部屋に入れて二日目の夕方、男はようやく目が覚めた。幸い、会社が二連休だったので、休みを取る事はしないで済んだ。ほっとした私は再び病院へ連れて行こうとしたが、相変わらず男はそれを頑なに拒んだ。 止血に使った血だらけのタオルやシーツをゴミ袋に放り込む。鉄の匂いが染み込んだそれらは恐ろしくて早く捨ててしまいたかった。 男の体を起こして包帯を巻いてゆく。腕を掴んだ時も思ったが、忍だから鍛錬を欠かさないのだろうか、逞しい体だ。そんな事を思いながら包帯を巻くのに必然的に抱きつく形になった。厚い胸板に羞恥心を感じて、目を逸らしながら手の感覚だけで包帯を巻いてゆく。 「…ごめんね」 ぽつり、頭上から低い声が聞こえた。私は声の主の方に顔を向けると男は申し訳なさそうに俯いていた。包帯も巻き終わり、なんて声をかければいいのか、そんな事を思いながら男の顔を覗き込む。 「!」 男と目が合うと私は言葉を失った。 …なに、この人。左右の目の色が違う。右目は深海の様に暗くて黒い瞳で左目は燃える様な赤の中に何かが描かれている。私があまりにも直視し過ぎてしまったせいか、男は目を伏せた。 …失礼だったかな。そんな好奇な目で見たら嫌な思いするよね。 男は伏せた瞼を持ち上げると目を細めて緩やかに笑った。 「本当だったら一般人を守るべき忍なのに、助けられるなんて、本末転倒だね。」 自嘲気味に話す男はなんとなく悲しそうに見えた。私は返す言葉が見つからなくて、必死に言葉を探すけど、なかなか口から出てこない。 「…あの、お腹減ってませんか?」 ようやく捻り出した言葉の後に何か食べたいものはあるかと聞けば、男は遠慮しているのか、何もいらないと口にした。ここ二日間、水分ぐらいしか取っていないのだから絶対に腹が減っているはずだ。私はお粥ぐらいは食べられるだろうと思い、キッチンに向かった。 土鍋に米と水を入れて火にかける。ぐつぐつと沸騰したら蓋を落とし、蒸らして出来上がり。 粥が入った土鍋、茶碗、蓮華に箸、それと梅干しが入っている小鉢をおぼんに乗せて男の寝ている寝室に向かった。 ドアノブを回して部屋を覗いてみると、規則正しい寝息が聞こえてくる。私は起こさないようにおぼんをテーブルに置き、熟睡している男のベッドの横に膝をついて顔を覗き込んだ。 …よく見れば、閉じている左目の瞼の上には痛々しい傷跡がある。任務中についた傷跡なのだろうか? 忍の事はよく知らないが、命を犠牲にしてまで里を守る者達という事ぐらいは知っていた。きっと、この傷跡も誰かを守るためにつけた傷なのだろう。 そう考えると私なんてちっぽけな存在だと思った。忍は里の為に命を削る思いで戦っているのに生温い環境の中で生きる私はただなんとなく働いて、さらには体を求める同僚を断る事さえ出来ないでいる。 本当に惨めで、汚くて、自分が嫌になる。 男を見るとそんな自分を思い知らされる気がした。 ーーきっと、忍と私達は住む世界も考え方も違うのだ。だから、仕方ないのだ。 そう自分に言い聞かせた。 *** どのくらい時間が経ったのだろうか。窓の外でチュンチュンと鳴く雀の声で目が覚めた。陽が差して少しだけ明るくなった部屋の天井をぼんやりと見つめる。 あれ?いつの間にベッドで寝ていたのだろう? お粥を作ってテーブルに置いて、男の顔を見ていて‥あれ?それからの記憶がない。もしかして私、あのまま寝てしまったのだろうか。ーーそういえば、男は? 慌ててベッドから飛び降り、部屋中を探したが、男の姿はどこにもなかった。 かなりの傷だったのに、もう大丈夫なのだろうか? 心配したが、寝室のテーブルの上に置いた空の土鍋を見て安堵した。 ーー全部、食べたんだ。 土鍋の脇にメモが置いてあり、そこには『ご馳走様でした』と綺麗な字でさらさらと書かれていた。 そうか、出て行ったのか。じゃあ、もう会う事はないだろうな。そんな事を思い、時計を見て慌てて職場に行く準備をした。 |