「おい、カカシ。お前、飲み過ぎじゃねぇか?」

店員に追加注文をした時だった。柄にもなくオレを心配しているオビトは「これ以上飲むのはよせ」と、注文したビールをキャンセルしてしまった。

「まだ飲み足んないんだけど」
「お前なぁ」

オビトは盛大に溜め息を吐くと、呆れた目でオレを見た。その態度にますます苛立ったオレは、文句の一つでも言ってやろうと口を開く。

「二人とも落ち着いて」

オレとオビトの間にある不穏な空気を察したのか、リンが仲裁に入った。

「…私も飲み過ぎだと思うわ。カカシ」

静かに言い放ったリンはとても心配そうな顔だった。隣にいるオビトは「ほらみろ」と言わんばかりに笑っている。ああ、腹が立つ。オレは溜め息を吐くと、席を立った。

「おい、どこ行くんだよ」
「ちょっと酔いを覚ましてくる」

オビトの顔を見ず、背中を向けて答えれば「なんだあれ」と悪態を吐くオビトの声が聞こえた。オレは黙って無視を決め込むと、席を離れた。
歩いている途中、足元が覚束ないことに気が付いた。「酒の飲み過ぎだ」オレに忠告したオビトの言葉を思い出せば、まさにその通りだなと自嘲した。酒に歯止めが効かなくなった理由は言うまでもない。彼女、柳井さんのせいだ。柳井さんが男を連れていたから動揺を抑えきれなかった。オレは、自惚れていたんだ。彼女がオレを好きだと勝手に期待して、勝手に連絡先を教えたりなんかして。
なんて滑稽で、みっともないんだ。
自分の言動や行動を思い返せば返すほど、羞恥に駆られて、逃げたくなった。とりあえず、洗面所に行けば彼女と会うことはないだろう。オレは壁に手をつきながら、洗面所へと向かった。
洗面所まで続く廊下は狭かった。なるべく人とぶつからないように注意を払いながら歩いてゆく。ふと、前方から小柄な女性が歩いて来るのが目に映った。店内は薄暗い。だから、近くから顔を見ないと相手が誰だか分からなかった。女性がオレの横を通り過ぎる。ふと、甘い香りが鼻を掠めた。
この匂いには覚えがあった。彼女と久しぶりに再会した時と同じ、あの香水の匂い。心臓が波打つと、胸が熱くなった。

「待って」

気付けばオレは彼女の手を掴んでいた。無理矢理に手を引いた反動で、彼女が手にしていたポーチが足元に転がる。オレは少しだけ屈み、彼女の顔を確認した。女性はやはり、柳井さんだった。彼女はオレだと認識していないらしく、手を振り解こうとした。

「オレだよ。柳井さん」

柳井さんがゆっくり視線を上げる。互いの視線が絡み合うと、彼女はハッとした顔でオレを見た。

「はたけくん…」

彼女の声が胸に響く。顔が熱くなった。名を呼ばれただけなのに感情が昂ってしまうのは何故だろうか。アルコールのせいだろうか。いや、違う。喉から手が出るほど欲しい彼女が今、自分の目の前にいるからだ。
彼女は眉を寄せてひどく困った顔でオレを見ている。そんな顔で見ないでよ。チリチリと喉が焼かれるように、苛立ちが込み上げた。

「連絡、待ってたんだよ?」

なるべく怒りを抑えながら問い質したが、彼女の顔はますます困窮した表情に変わってしまう。違う。そんな顔させるつもりないのに。「ごめん」と、彼女に謝られると悲しくなり、目頭が熱くなった。

「一緒にいるの彼氏だよね?どうりで連絡して来ないわけだ」

それでもオレは、彼女を責め立ててしまう。ギュッと手を掴む力が強くなる。痛みを感じた彼女は顔を歪めると、瞳を大きく揺らした。

「…はたけくん、もしかして酔ってる?」

彼女の言葉に何かがプツンと弾け飛んだ。酔ってる?そうだな、酔ってるのかもしれない。けど、酒のせいではない。柳井さんのせいだ。

「酔ってないよ」

自身の指と彼女の指を絡めて、壁へと追い詰めた。ドン、と鈍い音が聞こえる。優しく触れたいのに、何故か壊したくなる。鋭い目を向ける彼女。オレは、どんな表情をすればいいか分からなかった。

彼女が他の男に笑みを向けているのが気に食わなかった。オレの知らないところで他の男に触れられているのが堪らなく、嫌だった。

「昔は、オレのこと好きだったのにね」

キス、というよりもほとんど噛み付くような行為だった。顔を背けようとする彼女の後頭部を押さえつけて、執拗に唇を押し付ける。固く結んだ唇を強引に舌で割り入れ、彼女の舌を捉えると、グラグラと目眩がした。彼女の味。彼女の甘い匂い。彼女の全てがオレを魅了した。

ふいに、背後から足音が聞こえた。このままだと誰かに見られてしまう。焦燥感に駆られたが、理性を失いかけているオレには欲情を抑えられなかった。
柳井さんは必死にオレの胸を叩いて抵抗する。オレは彼女を無視し、太腿の間に足を割り入れ距離を詰めた。その間も口付けが終わることはない。彼女の口端からは、だらしなく唾液が垂れている。なんて濫りがましい光景なんだ。思わず見惚れていると一瞬だけ、腕を掴む力が抜けた。隙を突いた柳井さんが先程よりも強くオレの胸を押し、距離を取った。

暫しの沈黙が二人の間に流れる。濡れた唇が乾いた頃、柳井さんは鋭い視線をオレに向けた。潤んだ瞳には怒り、絶望、そして悲しみが込められていた。

「…ごめん」

咄嗟に吐いた謝罪の言葉は、とても安っぽく感じた。柳井さんはオレの頬を叩く。オレは叩かれた痛みよりも、彼女を悲しませてしまったことの方がずっと重く、胸に残った。

「謝るくらいならこんなことしないで」

俯いたオレに冷たい口調で言い放つと、柳井さんは足元に転がったポーチを拾い上げて背を向けた。彼女のヒールの音が廊下に鳴り響く。
遠去かる彼女の背を見て、オレはふと遠い夏の日を思い出した。手紙を渡そうとしたあの日。小さくなってゆく彼女の背中。後悔だけが残った放課後。もう二度と繰り返したくなかった。

「待って」

気付けば彼女を引き止めていた。柳井さんは一切振り返らずに去って行ってしまう。往生際が悪いオレは言葉を続けた。

「ちゃんと柳井さんと話しがしたい。来週の金曜日の夜。この時間。ここに来て」

再び会える確証なんてないから、どんな形であっても約束を取り付けたかった。ちゃんと気持ちを伝えなくてはいけない。ずっと胸に抱えていた秘密を打ち明けて、この恋を終わらせないといけない。オレはいつだって今だって自分のことしか考えられない勝手な人間だ。
柳井さんは返事をすることなく、足早に去ってゆく。そしてとうとう姿が見えなくなってしまった。一人残されたオレはしばらくその場に立ち尽くした。
身体はまだ熱っぽい。酔いのせいなのか、キスのせいなのか。とりあえず顔を洗おうと、洗面所へ足を向けた。

洗面所に入ると大きな鏡があった。鏡に映った自分を見て、辟易した。自身の唇には口紅がついていたのだ。
目が覚めるほど鮮明な赤色。彼女が恋人のために塗った色、
蛇口を捻り、勢いよく顔を洗った。袖口がびしょ濡れになっても構わなかった。口紅と共に自分のしたことが流れ落ちれば、それで良かった。



だが、口紅は落ちても胸にある罪悪感は消えることはなかった。オビトとリンの席に戻って談笑しても気分が晴れることはない。きっと向こうの席では、彼女と恋人が楽しく酒を嗜んでいるだろう。想像すればするほど、はらわたが煮えくり返りそうで仕方なかった。だから、このどうしようもない気持ちを酒と共に胃に流し込んだ。酒の力を借りると気持ちが高まり、苦しい記憶が薄らいでいった。

「そういえばカカシ、中学の頃に貸した本覚えてる?」

ふと思い出したかのようにオレに話しかけてきたのはリンだった。中学の頃に借りた本。それはお気に入りの一冊だった。共感できる部分が多く、何度も読み返したので今でもはっきりと覚えている。

「覚えてるよ」
「10数年ぶりに続編が出たみたいなの。良かったら読んでみて」

リンはバッグの中から見慣れたタイトルの本を取り出すと「はい、これ」とオレに渡した。オレは素直に嬉しかった。この本は青春の日々を思い出す本でもあったから。

「ありがとう。読んでみるよ」

笑いながら礼を言えば、リンも微笑んだ。家に帰ったら早速読もう。ああでも酔いが覚めてからの方が良いな。頭の中で思考を巡らせながら本を鞄の中へ大切に仕舞った。しばらくリンと談笑を続けていると、一際大きい男の声が耳に入った。


「ここはナツミの恋人でもある僕に奢らせて。ね?」


ナツミ。その名に思わず反応し、声のした方へ目を向けた。そこには、柳井さんと男がレジに並んでいた。二人で仲良く話す光景を目の当たりにして、先程まで浮かれていた気持ちが一気に沈む。
先程、男ははっきりと「恋人」と口にした。紛れもなく彼女の恋人、と。まるで、現実を突きつけられたようだった。

だが、オレは彼女が約束を守ってくれると信じていた。来週の金曜日。この時間、この場所でオレは彼女に秘密を打ち明ける。そして、自分の気持ちに終止符を打つ。

汗を掻いたグラスにはビールが僅かに残っている。一気に飲み干し、グラスをテーブルに置くと、水滴が滑るようにして底へ流れ落ちた。

溢れる雫もただの水


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