で寝ればいい話だろ。いちいち俺に持ってくるな」

「……まあ、それはそうなんだが」


 とりつく島もないローの容赦ない返答に、ペンギンは密かに肩を落とす。他のクルーと同じく、あまり積極的に関わろうとしないのは彼の性格か。それはミラがローにとって警戒する必要のない仲間になれたという意味でもあり、喜ばしいといえばそうなのだが。


「じゃあ、今晩はとりあえず空いている場所で眠ってもらって、様子を見るか」


 ペンギンの確認にも、ローは反応を寄越さず、静かにコーヒーを味わっている。それが異議なしという意思表明であることを、長年の付き合いである彼はよく分かっている。「失礼する」退出の挨拶を残して部屋を去る時でさえ、王はやはり退屈そうに、窓から見える海の景色を眺めていた。


prev / next



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -