ダメ男を演じる安室透が陥落するまで2


「え……え? なんで……?」

ひどく焦ったような声が聞こえて、バーボンはゆっくりと瞼を上げた。このところろくに睡眠をとっていなかったからか、寝たふりのつもりがうとうとしてしまったようだ。自分の腕の中から抜け出そうとしている気配の主を引き寄せると、ひぃっと小さな悲鳴があがる。シーツの中で触れている肌はすべすべとしていて柔らかい。
開いた視界に、驚愕に染まった女の顔が見えた。朝目覚めて男に腕枕されていたのだから、こういう反応になるのは仕方がない。しかも二人が寝ているのは彼女にとっては見慣れたベッド。

「おはようございます」
「っ、お、はよう、ございます……」

放っておいたら一生バーボンを見つめていそうな女に声をかけると、辛うじて返事をした。それきり言葉が出てこない彼女の視線は忙しく動いている。おそらく昨夜のことを必死で思い出そうとしているのだろう。

「昨日は無理をさせてすみません。体、大丈夫ですか?」
「あ……うっ……あの、えっ……?」

ナナシさん、と名前を呼んで微笑んで見せると、彼女の顔に書いてある「まさか」という絶望が色濃くなる。この状況ではやってしまったと思うのが普通だろう。全裸ではないが白い素肌に一枚だけ身につけたキャミソールと、下半身は下着のみ。それで半裸の男に抱かれているのだから。
健康的なピンク色の唇が震えるのを、バーボンは至近距離からじっと眺める。

「……私……お、お兄さんに大変なことを……」

そこはお兄さん「と」大変なことをじゃないのかとバーボンは思ったが、あくまでも自分が悪いということらしい。バーを二人で出た後も元彼の愚痴に付き合っていたので、そこは覚えていて罪悪感があるのかもしれなかった。しかし肝心な部分は思い出せずに混乱している。それはそうだ、同じベッドに入っていただけで何もしていないのだから。
バーボンは彼女に顔を寄せ、こめかみに唇をそっと押し当てる。

「ねえ……昨日言ったこと、覚えてますか?」
「っ……?」
「僕の恋人になってくれるって言いましたよね」
「え!?  や、それは……実はわたし、」

覚えてない、という台詞を遮るようにシーツを跳ね除けて華奢な肢体に覆いかぶさると、彼女が焦ったように悲鳴をあげた。昨夜もほぼ無抵抗の状態で確認はしたが、こうして組み敷いてもどうやって逃げれば良いかわかっていない。確実に素人の女だ。自身の読みが間違っていなかったことにバーボンの薄い唇が弧を描く。

「服着て……!」
「え? 下は履いてますよ?」
「そういう問題じゃない!」
「あんなに僕を受け入れてくれたのに、まさか覚えてないなんて悲しいこと言わないですよね……何なら今からもう一回」
「ひぃっ、わかったからどいてください!」

羞恥と混乱で今にも泣きそうな女を解放して、バーボンは考えた。
……「バーボン」は普通の女性には刺激が強すぎるかもしれない、と。
この様子だと「責任を取れ」とでも詰め寄れば言うことを聞きそうだが、禍根を残すやり方をバーボンは好まない。降って湧いたような出来事だ。「一夜過ごしただけの相手」の気持ちを明確に示して彼女を安心させなければならない。
いやそもそも、こういう状況で責任を取るべきは男だとバーボンは思うのだが。
彼女の元恋人は几帳面で他人に厳しい性格だったようだ。仕事が忙しかった男に遠慮して我儘を言えず、結果的に二股をかけられて別れた。……という話を昨夜五回ほど聞かされた。
仕事に理解のある女の何が不満なのかバーボンにはわからないが、とにかく彼女は現在、そういう男に辟易している可能性がある。色々とふまえて正反対の男の方が取り入りやすいだろうなと、こちらを窺う女を見ながらバーボンは思考を完結させた。

「安室透です。僕の名前」

できる限りの人好きのする笑みでにこりとすると、彼女はうっと小さく呻く。昨夜酔った勢いでぽろりと言っていたが、バーボンの顔は好みの真ん中であるらしかった。

「……安室透、さん」
「随分と他人行儀ですね」
「で、でもいま初めて聞いたような……本当にごめんなさい。昨日は飲みすぎてしまって大変な……その、ご迷惑を」

そう言ってうつむく顔は赤い。昨夜あったであろうことを想像して羞恥にかられているのだろう。ちらりと一瞬だけ視線がバーボンに向けられるも、先程まで彼女の枕になっていた腕が視界に入ると、焦ったように逸らされる。そこに嫌悪はなく、感触は悪くなさそうだ。
バーボン……いや、安室透は予め準備していた言葉を並べ始める。

「僕の方こそ、すみません……」
「どうして安室さんが謝るんですか?」
「僕ひとりで盛り上がってしまって……あなたが困惑されているのは分かってるんです。でも、昨日勇気を出して告白したら返事をもらえたのが嬉しくて」
「っ……!」

やっぱり私、オッケーしたの!? と顔に書かれている彼女を見て、安室は笑ってしまいそうになった。持ち上げた唇の端を誤魔化すように首を傾げて、更なる攻勢に出る。

「ところで……荷物はどこに置いたらいいですか?」
「荷物?」
「昨日もお話ししましたが、アパートの改修工事で追い出されてしまって……住む場所がないんです」
「……え」
「危うく公園で野宿生活になるところでした。あなたと出会ったのも運命かもしれませんね」
「…………」
「そういうわけで、しばらくお世話になります」

いやあ、本当に助かりました。頭を掻きながら爽やかな好青年の顔で笑うと、彼女は目をまんまるにして絶句した。


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