初秋の風が、黄色く色付いた稲の穂を揺らす頃、大きな産声を上げながらあなたは生まれた。

「おめでとうございます」

息子を取り上げた医師や助産師が皆口々に声を揃えながら穏やかな笑みを私に向ける。私も笑みを浮かべて礼を口にすると、大声で泣いている赤ん坊の体温を腕の中で感じた。

「生まれてきてくれてありがとう」

小さく呟いて、赤ん坊の手のひらに自身の指先を差し出すと、ほんの僅かな力で私の指をきゅっと掴んだ。ああ、私がこの子の母親なんだ。大好きな、彼との子供。思えば思うほど、嬉しくて涙が零れ落ちた。

「生まれたのか!?」

分娩室の外から聞こえたのは私の夫、サクモの声だった。

「院内は静かにしてください」
「すみませんっ」

看護師から注意されて慌てて謝る彼の声が廊下から聞こえる。私はふっと笑みを浮かべると、ようやく泣き止んだ息子の顔を見つめた。

黒目がちの瞳には青白い光が映り込んでいて、美しく輝きを放つ金剛石のようだった。穢れを知らない純真無垢な瞳に眩しく感じる。そっと、息子を抱く力を強くして、小さな命を肌で感じた。


.
.
.


「ねぇ、サクモ。この子の名前はカカシにしましょう。はたけカカシ」
「カカシ?」

病室に移動して、ようやく赤ん坊を抱くことができたサクモはとても嬉しそうに顔を綻ばせていた。よほど息子が可愛いのだろう。サクモの目尻は今までにないくらいだらしなく垂れ下がっていて、とてもおかしな顔をしていた。

「そう、カカシ」
「お前が名付けたいのならいいけど…またどうしてカカシ?」

疑問を抱いた声で訊ねるサクモに「それはね」と、わざと勿体ぶったような言い方で話す。

「この子にはどんなに強い雨や風が吹いても倒れることのない、人を優しく見守れるような人になって欲しいの」

気負いさせてしまう名前かなぁ。不安になり、サクモの顔を見ると、彼は穏やかな笑みを零して静かに頷いた。

「いいと思う。この子にはカカシと名付けよう。ほら、なんとなくオレの名前と似ているし、オレに似て良い子に育ちそうじゃないか」

冗談を口にするサクモにホッとして、「そうね」と私も答える。サクモの腕の中にいるカカシはいつの間に眠ってしまったのだろうか、目を閉じて、小さな寝息を立てていた。

「…ねぇ、この子も忍にするの?」
「そうだな…これからの里では忍は必要とされるからな」

それが例え、本望ではないとしても。ポツリと言葉を吐いたサクモの表情はとても悲しげで、私は彼の胸中を察した。この時代に生まれた限り、息子の未来は決まっている。ましてや白い牙と称えられたサクモの息子だったら尚更のこと。里のために。人のために。息子は守るための忍になる。悔しさよりも悲しみの方が強く感じたが、ぐっと呑み込み、代わりに仕方ないねと息を吐いた。

手を伸ばし、サクモの腕の中にいるカカシの頭を優しく撫でた。ぴくりと小さく反応したが、起きることもなく、気持ちよさそうに眠るカカシを見て、更に愛しさが募った。

これから先のカカシの人生には喜びは勿論、悲しいこともあるだろう。胸や体を引き裂くような別れの日だってきっとある。
だけどその時はどうか思い出して欲しい。いつでも私があなたのそばにいるということを。

強く願いながら手を静かに離すと、感じていた温もりがふっと消え去った。私は寂しさを紛らわすために、もう一度、カカシを見る。

小窓から入り込んだ涼やかな風が、サクモと同じ銀灰色の髪が揺れる。繰り返し聞こえる健やかな寝息を聞いて、私は彼と微笑み合った。


***


父さんの葬儀も終わり、しばらく経った頃。そろそろ遺品整理をしなくてはと思い立ったオレは、非番の日に作業を行なっていた。父さんが使っていた忍具、衣類、父さんの好きな本。残された父さんの遺品を見れば見るほど、父さんがこの家で生きていたのだと現実を突きつけられた。

『何か困ったことがあったらいつでも言ってね』

父さんが亡くなったあと、ミナト先生は心配な顔をして、オレにそう言った。
困ったこと?…本当は誰かに縋り付いて、泣き喚きたかった。「どうして」「なんで」とやり場のない怒りを誰かにぶつけたかった。

『いえ、大丈夫です』

だが、そんなことを言えるわけがなく、オレはただじっと黙って、痛みや悲しみを堪えた。

『ん。分かった』

先生は頷くと、オレの頭をそっと優しく撫でた。先生の手の温もりがあまりにも父さんと似ていたものだから、様々な感情が交じり合い、喉の奥がちりちりと痛む。

誰かに優しくされるのが嫌だった。弱い自分を知られるのが怖かったから。だからオレは先生の手を振り払い、背を向けて走り去った。弱さなんて見せない。これからは自分の足で強く生きてゆく、と。

――あとはここだけか。

押し入れの戸を引いて、中を窺ってみると、大きめのダンボールが仕舞われていた。ダンボールの外側には『衣類』と記載されている。これも処分だなとダンボールを引き出して外へと出す。ふと、戸が開かれている押し入れに目をやれば、薄べったい缶箱が奥にあることに気付いた。
なんだろう。不思議に思いながら少しだけ錆びた箱を取り出して蓋を開けてみる。すると中には、様々な形で折られた折り紙と手紙が入っていた。
劣化のせいか、茶色く黄ばんでしまった手紙を手に取り、宛名を確認する。
そこには「カカシへ」とオレの名が記されていた。父の筆跡ではないし、誰からだろう。怪訝に思いつつ、裏面に記されている名を読むと、ハッと息を呑んだ。

「母さんから?」

無意識に唇から漏れた名が、静寂な部屋に響き渡った。

『母さんは優しく、賢い女性だった』

まだ父さんが元気だった頃、一度だけ母さんの話を聞かされた事があった。誇らしげに語る父さんの顔は、嬉しそうに微笑んでいた。

オレにとって、母さんの情報はそれだけだった。見たことも話したこともない。どんな声をしていたのかさえ、知らない。だから母さんからオレ宛への手紙があることに驚きを隠せなかった。

恐る恐る封を切り、手紙を広げて読み始めてみると、そこにはオレの成長を願う内容が綴られていた。手紙と一緒に入っていた折り紙は母と折ったものだということ。父さんとの出会いや父さんやオレへの愛情。名前の由来。こうあって欲しい。こう生きて欲しい。少しだけ癖のある丸みを帯びた文字の言葉の端々には父さんとオレへの愛で溢れていた。

そして最後の一文を目でなぞった瞬間、目から生温いものが込み上げた。咄嗟に泣くものかと上を向き、涙を堪える。だが、重力に負けた涙はするりと溢れ落ちて、頬を濡らした。

「……なんて、無責任な言葉なんだ」

無責任で、理不尽だ。誰もいない部屋で悪態を吐いてみたが、無論、ぶつける相手がそこにいるはずもなく、オレの声は静かな部屋に散り去った。

「カカシいるー?」

不意に玄関先から今の状況と相反した、明るい声が響き渡った。聞き覚えのある声にハッとし、読んでいた手紙を封に入れて元にあった場所へと仕舞うとオレは玄関先まで向かった。
父の部屋以外に明かりもつけずにいたものだから、玄関に続く廊下が薄暗い。手探りで照明器具のスイッチを押すとカチカチと蛍光灯独特の小さな音を立てて明かりがついた。

「こんばんは」

白色の光に照らされた彼女は、両手に袋を持って満面の笑みを浮かべていた。彼女はオレよりも歳が一つ上の、みょうじナマエだ。家も近く、小さい頃から遊んでいたので、オレとナマエは幼なじみのような関係だった。

「…こんばんは」

発した声は自分でも自覚できるほどの冷ややかな声だった。だが、ナマエはオレの態度に臆することもなく、「家に上がっていい?」と笑いながら訊ねた。

「ほら、見て。家で採れたナス。食べきれないの。だからお母さんがカカシに持っていけって」

言いながら袋を開けてオレに見せると、ナマエは「カカシ、茄子好きでしょ?」と付け足した。

「好きだからって、さすがにオレ一人ではこんなに食べきれないよ」
「だからさ、一緒に食べよ。秋刀魚も持ってきたからさ」

嬉しそうに笑うナマエはオレの断りもなく、靴を脱いで家に上がった。

「ちょっと、待って」

慌てて腕を掴みナマエを阻止すると、ナマエは振り返り、何食わぬ顔で「何?」と訊ねた。

「何って…」

ナマエのあっけらかんとした態度に呆れて溜め息を吐くと、オレの態度が癪に障ったのか、ナマエは盛大に息を吐きながら「あのねぇ」と言い放った。


「だって、今日はカカシの誕生日でしょ?」


オレの、誕生日?思わず聞き返すとナマエは「そう」と強く頷いて笑みを浮かべた。そっか、今日は9月15日。オレの誕生日だった。すっかり忘れていたオレにナマエは「もしかして忘れていたの?」と、呆れたように嘆息を漏らした。

「誕生日を忘れるなんてあり得ない。ましてや特別な日を一人で過ごそうとしてたなんて考えられないよ」

はっきりと言い放つナマエにオレは「大袈裟だね」と返す。するとナマエは「大袈裟じゃないよ」と頬を膨らませながら反論した。

「今日はカカシの好きな料理を食べながら、カカシの生まれた日を一緒に過ごしたいの」

…だから、いいでしょ?ナマエは先程と打って変わり、控えめな態度で訊ねたあと、オレの返事を待たずに背を向けた。なんて答えればいいものだろうか。逡巡してる間にもナマエはぐんぐんと廊下を進んで行ってしまう。オレはナマエの小さな背中を見つめながら呆然と立ち尽くした。

「そうだ、言い忘れてた」

ナマエは何か思い立ったように声を上げると、くるりと振り返り、こちらに顔を向けた。


「カカシ、誕生日おめでとう」


ふわりと柔らかい笑みを浮かべたナマエの顔を見て、先程まで抱いていた悲しみがスッと消えてゆく気がした。そして同時に温かいものが胸に広がると、ふと、手紙の最後の一文を思い出す。

「母さんの伝えたいことって、きっとこういうことかな」

口布の下で頬が緩むのを感じて、ナマエの後ろに続いた。今日の夕飯は茄子の味噌汁と秋刀魚の塩焼き。心の中で好物の料理が食べられることを嬉しく思いながら、父さんとの思い出の部屋へ足を向けた。


「カカシへ

お父さんやお母さんはあなたをずっと愛してる。だけどいつかきっと、胸や体、頭や心をもがれるような、つらい別れの日が来るでしょう。
だけどね、忘れないで。そんな時にも必ず、愛する人がそばにいるということを」



歌詞参考 瞳/aiko

Happy birthday,Kakashi. 20.09.15.







×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -