瞼を開くと、夜の世界だった。

窓から差し込む街灯の光を頼りにして、壁時計を確認すると、針は深夜二時を指していた。なんだ、まだもう少し寝られる。二度寝が出来ることに喜びを感じ、再び布団の中へと潜り込むと、私は目を閉じた。

ぼんやりとした意識のなか、耳に入り込むのは一定のリズムを刻む秒針の音と、誰かの寝息の音。そうだ、今日は彼が泊まりに来ているんだった。嬉しく思い、足先を右にずらせば、トン、と彼の足に触れた。温もりを求めるようにそのまま足を重ね合わせる。

あったかいなぁ。

人の肌に触れると、どうしてこんなにも安心するのだろう。それはきっと、好きな人の体温だからかもしれない。朝が来たら彼と何を話そうか。夢の話でもいいなぁ。胸に広がる幸福感を噛み締めると、私は再び眠りに落ちた。











「何やってるの、ナマエ」
「んー笑顔の練習」

放課後の教室でのこと。帰りの挨拶を終えた私は帰らずに教室に残っていた。いつも持ち歩いている鏡を机に置いて、これでもかというくらいにキュッと口角を上げる。目の前の鏡には見事に不自然な笑顔の自分が映っていた。

「変な顔ね」

友人は私の顔を見るなり可笑しそうに笑った。

「うるさいなぁ」

文句を言い、不貞腐れると、友人は「ごめんごめん」と軽い口調で謝った。

「そういえばナマエ、好きな人いるんだったよね?確か、変わった名前の塾の先生」
「カカシ先生」
「そう!カカシ先生」

パンッと手を叩いて私の好きな人の名を思い出した友人は未だ変わらず笑っている。何がそんなにおかしいのやら。
もういいやと、友人の相手をすることを諦めた私はもう一度、鏡に映る自分を見てみた。よく見ると、鼻の上のそばかすがまた濃くなっている。やだなぁと溜め息を吐いた。

「歳はそんなに離れていないんだっけ?」
「うん。私の二つ上。大学通いながら塾でバイトしてるんだって」

答えながら人差し指でそばかすをなぞってみる。無論、そんなことで消えるわけがなく、これから塾なのに先生に気付かれたらどうしようと焦った。

「ねぇ、先生と付き合える方法教えてあげよっか」
「え?」

友人の唐突な言葉に驚いた私は顔を上げた。友人はにっこり微笑んだあと、「あのね」と小声で話し始めた。

「キスしちゃえばいいんだよ」
「キ、キス!?」

突然大声を上げた私を教室に残っていた生徒が一斉にして見る。友人はシーっ!と人差し指を口に当てると声を潜めながら言葉を続けた。

「今の彼氏がそうなの。私からキスをしたらそのまま付き合うことになって…」
「え、そうなの?」

大きく頷く友人を見て、私は驚きを隠せないでいた。世の中にはキスから始まる恋愛もあるのだろうか。

「だからナマエもしてみなって、キス」
「そんなの無理だよ!だって私、男の子と手も繋いだことないんだよ?」
「だからこそ思い切らないと。年上で先生だったら尚更よ。自分から行動しないといつまで経っても関係は変わらないままだよ」
「それはそうだけど…」
「まぁ、キスは無理だとしても手ぐらいは繋いでみたら?笑顔の練習とか回りくどいことするよりは良いと思うけど」

図星を突かれ、返す言葉が見つからない。私はもう一度、目の前の鏡を見てみた。鏡に映る自分の姿は至って普通のありふれた女子。それに加えて童顔でもある私は見るからに幼く、色気のかけらもなかった。
…確かに。このままだと生徒のままで終わってしまうかも。

「私、頑張ってみる」
「そうこなくっちゃ!じゃあこれ、うまくいくようにおまじない」

友人はポーチからピンクのリップを取り出すと、私の唇に薄く塗った。

「ほら、見て」

鏡を見るように促され、渋々、目を向ける。

「わぁ可愛い色…」

鏡に映っていたのは、桃色の唇をした自分だった。艶のある唇を見て、少しだけ、大人になれたような気がした。

「応援してるからね、私」
「ありがとう」

友人の励ましの言葉を受けた私は、早々と鏡を鞄のなかに入れ、「じゃあ行ってくる」と席を立った。

「行ってらっしゃい。幸運を祈ってる」

友人は片目を瞑って親指を立てた。私もそれを真似て、親指を立てる。片目は瞑ることができないので、代わりに満面の笑みを友人に向けた。

「うまくやってみせるから、期待しててね」










…とは言ったもの、今の現状を打破するにはどうするべきか。
カカシ先生はいつも通り、私のすぐ横で熱心に勉強を教えてくれている。先生には悪いけれど、今の私は勉強どころではなかった。放課後に友人と交わした約束を思い出すと、カカシ先生を意識してしまい、いつも以上に胸が高鳴った。

「…みょうじさん。ちゃんと聞いてる?」

言いながら、先生は持っていた赤ペンでトン、と開いたページを叩いた。ハッとした私は、慌ててページに目を落とす。先生が採点してくれた答えは、丸よりもバツが多かった。

「みょうじさんの志望大学ってオレが通ってる大学だよね?今のままだとちょっと厳しいよ」
「はい…」

静かに怒られて、私は思わず俯いた。隣から聞こえてくるのは先生の大きな溜め息。あぁ、怒らせてしまった。
先生の顔を見ることができない私は、赤字で書かれたバツ印を見つめた。

「まぁ、そのためにオレがいるんだけどね。一緒に頑張ろうね、みょうじさん」

てっきり説教されると身構えていたが、先生の口から発せられたのは励ましの言葉で、なんだか肩透かしを食らった。
先程まで奈落の底へと落ちていた気持ちが、一気に天まで駆け昇る。
私は、先生のそういうところが好きだ。厳しさのなかに優しさがあるところ。いつも生徒を見守っていてくれるところ。先生の好きなところを挙げていくとキリがない。

「私、先生と同じ大学に入って一緒にキャンパスライフを送るのが夢なんです。だから頑張ります」

気持ちが先走って、思わず大胆発言をしてしまった。ここまで言えば、少しは気付いてくれるよね。先生と同じ大学に行きたいのは、先生が好きってことなんだよ。淡い期待を抱きながら、先生を見る。先生は大きく瞬きをしたあと、すぐににっこり微笑んだ。

「お、急にやる気を出してきたね。応援してるよ」

言いながら、先生は私の頭を撫でた。先生の言葉は嬉しかった。だけどそれは、生徒へ向けての当たり障りのない言葉。私の頭を撫でる手も、教師が生徒を応援する手。そこに恋愛感情なんて一ミリもない。

私が欲しいものは、それではなかった。私は、先生からの「待ってる」の言葉が欲しかった。

「先生」
「ん?」
「先生って私のことどう思ってますか?」
「何、急に」

先生はギョッとした顔で私を見た。面食らったようなその表情に少しだけ腹が立ち、「早く答えてください」と答えを急かした。

「みょうじさんは、オレの可愛い生徒だよ」

先生は迷うことなく、はっきりと答えた。

「さ、勉強の続きしよっか」問題の書かれたプリントを私の目の前に置くと、先生はそこへ解答するよう促した。
私はとてもじゃないが、問題を解く気になれなかった。シャーペンはまだページの真ん中に転がったまま。私はぼうっとそれを見つめる。

「なに、今度はどうしたの?大丈夫?」

心配な顔をしながら私を覗き込む先生と目が合った。先生の顔が無表情になる。ああ、どうしよう。もしかしたら鼻上にあるそばかすを見られたかもしれない。
だけど私は、先生に意識して欲しかった。ねぇ先生、私の目を見て、口を見て。
私は、桃色を塗った唇で先生の名を呼んだ。

「先生、」

自身の唇を先生の唇に重ね合わせると、ふわりとコーヒーの香りが鼻を掠めた。それは、大人を連想させる香りだった。先生とは二つしか歳が離れていないのに、ずっとずっと年上に思えた。
先生は私の肩を掴むと、強い力で突き離した。先生と私の距離が一瞬にして生まれる。眉を寄せながら私を見る先生の目は、ひどく冷たかった。それはきっと、私に対する呆れた気持ちとキスの嫌悪感から来ているのだろう。
私は、自分のしてしまった事の重大さにようやく気が付いた。

「先生、私「もういいから。この問題早く解いて」

咄嗟に謝ろうとしたが、距離を感じさせる冷たい声で遮られてしまった。
キスをする前の優しい先生と全然違う。先生を怒らせてしまったと後悔し、もう一度謝ろうと口を開くが、先生の冷めた瞳を見たら何も言葉が出てこなかった。
私は目の前に出された問題を解くためにシャーペンを握った。何も考えられない頭を必死に働かせながら一つずつ答えを埋めてゆく。先生との会話は全くないまま、その日の授業は終わってしまった。





それからの授業は、以前のような和気あいあいとした雰囲気はなくなり、殺伐とした空気で行われるようになった。ほんの少し前までは授業中にお互いの趣味、学校で起きたことなど他愛もないことを話していたのに。
今では私から質問をして、先生が答える。それだけになってしまった。

全部、自分が招いた結果だ。

私がしたことは余りにも幼稚だった。それは、私が憧れる「大人」とは程遠い行動。塾の講師と言っても、生徒と教師には変わりない。先生は、生徒と教師の間にはっきりと線を引いたのだ。
私は、自分を悔いた。どうしてキスなんてしてしまったのだろう。一方的に好きを押し付けても相手が嫌だと思ったなら、それは迷惑な行為だ。悔やんでも、悔やみきれなかった。先生とキスする前に戻りたかった。

今日も先生との授業が終わった後、何も話すこともなく、塾を出た。
夜道をしばらく歩いている途中、スマホで親に連絡を取ろう思い立ち、バッグに手を入れる。だが、いくら探してもスマホが見つからない。
…そういえば、机の中に入れたままだ。
慌てて踵を返し、来た道を辿る。塾の前で足を止めてから見上げると、蛍光灯の光が窓から漏れていた。良かった。まだ誰かいる。私は乱れた息を整えると、そっと扉を開いた。

建物内は生徒がいないせいか、静かな空間だった。教室まで続く廊下を歩いていると、前方から誰かが歩いてくる足音が耳に入った。カカシ先生だ。
ドキリと心臓が波打った。このままでは先生とすれ違ってしまう。声を掛けるべきか、それとも無視するべきか。
悩んでいる間も先生との距離はどんどん短くなってゆく。すれ違いそうになった時、私は声を掛けることもなく、小さく頭を下げて曖昧なお辞儀をした。


「みょうじさん、さよなら」


先生の声が頭上から降り注がれた。先生は言葉を残したまま、足を止めることなく、去って行ってしまった。

私は嬉しい反面、悲しかった。声を掛けてくれたことは嬉しかったのだが、先生の声は氷のように冷たく感じた。それはまるで、以前のようにはもう戻れないと言われているようで。
私は急いで教室に入り、机の中からスマホを取り出すと、また先生に会わないように廊下を走って塾を出た。




「カカシ先生は先日、塾を辞めてしまったので、これからは私がみょうじさんの担当になります」

後日、目の前に現れたのは優しく柔らかい雰囲気を持った先生だった。私は挨拶を返すことも忘れ、何故カカシ先生が塾を辞めてしまったのかと、訊ねた。

「私もよくは知らないけど、大学と塾講師の両立が難しくなったらしいよ」

その理由は嘘だと思った。だって私の知る限り、先生は器用な人だったから。両立が難しくなったなんて嘘。先生は、カカシ先生は、私がいるから塾を辞めてしまったのだ。私がキスをしたから嫌になって、ここから去って行ったのだ。

あの日のさよならは、別れのさよならだったんだ。

今さら気が付いても、何もかもが遅い。頭の中はカカシ先生のことでいっぱいで、勉強など到底、頭に入らなかった。

塾が終わって家に帰っても、私の心は暗く、重たいままだった。私はどうしても先生に謝りたかった。先生に謝って、許しを得て、塾に戻って来て欲しかった。

そうだ。謝ればきっと、

勢いよくベッドから起き上がり、スマホを手に取ると電話帳を開いた。暗闇で照らすスマホの画面が、キラキラと輝いて見えて眩しい。何度も見たはずの名前、『カカシ先生』は、やっぱり私の憧れの人だった。
勉強のことでなら掛けていいよと、先生から教えてもらった番号。以前は先生の声が聞きたくて、何かと理由をつけては電話を掛けていたけれど、今はもうそんな機会なくなってしまった。

先生に謝りたい。ただそれだけ。

震える指で電話マークに触れようとするが、あと少しのところで指が止まってしまう。もし、電話に出なかったら?電話に出ても拒絶されたら?
電話では声は聞けても、相手の顔が見れないから怖かった。やっぱりやめよう。明日、直接会って謝ろう。スマホの電源を落とすと、私はまだ重たくもない目を無理矢理に閉じて、先生の顔を思い浮かべた。






「一人で大丈夫なの?」
「大丈夫だって」
「でも、私にも責任あるし…」

翌日の放課後、私を引き止めたのは以前、約束を交わした友人だった。
今の私の現状を知った友人は、キスを勧めたのは自分だからと、何度もごめんと頭を下げた。その度に私は「謝らないで」と友人に言った。
後先考えず、安易な行動を取ったのは、紛れもない自分だったからだ。

「その…本当に行くの?カカシ先生がいる大学に…」
「うん。直接会って謝ってくる。それでキスの件はなかったことにしてもらう。そしたら先生も塾に戻れるでしょ?」
「でもそれは、ナマエの気持ちもなかったことにするってことだよ?」

それでいいの?友人は私に問うた。無意識にぎゅっと手のひらを握り締める。私はゆっくり頷くと、顔を上げた。

「それでいいの。その方がいいの」

私はまた以前のように戻りたかった。他愛もない話をして先生と笑ったり、からかったりした楽しい時間に戻れるなら、先生との恋愛関係なんて要らなかった。

「じゃあ、行ってくるね」

まだ何か言いたげな友人に手を振り、背を向けると、私は教室を出た。



先生が通う大学は、偏差値が高い有名校だった。そのせいか、門から出てくる生徒は皆、頭が良さそうに見えた。

私の志望大学、ここなんだよなぁ。

先生とキャンパスライフを送れないのなら、もうここを目指す必要はないのかも知れない。いや、そもそも私などが入れる大学ではなかったのだ。無意識に溢れた白い溜め息は、天に舞い散り消え去る。夕刻に近付くに連れて、徐々に空気が冷えていった。
こんなことならマフラー巻いてくれば良かったなぁ。冷たくなった手を擦り合わせながら、私は先生を待ち続けた。



すっかり夜になってしまい、スマホで時刻を確認すると、夜の7時半だった。そろそろ帰らないと親が心配するかもしれない。いや、でももう少しだけ先生を待っていよう。
凍てつく寒さのなか、迷い悩んでいると、背後から「みょうじさん?」と声が掛かった。聞き覚えのある声に慌てて振り向く。目の前にいたのは、ずっと会いたかった人だった。

「カカシ先生…」

先生は怪訝な表情を浮かべながら私を見ていた。深く溜め息を吐いた先生の息は真っ白。それはまるで、先生の髪の色のようだな、とふと思った。

「何してるの?こんな格好で…寒いでしょ」
「先生を待ってました」
「オレを?」
「…はい」

先生はさらに深く眉間に皺を寄せたあと、私に一歩、近付いた。

「まったく…お前は」

先生は自分のマフラーを外し、私の首にそれを巻いた。ふわりと鼻を掠めたのは、先生の匂いと微かなコーヒーの匂い。私はふと、先生にキスをした日のことを思い出した。

「家まで送るよ」

先生は私の前に立つと、歩き出した。私は黙って先生の背中に着いて行く。久しぶりに見た先生。夜気はこんなにも冷たいのに私の胸はとても熱く感じた。
しばらく歩いても、先生は何も話さなかった。
私が先生を待っていた理由も聞かれることはない。だから私も口も閉ざしたまま、先生の背中を追った。

マフラーはあたたかい。先生は、冷たい。

首を竦めてマフラーのぬくもりを感じながら歩いていると、見慣れた住宅街が見えてきた。ああ、もうすぐ家に着いてしまう。離れ難く思い、咄嗟に先生の服の裾を引っ張った。

先生の足がピタリと止まる。だけど振り向くことはない。

「私、先生にキスをしたこと謝らないといけなくて…」

先生の反応はない。私は言葉を紡いでゆく。夜の冷たい風が頬を刺す。

「ごめんなさい。あの時のキスはなかったことにしてください」

言葉と共に吐かれた白い息が、跡形もなく消えていく。先生はやっぱり振り返らず、前を向いたまま。先生が今何を思っているのか分からなかった。

もしかしたらもう、遅いのかもしれない。私は、裾を掴む手を離そうとした。


「それをわざわざ言いに来たの?」


ようやく先生は振り向き、私の顔を見た。離そうとした手はいつの間にか先生に掴まれている。先生の顔が少しだけ赤く見えるのは気のせいだろうか。

「…はい。だから先生は私に気にせず、塾に戻ってきてください」

あの日に戻れるのなら、先生と恋愛関係にならなくてもいい。私は真っ直ぐ、先生の瞳を見た。先生も私の目を見つめる。

「気にしないでって言われてもねぇ…気持ちに歯止めが効かなくなるから必死になって自分に言い聞かせてたのに」

先生はグッと私を引き寄せると、強い力で抱き締めた。身体の大きい先生は、覆い被さるようにして私を包み込む。先生の行動と言動に追いつかない私は先生の胸の中で狼狽えた。

「先生っ、あの「悪いけど、なかったことにはできないね」

耳元で囁かれた吐息がこそばゆく、くすぐったい。

「オレはナマエを好きなんだよ」

ぎゅっと強くなった腕と先生の告白に、自然と顔が綻んだ。鏡を見なくても分かる。今の私の顔は、満面の笑みだ。

「私も好きです」

先生の大きな背中に腕を回し、力を込める。先生の匂いが強くなる。私は目を閉じて、先生との楽しい日々を思い出した。
奇跡が一度だけ起こった。あの日、キスをした日が全てだったんだ。
先生は体を離すと、少しだけ屈み、私と目線を合わせた。先生はいつになく真剣な表情だった。

「とりあえず今は、その制服が脱げるまで待つから」

先程の強引な態度とは違う、優しい言葉が先生の口から出て、つい笑みが溢れた。先生はムッとした顔で私を睨み付ける。

「分かってます。卒業してからですよね。私、必ず先生と同じ大学行きますから」

先生は目を細めると、ゆっくり頷いた。緩く弧を描くその目はまるで、三日月のようだ。

「待ってるから」

その言葉は、私が欲しかったものだった。先生の気持ちを聞けた私は嬉しくて、つい口元が緩んだ。照れた顔を先生に見られるのはとても恥ずかしい。私は首を竦め、マフラーで顔を隠した。

「え、なに?」
「なんでもないです」

「なによそれ」先生は笑い続ける私を呆れた目で見た。私は「秘密です」と言い、また笑う。

ふいに、冷たいものが鼻先に落ちた。驚いて空を見上げると、思わず「あ、」と呟いた。

「雪だね」

私が口にするよりも早く、先生は答えた。「どうりで寒いわけだ」文句を垂れながら落ちてゆく雪を恨めしげな目で見ている。

「私は寒くありません」
「若いっていいねぇ」
「先生とは二つしか歳が変わらないじゃないですか」
「あ、そうだったね」

先生は大袈裟に肩を竦めて笑うと、私の手を握り締めた。

「…辞めた塾、なんて言って戻ろうかな」
「私がいるから戻ったでいいじゃないですか」
「そんなこと言えるわけないでしょ。大人をからかうんじゃない」

笑い声が住宅街に響く。シンシンと降り続ける雪を見て、私は気が付いた。寒くても、こうして寄り添い合えばあたたかい。一緒に笑い合えば、幸せな気持ちになれる。この先も私は大好きな先生の隣にいたい。カカシ先生もきっと同じことを思っているはずだ。
だって、あなたもあたしも一人じゃ生きていけないから。










「ナマエ、起きて」

聞き慣れた低い声が聞こえて、目を開いた。目の前にいたのは私の恋人、カカシ先生だった。カカシ先生は優しい笑みを浮かべて、私を見ている。

「外見てごらん」

先生に促されて窓に視線を向けると、私は感嘆の声を上げた。

「わぁ…」

外は一面の雪に覆われていた。こんなに降ったのはあの日以来だね。久しぶりに見た雪に興奮し、先生に話し掛ければ、先生は「そうだね」と笑った。

「はい、どうぞ」

先生は私にマグカップを渡すと、隣に並んで雪景色に目を向けた。私は窓からマグカップに視線を移す。中身はホットミルクだった。湯気の立つミルクの色は窓の外の雪景色にとても似ている。朝の柔らかな日差しで反射した雪は、キラキラと輝いていた。

真っ白い光に包まれて、先生と一緒に迎えた朝は本当に幸せだ。

ふと、隣に視線を向けると、先生の後頭部に寝癖がついていることに気が付いた。跳ね上がっている柔い髪を見て、またさらに愛しさが募る。

「先生、」
「もう先生じゃないでしょ」

あ、そうだったね。私が小さく笑うと、先生もクスリと笑った。私は背伸びをして、雪と同じ色をした銀灰色の髪に手を伸ばした。

「カカシ、寝癖ついてるよ」

もっと心躍る世界がすぐ隣にあったとしても、乱れたあなたの髪に触れられるこの世界で、私は生きていたい。

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歌詞参考 milk/aiko







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