13


 才能というものが世の中には歴然として存在していることを、彼はよく知っていた。結局、この世のすべてのものは才能なのだ。人と話す力も、闘う力も、他人を治療する力も、その基盤は才能である。あとはそれを踏まえてどれほど努力を重ねるかによって、最終的な結果としての力が生まれるのだ。もちろん彼にも才能はあった。医学に関する知識ならどんなに些細なことでもすぐ脳が記憶するし、一ミリの百分の一でもずれれば失敗するような手術だって成功させることができた。そんな彼を昔世間は天才と評した。

 悲しいかな、努力として積み上げられるものの限界値は存在する。そしてそれを超えるには、もとから生まれ持った才能が無ければ始まらない。努力と才能、天才と凡人とはそうして区別されるのだ。凡人の上をいくのが秀才、秀才の上をいくのが天才。ひとは生まれながらにして平等じゃない。

 ならば、天才の上をいく存在は何と呼べばいいのだろう。





 沈黙だった。演奏を終えて鍵盤から手を離し、少し気持ちを抑えてからちらりと彼を窺う。彼は彼女の方を向いていたが、その遠くの何かを見つめているみたいだった。


「あの、ロー、様……?」


 恐る恐るその名を呼ぶと、男は溜息を吐いて、どかりと床に尻をついた。ふわふわの帽子に手を置いて、俯いてしまう。気を、悪くさせたのだろうか。自分の行く末ではなく、客を満足させられなかったかもしれないことへの不安で、内心パニックになる彼女を他所に、ローはもう一度深く息を吐いた。


「疲れた」

「っええ、す、すみません!」

「神経全部そっちに持ってかれた気分だ。……こんなに"聞かせられる"と思わなかった」


 惑うミラだが、とりあえずという様子でピアノの上にあったクロスで鍵盤を一拭きしてから蓋を閉めると、そろそろとローに近寄った。疲れた、という言葉を完全に真に受けていた。それに彼も気付いたのだろう。傍で膝をついた彼女に、続けてこう言う。


「……疲れたのは、俺がお前の実力を舐めてたからだ。初めからちゃんと聞こうとしてりゃこんなに疲れねェよ」


 残念ながらミラにはその言葉がよく分からなかったけれど、一応頷いた。恐怖心はまた戻ってきている。悲しいことに、演奏が終わった途端どうしても気にかかるのが、壁に立て掛けられている彼の刀だ。演奏だけはそれを互いに忘れて音楽に没頭したいし、してほしかった。だから刀を下ろすように頼んだのだ。演奏のとき以外もあの精神力でいられたらいいのにと、彼女はいつも思う。演奏前は死も恐れていなかったというのに。

 ちらちらと刀に目線をやる彼女に気付いたのだろう。ローが喉の奥で笑う。


「それ、寄越せ」


 一言一言をよく言い聞かせるようにわざとゆっくり告げた男に、ミラは諦めたように笑って、刀を手渡した。その重みに密かに驚いていた。しかし、そんな中で彼女の意に反して、刀は抜かれることなく彼の手中に収まったまま。


「あの、」

「なんだ」

「殺さない、んですか?」

「殺してほしいなら殺してやってもいい」


 手の中で二、三度くるくる回しながら、ローは刀を重みを確かめる。どうやら傍に刀が無ければ落ち着かないらしい。ふるふると首を横に振れば、その口元が至極愉しそうに三日月を描く。なるほど死の外科医と呼ばれるに相応しい、あくどい笑顔だ。しかしなぜだろうか、ミラは出会ったときほど、この男を恐怖の対象として見てはいない自分に気付く。それなら決まりだな、そう呟いた彼の言葉の意味も、分からないでもないのだ。


「俺のクルーになれよ、ミラ」



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