「今日もアスパラベーコン入れておいたからね」

玄関先で靴紐を結んでいる途中、背後から父さんに話し掛けられた。振り向くとそこには嬉しそうに微笑む父さんが立っていた。父さんは「お前の好物だからな」と、弁当箱の入った手提げ袋をオレに渡し、さらに目元に皺を寄せた。

「父さんが好きなんでしょ」

すかさず答えると父さんは溜め息を吐いて「素直じゃないなぁ」と腰に手をあてた。どことなく悲しげな表情をしていたのは気のせいではない。思いのほか冷たく言い放ってしまった自分に罪悪感を感じ、逃げるように父さんから背を向けてドアノブに手を掛けた。

「…まぁオレも好きだけどね。アスパラベーコン」

ポツリと呟いた自分の言葉に恥ずかしくなり、気持ちを誤魔化すように急いで扉を開く。すると早速、夏の鋭い日差しがオレを照らした。

「いってらっしゃい」

眩しくて目を細めていると、背後から父さんの声が聞こえた。

「いってきます」

言いながら、振り返らずにドアを閉める。バタン。音が鳴ったあと、扉越しから「嬉しいなぁ」と父さんの声が聞こえた。その声を聞いて、オレも無意識に頬が緩む。以前は恥ずかしくて言えなかったことを今日は伝えられた。少しだけ素直になれた気がして、温かい気持ちが胸をくすぐった。
こんな風に伝えられるようになれたのは彼女のおかげかもしれない。オレは、やっぱり彼女のことが好きだ。昨日は自分の気持ちに気が付き、どうしようか悩んだが、認めてしまえば案外楽だった。今まで苦しんでいたのはなんだったのか。
オレは、自分の気持ちに正直になろうと決めた。
そして今日、その気持ちを彼女に伝えようと思っている。直接口にするのはまだ勇気がないので昨晩、白い紙に気持ちを綴った。
「君が好きです」たった一言、それでいい。どんなにかっこいい言葉を見繕って並べても安く感じてしまうからストレートに済ませた。こっそり父さんの棚の引き出しから高そうな紙で作られた封筒を一枚拝借し、そこに便箋を入れて封を閉じた。
彼女は読んでくれるだろうか。この手紙の封を切り、手紙を読んだ彼女の驚く顔を想像すれば心が踊った。

今日は雲一つない晴天だった。なんとなくいい日になりそうだなと、弾んだ気持ちで道を歩けば自然と足取りも軽くなる。いつもなら疎ましく感じる熱い日差しも今日は大して気にならなかった。

「おはよ、カカシくん」

背後から声を掛けられて振り返れば、幼なじみで隣クラスの女子、のはらリンがいた。

「おはよう」

挨拶を返せばリンは「一緒に学校まで行ってもいい?」と控えめに訊ねてきた。「いいよ」頷いてから歩くスピードを緩めると、リンは「ありがとう」と言いながらオレの隣に並んだ。

「そういえば、貸した本どうだった?」
「面白かったよ。特に男女二人が森で夜空を眺めるシーン。たった一行なのに情景が鮮明に頭に浮かんで、心を惹きつけられたよ」

正直に伝えれば、リンは「そう」と嬉しそうに目を細めながら笑った。

「気に入ってもらえて良かったわ。私もあの本好きなの。カカシが良ければ続編があるんだけど読んでみる?」
「ありがとう。だけど、借りている本を返してからにするよ。実はあの本、教室に置いたままなんだ」

本が机の中にあることに気付き、慌てて謝ればリンは「いつでもいいよ」と明るく言い放った。

「良くないよ。今日の休み時間に渡しに行くから」
「…そう?わかったわ」

リンは頷くと、再び前を向いて歩き出した。「今日も暑いね」そう口にする割には涼しい顔をしているリンに「全然暑そうに見えないよ」とオレは言う。リンは「そうかな」とまた笑い、「カカシも全然暑そうに見えないよね」と冗談っぽくオレをからかった。そんな他愛もない会話をしばらく交わしていると、背後から「おい」と、オビトの声が聞こえた。
「オレも入れろ」と強引にリンとの間に割って入ってきたオビトはとても暑苦しい。疎ましく感じたオレは「先に行ってるね」と言い残し、二人を置いて校舎へと向かった。
昇降口に着き、外履きを脱いでから靴箱にある上履きを取り出す。次にこの場所に来る時は放課後だ。彼女に手紙を渡すことを考えると胸がざわつき、苦しくなった。



今日はこの前と違い、とても良い日だった。寝癖はついていなかったし、父さんには素直になれた。そして弁当に入っていたアスパラベーコンはオビトに取られることもなく、美味しく食べることが出来た。
だから、この告白もきっとうまくいくはず。妙に自信があるのは彼女がオレのことを好きだと確証があるから。
そしてようやく、待ち望んでいた放課後のチャイムが校内に鳴り響いた。鞄のサイドポケットに入れて置いた彼女への手紙を確認して大丈夫と心の中で唱える。最後に忘れ物はないか机の中に手を入れて探ると、何かに触れた。不思議に思い、それを取り出して見るとハッとした。
ーーしまった。リンに本を返すのを忘れていた。
休み時間に返すと約束したのに。慌てて教室を飛び出して隣クラスを覗いて見るが、リンの姿は見当たらない。先に帰ってしまったのだろうか。…仕方ない。明日必ず返そう。オレは諦めて、鞄に本を入れると長い廊下を歩き出した。

「カカシ?」

不意に聞き慣れた声が聞こえて振り返ると、そこには先程探していたリンの姿があった。良かった。これで本を返せる。ほっと安堵の息を吐くと、オレは鞄に仕舞った本を取り出してリンに渡した。

「休み時間に返せなくてごめんね」
「いいのよ、別に。…あ、じゃあこれ、この本の続き」

リンはオレから受け取った本を鞄の中に仕舞うと、代わりに違う本を取り出した。
「ありがとう」言いながらオレはそれを受け取って鞄の中に入れる。

「あとで感想教えてね」
「もちろん」

リンが勧める本はどれもはずれがなく、面白い。だから続編もきっと期待できるだろう。笑って答えれば、リンも笑い返した。

「…あとね、私、今から帰るんだけど、カカシも一緒にどう?」
「ごめん、今日は予定があるから」
「そっか…じゃあ、またね」

言うと、リンはオレに背を向けて走り去ってしまった。リンの姿を見届けてからオレも足を踏み出す。向かう場所はもちろんあの場所。昇降口だ。
手紙の入った鞄を強く握り締めて、靴箱からスニーカーを取り出すと少しだけ汚れがあるのに気が付いた。彼女に気付かれたら嫌だなぁと思いながらそれを履く。ひんやりとした冷たさが足裏から伝わった。

見慣れた場所に視線を向ければ、彼女の後ろ姿が見えた。声を掛けよう。鞄に手を入れて用意しておいた手紙を取り出して口を開く。喉が乾いて声を出すのが少しだけ苦しい。今度こそ彼女の名を呼ばなくちゃ。
『柳井さん、』
だが、オレの声は彼女に届くこともなく宙に舞う。彼女は、オレを待たずに走り去って行ってしまったのだ。

小さくなってゆく彼女の背中と足音。それが、最後に見た彼女の後ろ姿だった。その日を境に彼女はオレの帰りを待つことはなかった。あれだけオレの視界に映ろうとしていた彼女が目の前に現れることもなくなり、気持ちを置き去りにしたまま夏は過ぎ去った。夏だけではない。春夏秋冬、幾度もの季節が巡っていった。汚れてしまったあのスニーカーも履き潰して、捨ててしまった。
だが、あの手紙だけはどうしても捨てられなかった。柳井ナツミに宛てた手紙は淡い夏の記憶と共に引き出しの奥に閉まってある。
『あの夏の日の記憶』『切ない夏の思い出』そんな風に懐かしむほどにオレは歳を重ねて、背も伸びて、色々な経験を積んだ。そして気が付けばオレは、大人になっていた。

今かいつかの話


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