どろりとした粉とき汁に包まれた千切りキャベツ、豚バラ、チーズ、たこ。ジュウジュウと音を鳴らす鉄板にゆっくりと注げば、たちまち熱気を纏った煙が目前に立ちこめた。細切れになった具材がアツアツの鉄板の上で従順に焼かれていく。立ち込める湯気の上から金べらで平らにしていくと、水分を失った具材がしんなりと縮んで焦げ目がついてくる。
 諏訪は、その切れ長の細い目をさらに細めて机上を睨んでいた。目の前の鉄板から放たれた湯気が目に染みるのか、もう四枚目となる粉のかたまりにうんざりとし始めたのか、無愛想な表情からは読み取れない。先ほど、わたしが三枚目の豚玉を平らげて、サイドメニューのとんぺい焼きを追加注文した折に「よく食べますね」と感心ともドン引きとも取れる言葉を呟いたきり、彼は借りてきた猫のように居座っている。(たしかに、その三白眼の目つきはコンビニ裏の野良猫みたいだ。)
 どうして自分がこの場に付き合わされているのだろう。諏訪はきっと自問を続けているはずだ。この会計が全額わたし持ちである前提を抜いても、職場の先輩という立場を使って彼を振り回していることは認めざるを得ない。しかし認めたところで、休日で仕事もない諏訪が暇にしている事実は変わらないんだし、突発的な催しに暇そうな人間がターゲットにされるのはなるべくしてなった予定調和だ。と、開き直る自分がいる。
 四枚目が焼きあがった。一応、諏訪に取り分けるかと尋ねるも彼は首を横に振った。
「……よく食べますね」
 お好み焼きソースの上に軽快に青のりと鰹節をまぶしていくわたしに、諏訪はぽつりと呟いた。そのセリフはさっきも聞いた。
「よく食べる女子はかわいいって言うでしょ」
「女子って年齢でももうないだろ、あんたは」
 そう吐き捨てた諏訪はぬるくなりかけた小麦色の生中に口をつけた。多少の後輩の無礼は、アルコールの影響とこの場に付き合ってくれるお礼として、目を瞑る。
「ねえ、歳ってそんなに大事?」
「なんスか急に」
「いっつも疑問なんだよね。そりゃ亀の甲より年の功って言うし、ひとの年齢が一般社会でひとを測るものさしになってるのはわかるけどさ」ろくに冷まさずに口のなかに放ったお好み焼きに、舌先がピリピリと痺れた。熱を誤魔化すように舌を転がしながら、息を整えて言葉を続ける。「わたしみたいに思春期からなにも成長していない無責任な成人もいるわけじゃん?年齢ってただの記号でなにも保証してくれないよ」
 こと三門市においてはそれを強く感じる。子どもに惑星規模の侵略戦争の前線を任せているくらいだ。ボーダーに年齢基準なんて存在しない。
「そうっすかね。まあ俺は酒とタバコが許されるトシならなんでもいいっすけど」
 そう言って諏訪は厨房の奥に声をかけた。酒の戯言として受け流す目の前の男にムッとしたが、自分もちょうど呼びたかったので大人しく閉口する。ほどなくして、仏頂面で地味なエプロンを身にまとったカゲが現れた。
「生ビール追加で」
「わたしも」
「あんたは飲みすぎだろ」カゲは反射的にわたしを見た。その珍しく諌めるような声にびっくりしつつ、酔っぱらいは咄嗟に抗議をする。
「車の運転はないから平気だよ。こんなに飲み食べするのも今日くらいだし。七、八杯くらい多めに見てよ」
「うちは居酒屋じゃねえよ」
「なによ。そこにお酒があるからひとはお酒を飲むんでしょ。嫌だったらメニューから生ビールを外しなさい」
「あのー、年下に当たんないでもらえますか」諏訪は呆れた仕草で場をなあなあにした。この男はわたしと同時に店の暖簾をくぐったというのに、つい先ほど席に着いたような温度感をしている。
 結局、カゲは生ビールと温かい湯のみをひとつずつ盆に乗せて持ってきた。当然のようにビールは諏訪の手元へ、湯のみはわたしの目の前に置かれる。
「まだ飲み足りないのに……」
 幼児のような駄々を独りごちるわたしを、正面の男は鼻で笑った。
「はやく帰って話し合った方がいいと思いますよ」
「なにを?だれに?」
「知らんけど。東さんが原因でこんなことしてるんじゃないんですか?」
 ぴしゃりと頭から冷水をかけられたように酔いが覚めていく。わたしが不自然に硬直する様子を諏訪は認めて、テーブルの端に盛られていた枝豆をおもむろにつまんだ。
「なにがあったかは知らないですけど、こっちは急な誘いが来た時点で東さん関連だと思ってましたよ」
「東くん関連だとわかってて来てくれたんだ」
「大方、あんたが東さんとのことで現実逃避したいだけかなって思ったんで」
 見事な的中に、なにも返す言葉がなかった。無心に枝豆を処理していくこの金髪男は占い師の類なのだろうかとも疑うが、単純に、わたしがわかりやすいだけなのだろう。そこら辺にいる思春期の女学生よりも、かなり。
 東くんとわたしが付き合ってることは、ボーダー関係者のなかで一定の認知をされている。しかし、認知のされ方はさまざまだ。組織内でも年長で、慕う弟子の多い東くんと、見た目も中身も幼いわたしの組み合わせは、傍から見ればカップルというより保護者と被保護者である。諏訪のように、どうせわたしが逃げ出したんだろうと、家出した子どもを受け入れる託児所のように接してくるのも、理解はできる。
「話すっていったって……どうすれば……」
 手のひらのなかの湯のみに視線を落とす。真っ白な表面に草書のようなフォントで「一日一善」と書かれている。今日だけで十悪くらい犯しているわたしにとってはげんなりする至言だった。
「わたし逃げてきたのに……」
「なにから?喧嘩ですか?」
「いや、プロポーズから」
「プロっ………」
 途端に、諏訪が枝豆を喉を詰まらせた。口にしていたのがビールでなくてよかったと安堵すべきだろうか。二、三秒して落ち着いた諏訪が、愕然とした表情でこちらを見た。
「いやいや……えっ?なんでここにいるんですか」
「だから、逃げてきたの」
「了解。今すぐ帰りましょう」
「やだよ!無理やり帰さないでお願い」
「おーい、お愛想してくれ」
 ふたたび厨房の奥へ声をかける諏訪の腕を必死にがしりと掴んだ。諏訪は眉を寄せてあからさまに嫌そうな顔をする。
「本当に心の準備が……」
「いや、そんなの今さらだろ。何年付き合ってるんですかあんたたち」
「だって、今までそんな予兆もなかったんだよ」
「そろそろ結婚するなとか考えたことなかったんですか?」諏訪は、未知の生き物に対峙するときのような顔でわたしを見た。「お互い適齢期なのに」
 そんなこと言ったって、わたしの精神はからだに毛が生え始めた第二次性徴期から変わってないんだ。とは、さすがに大人気なさすぎて口が裂けても言えなかった。休日の昼間から後輩の実家が営むお好み焼き屋で、後輩を連れ回して暴飲暴食のかぎりを尽くしている時点で、歳相応の振る舞いなんて微塵もできていないのだが。
 歳相応の振る舞いを求めるなら、おそらく初動から間違っていた。きちんとあの人の話を聞いて、あの人の気持ちから逃げてはいけなかったのだ。最低の、恥ずかしい人間だ。都合のいいときだけ子どものように逃げ回って、大人という身分を笠に着て昼酒を食らって……。
「……うぅ」
「おわっ、いきなり泣きはじめた!?」
「すわぁどうしよう……わたし、にげてきた……」
「あー、ハイハイ。大丈夫ですから」
「わたし、心のどこかで結婚するかもと思ってたけど、でも、いざ目の前にするとなんか急にこわくなって」
「あー……」
「東くんから『結婚しようか』って言われたら目の前がなぜか真っ暗になっちゃって、とりあえず逃げなきゃって思って……結婚するなら東くん以外考えられないのに」
「………」
「どうしよう、東くんに嫌われちゃったかも〜〜」

「大丈夫だよ。これくらい想定内だから」
 背後から凛とした低音に突き刺される。咄嗟に振り向いた先には、今朝わたしに逃げられた張本人の彼が佇んでいた。
「え、あ、東くん!?なんで!」
「少し前に諏訪に呼ばれたんだよ。だいぶ飲んでるみたいだから迎えが必要だって」
 瞬時に諏訪を見ると、彼は悪びれもなくスマートフォンを顔の前でひらつかせた。わたしがせかせかとお好み焼きを焼いているなか、この男はちゃんと介助役の適任者を手配していたのか。
 東くんは、いつの間にかシラケた顔をしてそばに控えていたカゲから伝票を受け取って、自分の財布からお札を数枚取り出した。「お釣りは諏訪にあげてくれ」悠々とわたしの代わりに精算を終える彼に、まごまごとなにもできずにいる。「マジすか、東さんご馳走様です」タバコ一箱くらいの釣り銭が手に入ったことに喜ぶ諏訪を横目に、東くんはテキパキとわたしのハンドバックを回収した。
「さあ、帰ろうか」
「は、はい……」
 差し出された東くんの手は冷んやりとしていて、食熱と酒気が溜まったからだにはとても心地よかった。ちらりと彼の横顔を盗み見るが、特段いつもと変わった様子はない。わたし自身に対して少なからずなにかしら思うことはあるだろうに。
「東くんはその……こうなること、わかってたの?」
「まあ、多少はね」
「さすがだね」
「お前と何年付き合ってると思ってるの」東くんはおかしそうに笑った。子どもみたいにくしゃりとさせる表情に思わずドキリとする。「それより、俺に言うべきことはない?」かと思えば、きちんと言質の徴収をかかさないので、やはり東くんは立派な大人だ。それはもう、わたしよりも大層成熟した。
「えっと……家に着いたら、話します」
 西に傾く大きな夕日に溶け込みそうな囁きを聞いて、東くんは「それはたのしみだな」と満足気に喉を鳴らした。胃の底に沈むかげうらのお好み焼きの味と、赤く染まった帰路を東くんと手を繋いで歩いたことを思い出して、バカな子だったねと笑う日がわたしにもいつかやってくるのだろうか。いや。いくつになっても、やっぱり、わたしは変わらないでいて、となりにいる彼が世話を焼き続けていく気がする。

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