過保護なバーボンに迫られる



※長編設定
※安室さんの自宅を知ってる





誰しも調子が良い日があったり、反対に何をやってもダメな日があったり、生きていれば波があるのは当たり前のことだ。だが、波があると言ってもこういうのはどうなんだろう……キッチンでコーヒーを淹れる男の後ろ姿を見つめ、私は溜息を吐く。

「あの……スマホ使い分けたりしないんですか?」
「なぜ?」

2人ぶんのカップを持って、私の座るテーブルに戻ってきた男が不思議そうに聞き返してきた。なぜってそれはね、着信画面に「安室透」って表示されてると電話に出ちゃうからだよ。それで深刻に「今から会えますか」って言われると何も疑わずにホイホイと会ってしまうからだよ。今日みたいに。安室さんに呼ばれて玄関を開けたら、待っていたのが組織の人だなんて……いや、まあ見た目は何も変わらない、確かに安室さんなんだけど。
スマホについては自由に使える端末を複数所持しているのは間違いない。その一台を組織の人用にしてくれたら私は……着信画面に「組織のお兄さん」と表示された時点で逃亡できるのに。

安室さ……組織の人はこの直前まで外で何かいかがわしい活動をしていたのだろう。いつものようにきっちりと着込んだシャツの袖だが、よく見れば何ヶ所か焦げている。よほど慌てていたのか、タイも曲がっているし。

「それで、ナナシさんは本当に現場にはいなかったんですね?」
「ええ、さっきも言った通り直前にそこを通りましたけど、事件があった時は地下にいましたから。何ともないですよ?」

どうやら今日出かけていたデパートの近くで通り魔事件があったらしい。それを知った男は私に連絡を取ろうとしたようだ。が、私は地下の食品売り場にいたため電話は繋がらなかった。そこで今度は通り魔現場に急行したが、まだ地下でお惣菜を物色していた私がそこにいるはずもなく。
ようやく地上に出てきた私は通り魔の騒ぎを知るとともに、「安室透」からの電話を受けて、こうして家に呼び出されたというわけだ。

「ならいいんですが……怪我をした女性がいたと聞いたもので」
「さすが、情報が早いですね。まだニュースになってないのに」
「警察無線を傍受していました」
「…………」

カップから口を離して事もなげに言う男に、私は咳き込みそうになった。そこは普通に無線を聞いていたと言えば良かったのでは……?だってお巡りさんでしょ、と言いたくなったが、このお兄さんは違うんだった。本当に傍受していたに違いない。これ以上突っ込むのはやめよう……私は彼のやや乱れた服を見て尋ねる。

「そ……それより、お仕事の途中で抜け出して良かったんですか?お取り込み中だったんでしょう?」
「ご心配には及びません。最低限は片付けてきましたから」

男は澄ました顔でそう言った。曲がったタイは服を脱いでいた証拠だ。一体どういう状況で抜け出してきたのか定かではないが、これも突っ込んではいけない気がする。帰ろう……触っちゃいけない部分が多すぎる。

「そ、そうですか……無理しなくても、電話が繋がった時点で無事か確認してくれればよかったのに」
「困ったことにナナシさんは僕に嘘をつくので……この目で見ないと安心できません」

自分だって嘘つきのくせに男はそんなことを言った。そんなことないですよ、と笑って椅子から腰を浮かせかけた私より先に、男が立ち上がる。帰ろうとしている私の気配を目敏く察知したのだろう。向かい側からこちらにやってきて、スッと私のカップを取り上げた。

「本当に傷がないか調べさせてください」
「ないです。断言します。大丈夫です!」

と、きっぱりはっきり答えているのに、信用していないのか最初から取り合うつもりがないのか、男に腕を掴まれる。そのまますぐ隣の畳の部屋へ連行されて、私は逃げ腰になった。小さなテーブルとギターとベッドしかない、八畳の部屋だ。組織の人とのミスマッチ加減がすごい。その片腕を伸ばせば、部屋の入り口は簡単に塞がれてしまう。男は大きな体で元から広くもない退路をナチュラルに塞ぎつつ、笑った。

「男の家に上がっておいて、それで済むと思ってませんよね?」

ええ、安室さんなら純粋に私を心配してくれると思うので、それだけで済んだかもしれませんよね。言ったら大変なことになるから言えないけど。これはもう逃げられる気がしない。最近この人と会う機会がなかったので、そろそろ何か仕出かしそうな予感はしていたのだ。
私は溜息を吐いて、自分から隅にあるベッドへと移動した。意外そうにこちらを見つめる男に向かって、いや……男が着ているちょっと焦げた服に向かって、私はびしりと指を差す。

「いいですけど……先にあなたの傷を調べてからね」
「…………分かりました」

男は少しだけ驚いたように目を見開いてから、諦めたように頷いた。きっと怪我をしているだろうから、手当てしなければ。何もないと分かりきっている私を調べている場合ではないのだ。それでもって優しく看病したら、迅速に帰ろう。組織の人も優しさに飢えていそうだから、絆されるに違いない。
ベッドに座った私の目の前で、長い褐色の指が乱れたタイを引き抜き、シャツのボタンを上から順に外していく。次第にあらわになっていく、見惚れるほど無駄なく引き締まった男の体を眺めながら、私は思った。


あ、なんかこれ……早まったかも。





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