美しいという言葉の定義について、わたしはよく考えているが、今に至るまでこれとしっくりときた答えには、辿り着いていない。昔、観劇好きの母が持っていたDVDで、『サロメ』のオペラを観たとき、美しいという言葉の中に、幻妖的な醜悪さと、人を破滅へ導くおぞましさが内包されることを、わたしは学んだ。それから、人が、わたしのことを美しいと口にする度に、自分があの男の生首にキスをするサロメ王女のように喩えられている気がして、何となく、嫌だった。
 人は、わたしは社交的では無いという。ひとつは、わたしが美しいと褒められても、嬉しそうな顔を微かにもしないから。それは、前述したようなきちんとした理由があるからなのだが、嫌悪感を一から言語化するのは難しい。もうひとつは、わたしが幼なじみからべったりと離れず、周りに打ち解けようとしないから。このことは、彼の同僚の桐絵ちゃんから、頻繁に指摘されている。顔を合わす度、三回に一回くらい彼女は言う。
「あんたは早く迅離れしなさいよ」
 本部に配属しているにも関わらず、足繁く玉狛支部へ通うわたしに、桐絵ちゃんは呆れている。呆れながらも、ダイニングテーブルに頂き物のフィナンシェを数枚並べてもてなしてくれるので、彼女はとても優しい。
「残念だけど、迅は夜まで戻らないとか言ってたわよ。確か」
「そっか。じゃあ、桐絵ちゃんとお喋りして帰るね」
「何であたしがあいつのついでなわけ?最初からあたしに会いに来なさいよ」
「でも、桐絵ちゃんに会いたかったのも本当だよ」
 淡々と本当のことを話すと、桐絵ちゃんは満更でもない顔をして、ふんと鼻を鳴らした。それから、ふたりでプレーンとチョコレートのフィナンシェを齧りながら、学校での出来事やボーダーの近況などを話した。格別、生産的なものではなく、ただの井戸端会議のようなものだ。けれど、お互い、この時間の使い方はそこそこ気に入っている。
 日が沈みかけると、彼女は夕食にわたしを誘ってくれたが、夜から防衛任務のシフトがあったので、わたしは基地の寮へと戻った。帰り道に、偶然迅とすれ違わないかなと、少し期待していたが、特に知り合いと会うことはなかった。と言っても、わたしがボーダーの中でまともに会話が出来るのは、迅と桐絵ちゃんと、林藤さんなどの玉狛のメンバーぐらいしかいない。
 お前は、色々な人に狙われやすいから、何かあったらママか、悠一くんに頼りなさい。物心ついたときから、母からそう教育されていた。それは初めてサロメを観たあとか、前かは、覚えていない。ショッピングモールのトイレの入口で、気持ち悪い変態にちょっかいをかけられそうになってから、母の洗脳に近い過保護な教育は始まった。何かと、わたしを、歳の割に大人びた迅とセットにして、身内以外の他人には警戒心を持つように言い聞かせていた。侵攻で母が亡くなったあとも、わたしは彼女の言いつけを真面目に守り続けている。というか、もうそれが体に染み付いた習慣と化していて、今更拭えない。桐絵ちゃんは、早く自立しろと叱るし、わたしも心の内では、このままだとダメかなぁとも思っているのだが、わたしも、そして迅も、改善しようと試みたことはこれまでに無かった。
「お前はおれが守ってあげるからね」
 迅が、サイドエフェクトを発現させたとき、彼はそうわたしに約束をした。何から?と聞くと、全部だよと彼は言った。彼の瞳にはすべての脅威が映されている。余程、読み逃がしたりなどしなければ。
「じゃあ、わたしが迅のこと守ってあげる」
「お前が?えー、できるかなぁ」
 だって、何も無い道でもすぐ躓くし、目玉焼きもよく焦がすし、おれ以外の人間と全然話せないじゃん。からかうように笑う迅に、わたしはムッとした。いつまでわたしを子ども扱い?わたしだって、出来ることだってあるんだから。確かに、目玉焼きは焦がすかもしれないけど、迅に甘く見られているのは癪だ。
 そのあと、半ばヤケになって、迅のあとを追ってボーダーに入隊した。彼は一貫してわたしの入隊に反対して、何度もわたしを説得しようとしたが、最終的には、今まで以上に意固地になっているわたしにどうすることも出来ないと理解して、諦めた。代わりに、今度はわたしへ約束を課してきた。
「約束してくれる?おれの言うことはちゃんと聞いて、ちゃんと言う通りにするって」
 迅の言うことを聞いていて、間違うことはきっと何も無い。わたしも、わたしの母も、そう信じている。なので、わたしは頷いた。彼は、いい子だねと言って、わたしの頭を柔らかく撫でた。結局、迅のわたしに対する子ども扱いは治らない。もしかしたら、陽太郎くんよりも幼く見られているのかもしれない。

 隊には所属していないわたしは、任務のときは、同じく炙り出たものたちをかき集めた即席の部隊で行く。一回の任務に、複数の部隊が組まされるが、そのときのゲートの出現場所によっては、他の部隊ともまったく顔を合わせないこともある。
 今夜は、少し違っていた。ゲートの出現場所が局所的に集中して現れたので、出動している部隊がまとまって対処することとなった。視覚に転送された情報によると、半径三キロの範囲内に、七つの門が出現していた。
 いちばん近い、南西のゲートに向かうべく、建物の屋根伝いに移動していたときだった。ひとつのトリオン反応が消え、また息もつかないうちに、別のトリオン反応が消えた。呆気なく無くなっていくレーダー反応に、A級部隊が先駆けで到着したのかなと考えた。確か、今日は太刀川隊がいた。
 ふと、討伐の様子が気になって、その場でイーグレットを構え、ゲートの方角に向けてスコープを覗いた。思った通り、太刀川隊の黒いロングコートの隊服が見える。太刀川さんが、孤月を振るい、バムスターの首を切断している。まっすぐに、迷いなく、完全に。
 美しい。
 何故か、漠然と、わたしの頭の中に、その言葉が浮かんだ。
『── そっちはもう終わったみたいだから、北に向かってくれる?』
 オペレーターの子の指示が、耳元に飛んでくる。反射的に、了解と伝えるが、意識は別のことでいっぱいだった。

 お前はおれが守ってあげるね。
 わたしは、その時の迅の顔がとても美しいと思った。孤独で、独善的で、気高くて、厳かな美しさを感じた。わたしが、彼のそばを離れないのは、母の教育のせいもあるが、実は、彼がわたしに見せる美しさに惹かれているからでもある。
 太刀川さんの戦闘を見たことは、過去にもあったはずだけど、そのときはどうして何も思わなかったのか分からない。彼の戦闘ログを確認したこともないし、玉狛で桐絵ちゃんが模擬戦に付き合ってくれるので、B級に上がってから個人ランク戦のブースへも行かなくなったから、まともに戦闘を見たことがなかったのかもしれない。それはそれで、隊員としてどうなのかと思うけど。
 翌日、個人ランク戦を覗きに赴いた。彼はよくこの場所にいると聞いている。もう一度、見てみたい。
「珍しいね」
 宛もなく太刀川さんの姿を、探している最中だった。突然、背後から迅に肩を叩かれる。わたしも珍しいけど、彼だって珍しい。
「どうしたの?誰かと一戦でもするつもり?」
「ううん。人を探してるだけ」
「人?」
「太刀川さん、居ないかなって思って」
「太刀川さん?」
 迅は、瞳を瞬かせたあと、ふうんと何かを考えるような顔をした。数秒、何も言わずにわたしの顔を見つめているので、彼はわたしの未来を見ているか、わたしの思考を読もうとしているか、もしくは両方なのだろうなと思った。
「太刀川さんは、今日はここに来ないみたいだよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
「そうなんだ」
「ちなみに戦闘ログも他の人が見てるから見れないみたいだね」
「無駄足かあ」
 だったら、また別の日に来ればいいか。迅のお告げを信用して、さっさと立ち去ろう。
「……ねえ」
 迅は呟いた。わたしに向けられている言葉のはずだけど、彼の声は会場の喧騒に跳ね返るくらいに小さく低いものだったので、呟くと表現することが正しいと思った。
「なに?」
「しばらくこの場所に来ないでくれると有難いんだけど」
「何で?」
「うーん。理由は言えないんだ」
 迅は今までもわたしに指図をすることがあった。彼の予知は宛になるし、わたしのためを思って言ってくれていると理解しているから、わたしがその指示に抗おうと考えたことは一度も無い。なので、これもまた、わたしが断る理由も無い。太刀川さんの戦闘をすぐに見られないのは、惜しいけど。
「……助かるよ」
 わたしが素直に頷くと、迅はほっと安堵した表情を浮かべた。まるで、彼自身が助かったような言い方だった。

 わたしが玉狛までわざわざ通うのは、定期的に迅がわたしの未来を確認したいからだ。これもまた迅と交わした約束だった。桐絵ちゃんはわたしに迅離れしろと言ったが、実際は、迅がわたし離れ出来ていないんじゃないか?と思ったりする。
 玉狛に行くときは、ちゃんと迅にアポイントを取ることはあまり無く、迅が居なかったら居なかったで、桐絵ちゃんとお喋りしたり、陽太郎くんと遊んだりしている。なので、特に迅自身の予定を気にしたことは無かった。
「おれ、しばらく任務で忙しくなるからさ。ナマエに会えるのもちょっと先になりそうなんだ」
 迅は、常に忙しそうだし、わたしの知らないところで日頃暗躍しているので、その言葉に引っかかるところは無かった。そうなんだと、相槌を打つ。
「約束してほしい」
 迅は、諭すようにわたしを見つめていた。彼の翠色の瞳が、まっすぐにわたしを捉えている。
「本部では、なるべく出歩かないで欲しいし、ランク戦会場にも行かないで。おれが居なくても玉狛に通ってていいし、何なら小南に訓練でも見てもらったらいい」
「でも、わたし寮にいるし、合同訓練もあるし、本部のどこにも行かないのは無理だよ」
「出来る限りでいいから」
 迅はそれっきり、何も話さなかった。わたしは躊躇いながらも、分かったと呟いた。彼の温かい手がわたしの髪を撫でるのを、静かに受け止めた。
 迅とその約束をしたのは、一昨日のことだ。約束してから二日と経っていないため、当然わたしは迅の言いつけはしっかりと覚えていた。
 約束を反故にしてしまったのは、不測の事態が起こったからだ。基地の中で、自分のケータイをどこかに置き忘れてしまった。鞄の中にも、自分の部屋の中にも見当たらない。他にあるとして思い当たるのは、夕食を取った食堂か、自分の部屋まで繋がる通路のどこかか……。よりにもよって迅が居ないタイミングで、ツイてない。
 食堂で、自分が食事をしていた席に戻り、机や椅子の下を見回したが、何も落ちていなかった。しゃがんだり、回り込んだりして、数分間わたしは席の周りを捜索していた。
「何してるんだ?」
 思わず、肩が跳ねた。びっくりして、声の先を振り返ると、私服姿の太刀川さんの姿があった。
「太刀川、さん……」
「今日は迅と一緒にいないんだな」
「……迅は、最近忙しいので」
 太刀川さんは、ふうんと納得していた。太刀川さんと直接会話をするのは初めてだ。焦りに似た緊張が身を包み、この場で縮み上がりそうになる。
「何してるんだ?」
 太刀川さんは先の質問を繰り返した。
「あの、ケータイをどこかに置き忘れちゃったみたいで、探してるんです」
「へえ。そうか。鳴らしてみるか?」
「え?」
「俺のケータイから電話かけてみれば?」
 太刀川さんは、自分のハーフパンツのポケットから、ケータイを取り出して、ひらひらと顔のそばでかざした。それは、とても有難い。ケータイが鳴れば、この場で聞こえなくても、通りかがりの誰かに気づいてもらえる。
 わたしは、太刀川さんに感謝をしながら、自分の番号を伝えた。彼が発信ボタンを押す。すると、席のソファのクッションと背もたれの隙間から、着信のメロディが流れてきた。
「良かったな見つかって」
 無事に、ケータイを見つけることが出来たわたしは、太刀川さんにお礼を伝えた。こんなことで手を煩わせてしまって、流石に恥ずかしい。太刀川さんの顔が直視出来ない。
「なあ、この番号消さなくていいよな?」
「え?」
 太刀川さんは、ケータイを眺めながらそうわたしに問いかけた。問いかけた、というよりは、断定的な口調だったから、呟いたと表現する方が正しいかもしれない。
「お前も俺の番号ちゃんと登録しておけよ」
 彼は不敵にその口元を歪めた。魔法をかけられたように、わたしは彼の顔から目が離せなかった。
 きっかけは、アクシデントであれ、その後も迅との約束を破ることになる。わたしは太刀川さんに、太刀川さんが戦闘しているところを見たいと言ってしまった。彼は、面白そうに笑ったあと、いつでも見に来ればいいだろと言った。その通り。彼はいつでもあの場所にいる。
 迅との約束を破って、太刀川さんがいるブースを覗きに行くのは、遅めの反抗期が訪れたようで、若干の背徳的な愉しさがあった。禁じられた古井戸を覗き込む気分だった。
 太刀川さんは、やっぱり、美しかった。
「お、見蕩れたか?」
 ブースから出てきた彼は、愉快そうにそう言った。わたしは咄嗟に否定も出来なくて、素直に小さく頷いた。
「いいな。迅が居ないからか?」
「え?」
「迅が居ない方がお前は可愛いよ」
 太刀川さんはそう言って、わたしの頭を撫でた。けれど、その撫で方は迅とは違った。彼は髪を掬い上げるように指を沈めて、ゆっくりと頭の形を確かめるように、その大きな手のひらで触れていた。男らしい、ありありと伝わる異性からの接触に、顔に血が集まっていく。心做しか、周りからの視線も刺さっているようで、羞恥に耐えられない。
「あ、あの、太刀川さん」
「腹減ったな。昼飯食べ行くか」
「えっ、あ」
 太刀川さんは、自然にわたしの肩に腕を回し、体を寄せた。迅とだって、こんなに近くにいたことは無い。ゆるやかに甘いジュニパーベリーのような香りが、わたしの鼻先をくすぐった。
 その夜、唐突に桐絵ちゃんからメールが届いた。『あんた太刀川と付き合ってんの!?』ケータイが手から滑り落ちた。

「何で隊に入らないんだ?」
 太刀川さんは、よく、わたしを構うようになった。本部に寝泊まりして生活しているわたしと、本部に長く滞在する彼は、もともと顔を合わす機会も多い。今までまったく会話をしなかったのは異常だったのだ。
 太刀川さんの質問に、何でだろうと、考え込んだ。理由がパッと思い浮かばない。以前に、いくつか部隊から勧誘はもらったことがあるのだが、すべて断っていた。母から、他人を警戒しろと教育されているが、そもそも、母はすでに亡くなっている。それと、わたしが隊に入らないことはあまり結びつかないような気がした。
 だとしたら、迅だろうか。
「昔、迅に、わたしはどこかに所属するのは向いていないって言われて」
「ああ、やっぱりあいつか」
 太刀川さんは、表情を変えずに呟いた。自分の顎をさすりながら、どこか遠くを眺めている。迅が責め立てられているような気がして、わたしは咄嗟に庇った。
「でも、わたしも、誰かと話すの得意じゃないし、打ち解けられるのも遅いので……チームより、個人の方が向いているんだと思います」
「そうか?俺とは普通に喋れてるだろ。迅とお前がそう思い込んでるだけじゃないのか?」
 太刀川さんの言葉に何も返せなかった。だって、今まで迅が正しいと信じて、彼の言うことを実直に聞いていたんだ。自分が使っていたコンパスが実は壊れてたなんて、今更言われても、為す術がない。
「なあ」
 太刀川さんは、わたしの名前を囁いた。それから、俯いたわたしの顎先を捕まえて、上へ持ち上げる。ラウンジにいる他の隊員からの視線が、気になってしまう。
「ほら、俺の顔ちゃんと見ろ?」
「太刀川さん、誤解されます」
「誤解?」
「わたしたち、付き合ってるって、噂流れてる
みたいで……」
「へえ」
 意外だ、というよりは、面白いというような声音だった。何故そんなに平然としているのか、太刀川さんのことが理解出来ない。
「それってこの先のことに何か関係あるのか?」
 太刀川さんは、顎先に添えた人差し指を滑らせ、わたしのリップラインを撫でた。何度も往復するように、唇の合間を、固い指の腹がゆっくりと動いていた。彼が今どんな顔をしているのか、確認することが出来ず、ひたすらにテーブルのクリーム色の表面を見つめていた。ラウンジ内の雑音をもみ消すように、自分の鼓動の音が激しくなっていく。
「た、太刀川さん」
「噂はどうだっていいだろ。流しておけば、俺もやりやすいし」
「え?」
「それとも、あいつがどう思うか気になるのか?」
 太刀川さんは、淡々とわたしに問いかけているのに、わたしは断崖の上に身一つで立たされているような気分だった。彼の言葉がまじないのように、頭の中で反芻する。急激に口の中が干からびていく。
「お前は、俺より迅が先に出会っただけで、迅のことが気になってるだけだろ」
 俺を見ろと、彼は唱える。息が詰まった。わたしは怖いんだ。彼の顔を見てしまったら、きっと、わたしは彼が欲しくなってしまう。
 すると、滑らせられていた指先で顔が捕まれ、彼の顔がわたしに影を落とした。熟した果物に食らいつくように、唇を押し付けられる。わたしは、ラウンジの一角で、太刀川さんにキスをされていた。わたしの唇を割る彼の舌先は、とても赤かった。

 迅は、任務が終わったんだと言って、わたしを玉狛まで呼び出した。平日の昼時だった。わたしはその日、授業が空きコマで予定は無かった。基地の中は、みんな学校へ行ったり、本部に行ったり、雷神丸の散歩に出かけたりして、わたしと迅しかいなかった。無人であるにも関わらず、彼はわざわざ自分の部屋にわたしを招いた。ぼんち揚げの積み重なったダンボールの山が、砦のようにそびえていて、部屋の中が少し埃っぽく感じた。
「任務はどうだった?」
「問題ないよ」
「……」
 わたしと迅はベットの上に腰掛け、並んで座っていた。どことなく口数が少ない彼に、ざわざわと胸の中がさざなみだつ。わたしと太刀川さんの噂は、恐らく彼の耳にも届いているはずだった。
「おれに何か言うことがあるよね?」
 迅は、ゆっくりとわたしに促した。首の裏にアイロンを当てられたように、痛みのある熱が広がっていく。迅が、怖い。ただならぬ雰囲気の彼に、下手なことは何も言えない。
「ごめんなさい、迅との約束、破っちゃって」
「それで?」
「え?」
「付き合うんでしょ、太刀川さんと」
 彼は、「付き合ってる」では無く、「付き合う」と言った。きっと、わたしと太刀川さんが付き合っている未来を見たのだ。
「……何で余計なことするのかな。おれが今まで頑張ってきたものが全部パーだよ」
「……何の話をしてるの?」
「おれはね、怒ってるんだよ。怒っているし、呆れているし、絶望している」
 迅は深く息を吐いた。彼の言葉の意味が、よく分からない。
「なんで迅が怒るの?わたしが誰と一緒にいようと、迅が口出す義理はないじゃん」
「彼氏が欲しいならおれがなるよ。キスなり、デートなり、やりたいことがあるならおれに言えばいいだろ」
「どうして、迅が」
「お前はずっとさ、おれのこと異性として意識しなかったよね。でもおれはお前の母親になるつもりも、都合のいい男に成り下がる気もないんだよ」
 迅はわたしの肩を掴んだ。指の痕が残りそうなくらいの強さで。カーテンが閉ざす仄暗い部屋の中で、迅は虚ろに瞳を揺らしていた。彼の美しさの中に、壊れるくらいの激情が潜んでいることを、わたしは知った。
「あのショッピングモールの変態みたいに、早く
お前を襲えばよかったのかな。そうしたらおれのこと意識してくれた?」
 迅の右手がわたしの首へと這い寄る。
「太刀川さんなんて、どうせお前の見てくれしか見てないんだよ。おれはお前がどんなやつなのかこの世界でいちばん知ってるし、どんなお前でも愛せるよ」
 彼の手のひらが、ゆっくりとわたしの首の薄い皮膚を舐め上げた。声帯の形を記憶するように、親指の腹が体の内側へ押し込まれていく。触れられた場所は熱が吸い取られていき、冷たい針のような痛みが刺した。目に見えないつなぎ目を探すように、迅は、わたしの首元を粛然と見つめていた。わたしは、固まったまま、呼吸でさえも覚束無い。
「ねえ」
 迅の問いかけに、わたしは何も答えることが出来ない。

 銀の器に……ヨカナーンの首を!
 どこかで、サロメが歌う声がする。

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