ダメ男を演じる安室透が陥落するまで4


トン、とスマホをタップして、バーボンは深いため息を吐いた。おかしそうに笑う女の声がまだ耳に残っている。バーで焚きつけられたその日のうちに知らない女性を捕まえたことがよほど面白かったようだ。だから報告したくなかったんだ、と眉間に皺を刻み、スマホをポケットに入れる。
探り屋と呼ばれ、容姿が整っていることもあって「女性を騙して情報を得ている」というイメージを組織内で持たれているバーボンだが、実際そんなことはない。もちろん使えるものは自分の容姿でも使う主義だし、今回のようなことも稀にはあるが。行動を共にする機会が多いベルモットはそんなバーボンの本質を知っているのに、享楽的とでもいうのか、あなたはそういう男でしょう?とばかりにからかって遊んでいるのだ。

「……はぁ」

眉間に寄った皺を伸ばして、目の前のドアの鍵を開ける。仕事は待ってくれない。ギイ、と重く軋んだ音に、中にいる人物が竦みあがる気配がした。

「っ……!」

狭くて日当たりの悪い部屋に足を踏み入れる。そこにいたのは男だ。精一杯逃れようと身を捩っているが、頑丈な柱に手足を拘束されている状態ではどうにもならない。現れたバーボンを見て男が息をのんだ。

「ひっ……お前、バーボン……!」

「おや、僕の顔を知っていましたか。それなら話が早い。しかし馬鹿なことをしましたね。メンバーでありながら組織の中で盗みを働くとは」
「し、知らなかったんだよ……あの荷物がネームドのものだったなんて!見逃してくれ……」

黒いベストの内側に差し入れる白い手袋が、男にはスローモーションのように見えているに違いない。取り出すと同時にグリップを握り込み、セーフティを解除したシルバーの銃口が見開かれた瞳に映る。石像のように固まる男が蒼白になって唇だけを震わせていた。

「……頼むよ……」
「あなたの悪事に気づいたのは今のところ僕しかいませんから、見逃すのは簡単なことです。でも、それで僕にどんなメリットがあるんです?」
「なんでも、なんでもあんたの言うことを聞くよ!俺が持ってる情報も渡すから……!」
「…………」

バーボンがすうっと目を細めても、今度は動じなかった。覚悟の見えるその目を見て小さく鼻を鳴らし、突きつけていた銃口を下ろす。今回はそこそこ使える奴のようだ。銃を内ポケットにしまい、わざとらしく溜息を漏らした。するり、上質な糸で縫われた手袋を外すと、特徴的な褐色の肌が露わになる。

「まあいいでしょう。盗まれた方は間抜けにも気づいていないようですし、僕が後始末をしておきますよ」
「ああ、ありがとう……あんた話せばわかる奴だったんだな……なあ、早くこれ解いてくれよ」

バーボンの動作を眺めながら男が懇願した。一歩近づき、バーボンは男を見下ろしてにこりと笑う。

「連れ立ってここから出るわけにはいきませんからね。お喋りをして疲れたでしょう。少し眠るといい」
「……え?」

ウォーミングアップのように重ねた浅黒い両手から、パキ、と関節の鳴る音が静かな部屋に響く。
男の顔が再び恐怖に引き攣った。



「おかえりなさい」

玄関を開けると、ナナシが出迎えてくれた。
ゆったりした部屋着で自分に微笑む害のなさそうな女性、というものに数年無縁だったせいか、踏み入れたそこが別世界のように思えてならない。遅かったねとか、ご飯はどうしただとか言われて、恋人とは確かにこういうものだったな、と安室は思い出した。
ソファに並んで座ると、緊張ぎみに彼女が尋ねてくる。

「そ、それで……お化け屋敷は?」
「…………」

ごくり。そんな心の内が手に取るようにわかる。もう何度もアルバイトを投げ出しているのだ、今回もそうだろうと彼女は予想しているだろうし、安室もダメ男演出のため頭を掻きながら「えへ、辞めました」と言うつもりだった。しかし、なぜか抵抗があって言葉が出てこない。

「その……言いにくいよね?もしかしてなんだけど今日でクビになっちゃったとか」
「…………いや」

思ったより低い声が出て、ナナシが不思議そうに覗き込んでくる。
安室透、バーボン……名前は何でも良いがこの体は常に目まぐるしく働いている。今日だってベルモットに電話で笑われても軽く受け流したし、放っておいたら盗みに気づいた幹部に殺されていたであろう組織の下っ端を助けてやった。だからなんだ、仕事だろ。と、安室は自身の思考を頭の中では一蹴したが。

「今日は……男をひとり」
「ん?男のお客さんがきたってことかな」
「じゅ……拳で脅して」
「こ、こぶしで脅かすお化け?どんなコンセプトなのか気になる」

不思議な話に驚きながらも、バイトを辞めていないと知るとナナシは「えらい」と言って安室の頭をわしゃわしゃと撫でた。初日にバイトを辞めなかっただけでこの扱い、どれだけダメな印象を与えていたのかわかるというものだ。

「…………」

いや待て、こんな話をするつもりじゃなかった……。そもそもバイト自体が存在しないのに何をやっているんだ。安室は撫で撫でとされながら内心で頭を抱える。まあナナシは全く怪しんでいないし、そう、これは取るに足らない恋人同士のスキンシップだ。バイトは明日辞めればいい(?)。ここに来てからこんな風に触れられたのは初めてで、ちらりと様子を窺うと背が高いから疲れたと言って彼女は手を下ろした。
ジッ……と突き刺さるような安室の視線を受けてか、ナナシが首を傾げる。

「どうかした?」
「いえ……明日のお弁当、僕が作りますね」

急に何かしたいと思ってそんなことを口に出していた。料理は下手なふりをしているだけで実際はそこそこできる方だ。いま包丁を持ったらどんな料理が出来上がるのか、失敗するのかしないのか安室にもわからない。すくと立ち上がったが、ナナシは当然ぎょっとする。

「えっ、急にどうし」
「さ、今から仕込みをしましょう!」
「透くんやめて!私のランチタイムが地獄にぃっ!」

嬉々として身につけたエプロンを、慌てて伸びてきた細い腕が引っ掴んだ。


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