秘密を知りたかったらあとで電話して。

はたけくんの言葉がずっと頭から離れなかった。彼は、一体何を隠しているのだろう。その秘密は私にとって良いことだろうか。それとも悪いことだろうか。
ーー知りたいけれど、知るのが怖い。
秘密を知った後の心の変化を考えると、どうしても電話を掛けることができなかった。

日が経つにつれて、少しづつ冷静に考えられるようになった。今の私には恋人のサトルがいる。私を愛してくれている人をやはり裏切ることなんて出来ない。はたけくんは遠い過去の記憶に置いてきた初恋の人だ。いまさら彼の秘密を知っても混乱し、心を揺さぶられるだけだ。

それでもふとした瞬間に彼を思い出してしまう時があった。例えば眠りにつく前。何故かはたけくんの顔が思い浮かんでしまう。はたけくん、中学の頃よりも柔らかい雰囲気になっていたなぁ。背が伸びて大人になっていたなぁ。

(また、会いたいな)

こんな風にどうしようもなく気持ちが募った時は携帯番号が書かれた紙の切れ端を見て気持ちを押し殺した。電話は掛けない。ただ眺めるだけ。それだけで充分満足だった。
破った紙切れは、手帳の間に挟んで隠し持っていた。挟んであるページは7月。中学の頃、初めてはたけくんと出会った月だ。夏真っ只中の7月は私にとって、特別な月だった。

今日も私は手帳を開こうとベッドから起き上がった。隣で気持ち良さそうに寝ているサトルの顔を横目にすると針で胸を刺されたように痛んだが、心の中で謝って床に足を着けた。
足音を立てず、寝室を抜けて隣のリビングへと移動する。手帳はバッグの中。バッグはソファーの上だ。窓から僅かに差し込む月明かりを頼りに手探りで手帳を取り出すといつものページを開いた。
だが、そこにあるはずの紙切れがなくなっていた。どこかに落としたのだろうか。慌てて全てのページを開いて確認するが、いくら探しても見つからない。
クーラーを切った部屋はじんわりと暑い。こめかみから滑るように汗が流れ落ちた。

「どうしたの?」

声と同時に視界が白くなり、眩しくて反射的に目を閉じた。チカチカと小さな音を立てたのは照明の光が灯された音。ゆっくり瞼を開き視界を確認すると、目の前にはサトルが立っていた。

「サトル」

私の声が静寂な部屋に散り去った。サトルは表情一つ崩さずに私を見ている。彼の持つ雰囲気が少しだけ、怖い。

「手帳?」

サトルの視線の先は私が手に持っている手帳。マズい。咄嗟に手帳をバッグの中に仕舞うと私は「そう、明日のスケジュールの確認」と笑って誤魔化した。サトルは一呼吸置いたあと「そっか」と頷いてからソファーに腰を落とした。張り詰めた緊張感がとても窮屈に感じた。

「もしかして起こしちゃった?あ、水でも飲む?」

とにかくこの場から逃げ去りたい。私は水を取りにキッチンへ向かおうとした。だが、サトルに腕を掴まれて身動きが取れない。

「水はいらないから、座って」

サトルの表情はどこか悲しげだった。その顔はやっぱりはたけくんに似ていて、サトルを心配することよりも彼を思い出してしまう自分に心底辟易した。

「分かった」

頷いてからサトルの隣へ腰を落とす。私を確認したサトルは、掴んでいた自身の手を静かに解いた。

「…ナツミさ、僕に隠してることない?」
「え?」

驚いてサトルの横顔を見る。サトルは私の顔を見ず、白い壁をただぼんやりと見つめていた。サトルの表情は先程と変わらず、やはり寂しげだ。私はサトルと同じく白い壁に視線を向けた。

「僕、不安なんだよ。ナツミがいなくなりそうで」

切なげな声は顔を見なくても感情が読み取れた。サトルは多分、知っている。私が必死に隠している感情を。私がサトルを愛していないことを。けどサトルは優しいから深くは追求してこない。きっと言いたいことはたくさんあるだろう。オレではない誰かを見てるよね。オレではない、別の男を考えてるよね、と。

サトルは愛を強要しないから一緒にいて楽だった。ずるい私はサトルのその優しさにずっと甘えてきた。

「何も隠してないよ」
「…本当に?」

サトルの目を見る。涼やかな目元。季節外れの白い肌。はたけくんを思い出す。

「本当だよ」

私はまた嘘を重ねた。本当は気が付いていた。サトルが先程まで見つめていたものは白い壁ではなく、壁に掛けられている二人の写真だということを。私はそれから背けたくて、白い壁を見つめるしか出来なかった。私の気持ちはいつまで経っても平行線上を進んでゆく。サトルの気持ちと決して、交わることはない。

「じゃあさ、約束して。何かに苦しんだり悩んでいたりしたら必ずお互い打ち明けること。隠し事はなし。いいね?」
「うん」

差し出された小指に自身の小指を絡めて約束を交わす。「じゃあ、この話は終わり」サトルがパッと笑うと、暗く重たい空気が明るく変わった。

「ナツミ、明日の夜空いてる?」
「明日?明日は残業ないから空いてるよ」
「久しぶりに外で飲もうよ」
「うん、いいよ」

「良かった」と言いながら、サトルは私の頭を撫でた。サトルの手はとても温かい。それに対し、私の心はひどく冷たい。

「約束ね」
「うん」

サトルにはきっと、私以外に相応しい人がいるだろう。分かっていたけれど、サトルを手放したくはなかった。中学の頃からずっと手に入らなかった彼をようやく掴むことができた。それが例え本物の『彼』ではなくても、こうして肌に触れたらそこに彼が実在するような気がした。

私は目を閉じて、『彼』にキスをした。

あの紙切れはどこへ消えてしまったのだろう。そんなことを考えながら。


このままで、このままなら


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