約束する



・警察庁長官官房???課のお姉さんと警備局警備企画課のお兄さん
・お互いに秘密の部署なので名前だけ知ってる
・稀に見るイケメンかつレアキャラなので警察庁内で女性職員達の娯楽と化す降谷
・ポアロの職場バレ
・やることが派手すぎて潜入中にも関わらず何回も呼び出される降谷さん






ナナシが下の階に向かうエレベーターに乗り込むと、すぐ後からグレーのスーツを着た背の高い男がやってきた。ナナシはちらりと男が乗ったのを見て、ドアの閉ボタンを押す。平日の昼前だがこのフロアには一般の職員がおらず、エレベーター内にはふたりだけだ。金色の髪に褐色の肌は随分と人目をひくが、ここにいれば彼を知らない人間はいないだろう。否、知らない人間がいないというのは少し違う。というのも、誰もが彼を見てその外見を記憶に留めはするが、本当の素性を把握する人間はいないからだ。
下降を始めたエレベーターの中、はぁ、と男が小さく息を吐いたのを聞いて、ナナシが苦笑する。

「だいぶやられてましたね、降谷さん。廊下まで声が聞こえてましたよ」
「ええ……先日ちょっとやりすぎてしまいまして」

男の名前を降谷という。それは数少ない、ナナシが知る男の情報だった。登庁すること自体があまりない彼とこうして顔を合わせる機会があるのは、男がいつも呼び出される部署とナナシのオフィスが近いからだ。とはいえ同じ部屋の同僚はまだ一度も降谷と顔を合わせていないらしいので、運もあるだろう。いつもタイミングよくこんなイケメンにお目にかかれるなんて自分はラッキーだと、ナナシは思っていた。

「やりすぎたって、具体的に何を?」
「……ちょっと首都高を機能停止に追い込んでしまいました」

男はさらりと恐ろしいことを言った。少し前に大きな事故があったのは確か首都高だったか。そう言えば審議官のひとりが今にも飛び降りそうな顔をして窓際にいたのもその頃だった気がする。きっと深く関わったらこっちが飛ばされてしまうくらいのヒミツを持った人なんだろうなぁ、ナナシはそう考えて、ゆっくりと停止したエレベーターから降りた。男もついてきて、ふたりは廊下を並んで歩く。

「懲戒案件じゃないですか、怖すぎる……呼ばれるの何回目ですか?」
「……3回目」
「でも普通はもっと上の人が呼ばれるでしょ?あ、降谷さんってその若さですっごく偉かったりします?」
「僕なんて下っ端ですよ。見たことないでしょう?僕の名前」

確かにナナシは降谷の名前を警察庁内で見たことがない。勿論、各部署のリストを全て把握しているわけではないし見ようと思えば見られるのだが、こういった人物の場合はそもそも名簿に乗っていないか偽名ということもよくある。探すだけ無駄だろう。

「……確かに、先月の監査対象者の中にも降谷さんのお名前はありませんでした。というか最近は滅多に登庁しないですよね」
「このために来てるようなものですよ……先般の物騒な事件で上層部は相当過敏になっているようで。まあ仕方ないですね」
「本音は?」
「……ジジイどもの鬱憤晴らしに付き合ってやってる」
「しっ辛辣!」

しばらくはおとなしくしてますよ、そう言ってナナシに歩幅を合わせてくれる降谷という男は、正体不明にも関わらず警察庁内で……主に女子の間で絶大な人気を誇っている。第一にこの外見だ。ただ滅多に姿を見せず、長官官房総務の御局様を持ってしても彼の情報は得られなかったことから、おそらく刑事局か警備局所属で意図的にデータを改竄・抹消している。ゆえに深入りはしない方がいいという暗黙のルールが出来上がっていた。偶然見かけたらその日はいい気分になるという、一種の娯楽のようなものである。
おとなしくすると言いながら、きっとまた来月には溜息を吐きながらエレベーターに乗り込んでくるこの男に出くわすのだろう。容易に想像できてしまってナナシはおかしくなった。くすくす笑い出したナナシを見つめる男は、少しだけ笑っている。

「そういう君は?」
「はい、最近は平和で何事もなく……その節は本当にありがとうございました」

立ち止まってぺこりと頭を下げたナナシに、男も足を止めた。
退勤時に誰かにつけられている気がする……廊下の端でそんなことを同僚の女性職員にこぼしていて、それを偶然聞かれてしまったのは、今から三ヶ月ほど前のことだった。その後に呼び止められて、一体何の用事だろうと内心慌てるナナシに、盗み聞きするつもりはなかったけど……と前置きして、男が対処法を教えてくれたのだ。それは立ち話程度の簡単なものだったが、実践して以来誰かにつけられているという感覚もなくなり、安心して家に帰ることができている。会話の中でこういったことは専門分野なので、と言っていたことから、男はあまり登庁せずにどこか別の場所でデスクワークではない仕事をしているのだろうと、その時のナナシは思った。
それまでは挨拶程度だったのが、あれをきっかけに顔を合わせればこうして話をするに至っている。

「何かあったら遠慮なく連絡してください。僕はここにはあまり来ませんが、近い場所にはいますので」
「ありがとうございます。降谷さんも怒られたからって落ち込まないでくださいね。降谷さんを呼び出していやらしい目で見たオヤジには鉄槌を下しておきますから!」
「…………ありがとう」

君が言うと何だかシャレにならないな……と男は苦笑する。ナナシもまた、男と同じように大っぴらに名乗るれるような所属ではないのだが、男がナナシに名前以外を聞いてきたことはなかった。ほとんど登庁しないので内部のことに興味がないのかもしれない。
と、そこで正午を告げるチャイムが廊下に響く。今日はナナシと一緒にランチをする予定だった女性が風邪を引いてしまい、ひとりになったのでどうしようかと思いまだ決めていなかった。近くにできたというカフェに行ってみようか、と一瞬考えて、ナナシは思い出したように声を上げる。

「そうそう、私の同僚が降谷さんのこと喫茶店で見たって言ってて。もしかして降谷さん、組対の人だったりして」
「ん?」
「その喫茶店の上の階にいる探偵、暴力団と繋がりがあるんじゃないかって一時期疑われてましたし」
「……え?」
「すっごくキラキラしててスマイルゼロ円みたいな愛想振りまかれたって言ってました」
「……それは言わないでくれ……」
「そうだ!私も降谷さんが働いてるお店に食べに行っていいですか?名前は……何だったかなぁ、確かこないだのマル秘回覧資料に、」
「やめてください……」

回覧しないで、お願い。そう言った男の声は切実だった。
情報収集能力に長け、話題に飢えた察庁内の女性職員達がイケメンに費やす本気度が計り知れないことを如実に表した実例である。大きな体で困ったように肩を落とす様子が可愛らしく思えて、ナナシが笑いを堪えていると、男はどこか諦めたように息を吐いた。

「昼はいつも外食なのか?」
「……え?うーん、半々ですけど、最近太ったのでお弁当が多いですね」
「明日、店で評判のハムサンドを作ってくるよ」

だから一緒に食べないか、そうやって唐突に思いがけない提案をしてきた男に、ナナシはどきりとして言葉を詰まらせてしまった。今まで見ているだけで、最近になって会話することはあっても、こういうお誘いを受けるとは思わなかったのだ。暗黙のルールがちらりと頭を過ぎったが、あれは自分の身を守るためのものであって、抜け駆け禁止という意味ではない。無言でこくこくと頷くと、男が安心したように笑う。ナナシはその顔を見て、本当に今更だが、この男が自分の前ではよく笑っていることに気付いた。いつも遠目からその姿を見る時は、笑っている印象がまるでないのだ。なぜこのタイミングで気付いてしまったんだ……ナナシは己の迂闊さを色々と呪いたくなった。

「あれ、でも降谷さん……明日も来られるんですか?」

滅多に姿を見せない男が2日連続で登庁することを不思議に思ってナナシが尋ねると、男はそっと溜息を吐いて遠い目になる。

静かに語った男によれば、明日は東都水族館を半壊させた件で別の部署へ呼び出されるのだそうだ。






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