それにしても暑いな。

茹だるような暑さに耐えきれず、迷うことなくベッドの脇に置いたリモコンを手に取り冷房をつけた。
気怠い体に鞭を打ち、ベッドから上半身だけ起き上がる。欠伸を一つ漏らして、見慣れた部屋を見渡した。何も変わらない。昨日のままだ。

汗をたくさん掻いたせいで喉が渇いたな。水でも飲みに行こうとタオルケットを剥いで床に足をつけた。が、何か柔らかいものが足先に触れて思わず足を上げる。恐る恐るベッドの下を確認すると白銀の髪を持つ男が固いフローリングの上で寝っ転がっていた。恐らく私の足に触れたものは柔い彼の髪だったのだろう。少しだけ驚いたが、いつものことだと思い直ぐに冷静さを取り戻した。

「またこんなところで寝ちゃって」

溜息混じりに吐いた小言は彼の寝息と共に静寂な部屋に響いた。カカシは同僚兼、幼なじみだった。家が近所ということもあって小さい頃から兄弟のように仲が良い私達は些細な悩みをお互い打ち明けたり気兼ねなく話せる仲だった。
私達の間には男女の関係など一切なかった。『幼なじみの良き相談相手』名を付けるとしたらこれが一番しっくりくる言葉だった。

それにしても、よくもまぁそんなにぐっすり寝られたものだ。

彼が私の部屋に泊まるといつもこうしてベッドの下の固いフローリングで寝ていた。間違っても私の布団の中になど入ってこない。‥まあ、当たり前のことなんだけど。少なからずカカシに恋い焦がれてる私にとっては間違いがあって欲しいと密かに願っていた。

「ん、ナマエ?」

名が呼ばれ、顔を覗き込むとカカシはまだ睡魔に勝てないのか、開いた目は私を確認すると安心したように再び閉ざしてしまった。その様子だと二度寝をするつもりだ。

忍はどんな場所でも睡眠を取らないといけないとはいえ、固く冷たい床で熟睡できるカカシに心底感心する。自分も忍だし、職業柄慣れるのは分かるが、彼ほどではない。

「起きなよ、カカシ」

肩を揺らして起こそうとするが、なかなか目を開けようとしない彼に呆れた目を向ける。だから昨日あれだけ早く寝なよって言ったのに。

昨夜、深夜にも関わらずインターフォンを鳴らし続けて部屋に訪れたカカシは私を一目見るなり助けてと泣きべそをかいた。なんなく検討はついていた。どうせ付き合っている彼女と何かあったのだろう。前は彼女に振られた時。その前は彼女と喧嘩をした時。私の部屋に訪れる時は決まって恋人と何かあった時だった。

「ナマエ、家に入れて。彼女と喧嘩しちゃった」

ほらね、やっぱり。カカシは彼女と喧嘩をして居場所がなくなったからうちに逃げ込んできたのだ。女として見ていない、ただの幼なじみの家に。

「仕方ないなぁ」

部屋に入れるなりカカシはぱっと顔を輝かせる。さっきまで泣きべそかいていたくせに、現金なやつ。そう心の中で悪態を吐いたが、喜ぶカカシの顔を見て嬉しくなる自分もいたので黙るしかなかった。

カカシは昔から女性から好かれていた。物腰も柔らかく申し分のない見た目の彼の隣には常に彼女がいた。しかし決まって交際は長くは続かなかった。順調にいっているのかと思えばいつも女性から別れを告げられ、振られていた。その度に私に泣きついて話を聞いて貰おうとこうして深夜でも関係なく私の部屋に訪れる。
そして私も私で、懲りもなくカカシを受け入れて聞き役に徹していた。でもそれはあくまでも幼なじみとして。私の恋心をカカシが気付く確率なんて0に等しいくらいだろう。

「絶対に教えてやらないんだから」

気持ち良さそうに寝入るカカシを見つめながら小さく呟いた。
本当はカカシが振られる理由は知っていた。けど、悔しいから絶対に教えなかった。

カカシは誰にでも優しい。でもそれが別れを告げられる原因だった。恋仲になった限り誰しも相手を独占したくなるもの。カカシの博愛主義な部分は長所な一方、短所であった。
でも女も女だ。彼と付き合った以上、それを理解して『カカシの彼女』という枠を勝ち取ったのだから我慢するのは当たり前だと私は思う。私だったらカカシの全てを受け入れられるのに。

見る目ないなぁ、カカシ。

私もカカシに恋い焦がれる一人だった。だからこそ、カカシには振られる理由を教えたくなかった。私も他の女子と同じ、独り占めしたい欲の塊だから。

本当は振られて泣いて縋るカカシの姿を見る度に喜んでいた。カカシがまた私を必要としてくれると。つくづく性悪だと思う。でもそれくらい許してほしい。こっちは十数年、苦しい思いをし続けているのだから。

「ナマエ、寝癖ついてるよ」

いつの間にか起きていたカカシを見て一瞬驚く。カカシは私の髪に視線を向けるとほらここ、と指を差した。慌てて自身の寝癖を手で探るが、いまいち分からない。見兼ねたカカシはふっと笑って、だからここにあるよと大きな手のひらで私の頭を撫でた。ふいに訪れる彼の優しさに胸が痛くなる。‥だから振られるのよ。カカシ。その優しさは本当に好きな人にしか向けてはいけないの。私ではない、本当に好きな人だけに。
どんな綺麗事を並べても髪越しから伝わる熱に浮かされ自覚させる。ああ、やっぱり愛しい、と。

「今日は?彼女のところに行くの?昨日喧嘩したって言ってたけど」
「うーん、そうしようかなぁ。甘いものでも買っていけば許してくれるかなぁ」

間延びした口調で私に問い掛けるカカシに少しだけ苛ついた。私に聞かないでよ。喉まで押し寄せた言葉をぐっと強く呑み込む。

「…それがいいよ。女子はみんな甘いもの好きだし」
「ありがとう。さすが女子の気持ちの代弁者ナマエだね」
「まぁね」

これでいい。私達はこの距離感がちょうど良いのだ。言いたいことを言わず彼の言葉に頷くだけで嬉しく感じるこの距離感が私にはちょうどいい。
口布をしていなく露わになった彼の笑顔をみればたちまち苦い感情が胸に広がる。彼のその素顔は彼女も知っているのだろうか。その唇は今夜もあの子に触れるのだろうか。私ではない、あの子に。どうしようもない欲望に駆られる。その薄い唇に触れてみたい、と。

「ナマエは?今日は?」

はっとして唇から目に視線を移した。カカシは変わらず三日月のような弧を描いた目を私に向けている。なんでも見透かしてしまいそうなカカシの目を不自然に思われないよう、そっと逸らした。

「今日は非番なの」
「そうなんだ」

そうなんだ。その淡白な返事に落胆した。
カカシのその目は幼なじみというフィルターを通していつも私を見ていた。さっきもそう。自分で聞いといて私が答えれば興味のない素振りを見せる。あの子の話をする時は楽しそうなのに。所詮、幼なじみの事など、どうでもいいのだ。

「カカシは?」
「オレは朝一から任務」
「うそ、早く行かなくちゃ」
「うん、だからもう行くね」

じゃあね。そう言うとカカシは起き上がり、手を振って私の部屋からあっけなく去ってゆく。パタンと玄関の扉が閉まる音が聞こえて、寂しさを募らせた。
次にカカシがこの部屋にくる日はいつだろう。次もまた振られて、泣きながら私に会いにきてくれるかな。…だったらいいな。

なんとなく見渡した部屋にはあまりにも彼の想い出がたくさんあり過ぎて、思わず苦笑いを浮かべた。

いつ来ても良いように用意してあるカカシのマグカップ。ハブラシ、スリッパ。彼が好きなメーカーの二人分のビール。幼い頃に撮った二人の古い写真。今着ている襟が伸びたTシャツもカカシがいらないからと言ってもらったもの。

風が吹いた春も胸を突いた夏も、いつもカカシでいっぱいだった。

想い出から逃げるように窓へと視線を移す。窓から見える空には大きな入道雲が浮かんでいた。思わず扉に手を掛けて開くと、ぶわっと熱気が入り込みクーラーの冷気と交わり合った。やっぱり外は暑いな。じわりと背筋に汗が伝わり不快に感じた。どうせなら汗と共に何だか分からない辛い物も流してしまいたい。

私以外にも誰かあの雲を見てるのかな。

どうしようもないこの思いを誰かと共有したい気持ちが込み上がり、そんな事を思った。
この根強く消える事のない想いを誰かが私の代わりにあの雲の向こうまで鼻歌で笑い飛ばしてくれたらいいのに。

こんな暑さでも負けじと鳴り響く蝉の声を耳にして、変わらず風に乗りゆっくり流れてゆく入道雲の行方をただひたすら目で追った。


歌詞参考 明日の歌/aiko







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