いつも決まった時刻にやって来る彼は不思議な魅力を持った人だった。

夕方5時から夜の9時。これが私の勤務時間だった。大学生の私はまだまだ遊びたい盛り。親の仕送りだけでは友達と遊ぶ交際費が足りない。そこで私は小遣い稼ぎにと、コンビニで毎日のようにアルバイトをしていた。

一番忙しい時刻は夜の7時頃。多くの客が夕飯を買いにコンビニへ訪れる。大学から近いコンビニというのもあり、客の大半は学生がほとんどだった。

「あら、今日もバイトなの?」

私のレジに並んで訊ねたのは名前の如く綺麗な桜色の髪色をした春野サクラだった。彼女は私と同じゼミの子で、最近親しくなったばかりだった。

「そう。今日もバイト。明日もバイト」

肩を竦めて冗談気味に笑いながら答えれば、彼女、サクラも釣られて笑みを溢した。サクラは明るくて話しやすい女の子だった。共通する趣味もあったせいか、私達が仲良くなるのはあっという間だった。
あともう少し彼女と話していたい。しかしあいにく今の時間帯は混み具合がピークで、長話は出来ないでいた。現にサクラの後ろに並ぶ中年の男性が私達のやり取りを見て、コホンとわざとらしく咳をした。

「ごめん、またゼミで会って話しましょう」

サクラが購入したジュースと梅干しのおにぎりを袋に入れて渡せば、彼女も今の状況を察したのか、ふっと笑って頷くと袋を受け取った。

「そうね。楽しみにしてるわね」

手を振りながら去って行くサクラを見て、次に会うのが楽しみだな、と心が弾んだ。



夜8時30分過ぎ。この時間帯になれば混雑ピークは落ち着く。客層は学生から会社帰りのサラリーマンへと切り替わる。私はアスマ店長に指示された、商品の補充を行っていた。
陳列作業に集中するが、客がレジに並んだらすぐに駆け付けてレジに入らなくてはいけない。常にレジに人が並んでいないか、気を配りながら手早く品出しを行っていた。

〜♪

客が訪れた際に流れる聞き慣れた音が店内に鳴り響いた。すかさず「いらっしゃいませ」と言いながら客を確認すれば、私の手が止まった。

ーーいつもの人だ。

いつも決まった時刻にやって来る彼は不思議な魅力を持った人だった。背が高く、仕事帰りだと思うのにピシッと皺ひとつないスーツを身に纏い、珍しい白銀の髪色をした男性。大きめのマスクをいつも着けていて、顔は見た事はないが、なんとなく品がある風貌に目を惹くものがあった。

男性は私を一瞥すると軽く頭を下げて本が並ぶ棚に向かった。そしていつもお決まりのタイトルの本を手に取り、立ち読みを開始する。こうなると一時間はずっとこうして佇んで熱心に本に読みふけてしまう。
前にアスマ店長が注意をしたが、男性は凝りもせず毎日ここに来てはこうして本を読むのを繰り返していた。

「今日も立ち読みしてますね」

こっそりと隣で同じ作業を行なっているアスマ店長に声を掛けると店長は男性を見るなり盛大に溜息を吐いた。

「なぁ、お前に一つ頼みがある」

言うと、アスマ店長は手に持っていた商品を棚に置き、私のすぐ近くまで寄ってきた。

「なんですか?」

アスマ店長に合わせて小声で問い掛けるとアスマ店長は「すまないんだが」と前置きする。え、なんだろう。普段はこんな勿体ぶらず単刀直入に話す人なのに今日はどうしたのだろうと不安を募らせる。

「あの客に立ち読みをやめるように言ってきてくれねぇか?」
「え、私がですか?」

アスマ店長の口から出た言葉は思ってもいなかったものだったので、思わず聞き返してしまった。店長は私の問い掛けに「あぁ」と頷く。

「嫌ですよ。アスマ店長が言っても駄目だったんですよね?私なんか無理に決まってるじゃないですか」
「お前だからいいんだよ」

アスマ店長の言っている意味が理解できず、黙り込む私を見るなり「頼むっ」と今度は両手まで合わせた。まあ、私もここで働いている限り見過ごすわけにはいかない。ましてや店の責任者でもある店長に頼まれては指示に背く事は出来ないだろう。

「‥分かりました」

私の返事を聞くなりアスマ店長の顔がぱっと明るくなった。

「ほら、行った行った」

くるりとアスマ店長の大きな手により常連客の方向に体を向けられると最後にポンッと背中を押された。後ろ髪を引かれながらも男性がいる元へとゆっくり歩み寄る。なんて声を掛けて注意したら良いものだろうか。なるべく角が立たない言い方を考えてみるが、なかなか思い浮かばない。
思考を巡らせている内にあっという間に常連客の側まで辿り着いてしまった。どうしよう。立ち止まり、なかなか声を掛けない私に痺れを切らしたのか、背後からわざとらしくアスマ店長がコホンと咳をした。私ははっと我に返り、まだ注意する言葉が思い付かないまま「あの、」と客に話し掛けてしまった。

男性客は私の声に気が付いたのか、読んでいた本から私へと視線をゆっくり移す。その拍子にゆらりと風も吹いていないのに銀色の髪が揺れ動く。蛍光灯に照らされたその髪は柔い光を放っていて、思わず目を細めてしまった。

「なぁに?」

私の問い掛けに答えた客はひどく間延びした口調だった。隙を見せない、襟元にかっちりネクタイをした背広姿と呑気な声色があまりにもアンバランスで、思わず肩透かしを食らった。
客の影色の両目が私を捕らえる。鋭いその視線が怖くてピクリと私の肩が揺れた。アスマ店長が背後で見守ってるから大丈夫。言い聞かせながら手を握り締めて拳を作ると、固く結んだ口を開いた。

「…あの、長時間の立ち読みは困ります…」

気合いを入れて言い放った割にはなんとも心細い声だった。弱々しい私の声を聞いたアスマ店長が「はぁ」と背後で溜息を吐く。

「もしかして迷惑だった?」

てっきり聞こえていないと思ったが、客にはちゃんと届いていたらしく、一瞬だけ目を見開くとすぐに緩く弧を描いた三日月のような目で微笑んだ。

「迷惑というか…いや、迷惑でしたけど、気を付けてください」

自分でも何を言っているのか分からない。客は私の辿々しい言葉を聞くなり今度は声を上げて笑い始めた。マスクをしていて表情は窺えないが、思いっきり目尻に溜めた笑い皺を見る限りマスクの下では満面の笑みを浮かべているだろう。

何も笑うことないじゃない。

笑われている事が恥ずかしくて悔しくて、ぼっと頬に熱が帯びる感覚を感じながら私は下を向き俯いた。

「ははっ、いや、ごめんね?」

あまりにもおかしくて。未だ腹を抱えて笑う客とは対称的に私はふつふつと怒りが込み上げてきた。そもそも立ち読みしてるそっちの方が悪いのになんでそこまで笑われなくてはいけないのだ。

「分かった。じゃあこれとこれ買うから会計お願い」

恨めしそうに客を見やる私の視線に気付いたのか、客は読んでいた本と先程陳列したばかりの焼きプリンを手に取ると、レジに並んだ。
慌てて私もレジに入る。客は変わらず笑顔を浮かべて、私が商品をレジに通す一連の作業を楽しそうに見つめている。
何がそんなに面白いのだろう。怪訝に思いながらも客が購入した本を袋に詰める。焼きプリンも一緒に袋に入れようとしたが、本と一緒に入れると崩れてしまう。仕方なく別の袋に焼きプリンを入れようと袋の止め口を開いた。それを見た客は慌てて「それはいいの」と私を制した。

「それあげるから」

言って、私が手に持っている焼きプリンに指を差した。わけがわからない。ますます客を不審に思い、未だ棚に商品を並べているアスマ店長の顔を窺った。アスマ店長は「いいからもらえ」と声には出さず、口の動きだけで私に伝える。その顔はどことなく私と客のやり取りを楽しんでいるように見えた。
そんなこと言われても…。変わらず受け取る事に戸惑っていると、客は痺れを切らしたのか先ほどよりも強い口調で言葉を放った。

「いいから素直にもらいなさいよ」

客は私が手に持っていた焼プリンを奪うと先程入れようとした袋にさっと焼きプリンを入れて「はい、どうぞ」と受け渡した。

「お詫びの印」

ふわりと笑う彼の笑顔はつい見惚れてしまうほど優しい顔付きで、断る術をなくした私は焼きプリンが入った袋を受け取ってしまった。

「それでいいの」

男性客は私が受け取ったのを確認すると本を入れた袋を手に取り「じゃあね」と言葉を残して去って行ってしまった。

聞き慣れた、出入口の音色が鳴り響く。

私はしばらく客が出て行った入り口をぼうっと眺めて突っ立っていた。そっと袋の中身を確認すれば、カップに入った美味しそうな焼きプリン。それは私がいつもバイト上がりに買っているものだった。
ーーそういえば、お礼を言うの忘れちゃったな。明日は来るだろうか。袋の中身を見ながら頭に浮かぶのはあの柔く、緩やかに笑う男性客の顔で。淡い気持ちを抱きながら、焼きプリンが入った袋をそっと握り締めた。


(明日会えたら、ありがとうを伝えよう)


『ねぇ、アスマ。あの子の好きな食べ物って何?』
『あーバイト上がりにいつも焼きプリン買ってた気がする』
『ふーん』


 
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