ダメ男を演じる安室透が陥落するまで3


さて、強引に同棲することになったわけだが、安室透には焦る理由があった。例の任務は十日後。普通に恋人になったのでは期限までに何回ナナシと会えるかわからない。その間にも本職である警察の仕事は入るし、組織の任務が急に回ってくることもある。純粋に親密になる時間がないのだ。
彼女が動揺している間に押し切ったため、冷静になってから「やっぱりそれは……」とならないように安室は手を打った。
家賃や光熱費、食費等は折半。彼女が合意するまで体の関係は持たない。その提案を聞きながら、やはり迷惑をかけたという負い目からか彼女は最終的にこくりと頷いたのだった。


シュー……という音が次第にパチパチと弾けていく。その音に混じって勢いよく噴きあげる火がじりじりとフライパンの底を舐めた。
袖を捲りあげた褐色の腕とエプロン、楽しげな表情に陽気な鼻歌。一見、料理好きのイケメン男子を思わせる。だが見るものが見ればフライパンの状態と男の様子はあまりにも不釣り合いだ。

「わあああ!焼きすぎ!」
「え?」

慌てた様子でナナシが安室の元へと駆け寄ってきた。フライパンに乗っている餃子は既にまわりの羽が黒っぽく変色しつつあり、返さなくても悲惨なコトになっているのがわかる。

「焦げてるじゃないですか!」
「あれ、本当ですね。すみません……よく焼くと書いてあったのでその通りにしたんですけど」
「それは適度に。様子を見ながら適度に、でいいんですからね!」

単にフライパンに乗せて火をつけるだけの簡単なお仕事。冷凍食品なので調理時間も袋に全て書いてある。慣れた人間でもうっかり目を離して焦がしてしまうことはあるが、最強の火の加減からして明らかにうっかりというレベルではない。
「わかりましたー!」と笑顔を見せる安室を見て、ナナシはなんともいえない不安そうな顔をした。……ここ数日同じようなやりとりを繰り返している。
料理だけではない。同棲を始めたその日から安室はよく働いた。率先して片付けを引き受け、棚の高い位置の掃除なども買って出た。けれどそのどれもがうまくいかない。皿は割るし棚の取っ手は不良品だったのかと錯覚するくらい気軽に引きちぎる。結果的に仕事を増やしてしまっていた。
はじめのうちは安室に対しておそるおそる接していたナナシも、呆れが上回ったのか数日でかなり打ち解けたように見える。

「どうやって生きてきたの?」と言わんばかりの視線はつらかったが、安室の狙い通りに事が運んでいると言えよう。

「あ、じゃあ僕はこれレンジで温めますね」
「待って、鷲掴まないで。それはお皿にあけないと爆発するから……!」

悲痛な指先が安室に向かって伸びた。




「え、また?」
「思ったより肉体労働が多くて……」

様子を窺うようなナナシの視線にも慣れつつある。
最初はダーツバー、次はレストラン、そして今回はペットショップ。彼女に出会ってから安室透が経験したアルバイトだ。掛け持ちしているわけではなく、単にどれも続けられずに辞めている。もちろん実際はバイトには行かずに組織や他の活動をしているので全て作った話ではあるが。
家事全般壊滅的なうえ、仕事も長続きしないフリーター。約束の生活費は辛うじて支払っているような状況だ。

「すみません……次に見つけてきた仕事は大丈夫だと思います」
「何の仕事?」

ソファでチラシを眺めていた安室の隣にやってきて、ナナシは腰を下ろしながらそれを覗き込んだ。見やすいようにと腕の位置を低くした安室の顔をチラッと見てから、その視線が下がる。すると純粋な興味のみだった表情がみるみる不安そうに曇っていった。

「……お化け屋敷のスタッフ?」
「はい。テーマパークの中にあるらしいです。お客さんを怖がらせる役ですね」
「透くんにできる?」
「平気ですよ。マニュアルがありますし」

にこりと裏のない笑顔で言い切ってみせる。次々とバイトを投げ出すくせに図太いやつだな、と、安室自身思わないでもなかった。
安室透があまりにも害のない人間だからか、何も出来なくて手のかかる子供のように思われているかのどちらかだろうが、いつの間にかナナシの呼び方は「安室さん」から「透くん」に変化して口調も砕けたものになっている。かといって恋人らしいやりとりはまだない。これで恋愛感情でもあれば別だが、こんな男にはできれば早めに出て行ってもらいたいと思うのが普通だろう。
自分の目的を果たして短期間で後腐れなく別れる。それが安室の狙いで、彼女の方から別れを切り出してもらうのが望ましい。だから任務の日以降にスムーズに彼女が行動に移せるよう、調整しながらダメな男を演じているのだ。
じーっとチラシを見つめていた彼女が顔を上げる。

「でも……」
「はい?」
「透くんって、意図的に人を脅かすの苦手そう」
「……そうですか?」

意外なことを言われて、それがずばりその通りだったので少し驚いた。もっともそれは「本来の自分」であって、今ここにいる安室透とはほど遠い。安室透は明るくてわりと何でも乗り気でやるキャラクターだ。お化け屋敷のお化け役もむしろ楽しんでやるだろう。周囲に与えている印象も同じだと思っている。だから彼女の言葉は受け流さなければならない。

「んんー……でも、こんなイケメンが出てきたらびっくりして腰抜かすかも」

だから、案外適任かもね。そう言って笑うナナシの表情に初めて見入った。
もう少し彼女の話を聞いていたい。それは出会ってから初めての感情だった。


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