・仰げば愛し

 先刻の雨が室内を歪ませて、畳にうっすらと湿り気を巡らせる。
 小さな茶室は二階に誂えられていた。薄い障子を背に三郎とまみえれば空間は満たされている。ゆめは丁寧に腰を折って、前で揃えた手の甲に額がつくばかりに礼をした。

「いいえ、とんでも」
 三郎は軽く口調を切って返事をすると、顔を上げる所だったゆめを迎えた。ゆめの目に入るのは三郎の狐のお面。目を合わせるなり、思わずぷっと笑ってしまう。三郎もゆめの様子にくつろいでみせると、懐から扇を出して扇ぎ始めた。

「相変わらず、変装の達人なのね。本当の顔ちゃんと覚えてる?」
「本当の顔、ねぇ」
 思案気にひしひしと考えて見せる三郎にゆめは興味を止めて見つめている。

「あぁ、思い出した。これだったな」
 三郎の声につられて見ればゆめと同じ顔。驚いた顔をするのまで真似てみていて鏡に対したようだ。

「もう、からかって」
「はははっ」
 ひとしきり笑ってから、笑いの尾を引いて三郎は窓の外を見る。その視線につられてゆめもそれを見れば、窓から見える世界は高く、薄づきだした雲に先の細い三日月が揺らいでいた。ゆめが窓の外を向く間に、しならせるように腰をかき抱いた。

「え?」
 驚いて三郎を見るゆめ。三郎の掌が仮面にかかって、すると下げられたかと思うと、ゆめの視界はすぐに奪われて、確かな唇の温もりが残った。
 顔を離せば、もうどの覚えもない顔。ただ三郎本人ではないことは、あまりに作り込み過ぎたそれが物語っている。見つめている視線に答えて、三郎が笑った。

「さて、どの顔がいい?」
「ん……、ううん」
 ゆめは行灯の明かりを上から吹き消すと、はにかみながら目を伏せて微笑んだ。

「顔は要らない」





-完-




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