寝言をいう降谷さん


※降谷さんのLINEの食材の切り方より
※夢主設定何でも(思い込み激しめ)





この人も人前で普通に眠るんだなぁ、そんな風に驚いたのはもう随分と前のことだったように思う。ふだんは無駄にキラキラした完璧なイケメンでも、瞼を閉じて寝息をたてているとあどけなく見える。まあ幼く見えても結局顔がいいことに変わりはないが。起きている時は視界に入らないような視線にも気付くくせに、こうして眺めていても起きる気配はない。疲れているのだろう。ベッド脇の畳に座り込んでぼーっと、その端正な顔を眺める。ほんの僅かに開いた薄い唇から、微かに吐息が漏れる音を聞いて、ちょっとどきりとしてしまった。
やがてその唇は閉じられて、ん……と短く声を発する。夢でも見ているのだろうか。夢を見る時は眠りが浅いと言うから、このまま眺めていたら起こしてしまうかもしれない。今更ながらそっと離れようとした私の耳に、少し舌足らずな低い声が聞こえてくる。

「……もう一回」
「えっ?」

つい聞き返してしまって、私は自分の口元を手で覆った。彼は未だ目を閉じたまま、穏やかに息をしている。……寝言だ。そもそも彼が寝ているところをじっと見る機会自体が限られているのだが、寝言は初めて聞いた気がする。職場では厳しい人らしいから、夢の中で部下に仕事のやり直しでも命じているのだろうか。

「もっと……腰を落として……」
「え……?」

しかし、続いて聞こえてきたのはそんな言葉。……腰を落とす?どういう状況?正拳突きか何かですか?でもボクシングに正拳突きはない。それにさっきから誰かに命じているような……。ま、まさか空気椅子を部下へのお説教に取り入れてるとか?降谷さんのことだ、罰を与える時でも効率を考えて、仕事をしながらできるものを選ぶに違いない。ツッコミ役が寝ているせいであらぬ方向に繰り広げられる妄想は止まりそうもなかったが、次に彼の口から聞こえてきた寝言は、私の思考を停止させるには十分だった。

「そう……もう少し……締めて」
「……っ!?」

ガッターン!と、近くにあった黒いテーブルが派手な音を立てて逆さまになった。ぶつかった膝が痺れたが、それ以上の衝撃が頭の中を駆け巡ったため痛みはさして感じない。驚いてその場で飛び上がった私は立った姿勢のまま、ちっとも冷静じゃない頭で考える。いや、ちょっと待って。最初の寝言から全部繋げてみて。そ、それは寝言で喋ってもいい内容なんですか?それ、普通に夜のレッスン的な内容ですよね?なんか最後のちょっと悩ましげな声だったし。っていうかあなた夢の中で何やってるんですか?僕はそういうことしてないとか言ってたけど、やっぱり嘘だったんだ。どうせ組織のお兄さんが若い女の子を引っ掛けてエッチなコト教え込んで情報とか集めちゃってるんでしょう?夢にまで出てくるほど、普通にやってるってことでしょう?最低……最低だ。
私は握り締めた拳をふるふると震わせながら、口で大きく息を吸って、吐いた。大きな音を立てたにも関わらず、男はまだすやすやと寝ている。どうしよう……いや、というか、これ以上聞きたくない。とりあえず今はこれ以上この男を喋らせちゃ駄目だ。対処法が思いつかなかった私は、もう聞きたくない一心から、身を屈めてそっと彼に手を伸ばす。そして……気持ち良さそうに呼吸をするその唇を手で覆った。

「!!」

ほぼ同時。強い力でベッドに引き摺り込まれて、視界は反転する。ぼすりと、黒い枕に私の後頭部が埋まった。あまりにも速すぎて悲鳴を上げる暇もなかった私は、口を半開きにして瞬きを繰り返す。

「………………?」

しかし、それ以上に私をベッドへ引き倒して上に乗ってきた男……降谷さんは、ぽかんと口を開いていた。瞬時に異変に気付いて眠りから覚醒し、即押さえ込んでくるなんて……私なら口を塞がれた時点で海で溺れたと思ってバタ足を始める自信がある。見下ろしてくる降谷さんは、「……あれ?」という感じのままずっと固まっているので、私は組み敷かれた状態でおそるおそる口を開いた。

「おはようございます……」
「おはよう……ございます」

起き抜けの掠れた声が返ってくる。やはり直前まで夢の中だったようだ。

「…………」
「…………」

ふたりはしばし見つめ合う。幾度か瞬きをした降谷さんがこれは現実だとようやく受け入れたのか、えーと……と前置きして私に尋ねてきた。

「ナナシさん、僕がこの体勢で聞くべきかどうか分からないんですが……この状況を説明できますか?」
「あ、はい、私が寝てる降谷さんの口を塞いだらこうなりました」
「…………何故?」
「ふ、降谷さんが……悪いお兄さんだからです!」
「……え?僕が?何て?」

片眉を上げ、意表を突かれたような顔で疑問符を浮かべる降谷さんに、先程の怒りが再び湧いてくる。そうだ。夢の中で女の子にあんなことやこんなことさせて喜んでた(誇張表現)くせに。じとりと見上げると、ほんの少しだけ目を大きくした降谷さんが斜め上に視線を遣った。自分が何をしたのか考えているのだろう。しかしこの様子じゃ、さっきまで見ていた夢のことは覚えていないに違いない。もし覚えていたら少しは後ろめたく思うはずである。私はとにかく目の前の男に文句を言わなければ気が済まなくなっていたので、思いついた言葉を次々と投げつけた。

「本当に最低。サイッテーな男です!悪の組織!」
「…………まったく意味が分かりませんが、分かりました」

私に視線を戻した降谷さんはジッとこちらを見下ろしてから、一度だけニコリと綺麗に微笑んだ。それは普段の降谷零とはまた違った笑顔で、それでいて彼が演じる安室透や、まして組織の男のそれでもなかった。もう少し私が落ち着いていたら気付けたのかもしれない。いつもなら彼は私を優しく宥めて怒っている理由を聞き出し、誤解を難なく解いただろう。だが私にとって不運なことに、このとき降谷さんは三徹明けだった。それはもう寝起きで機嫌が悪かったし、色々なものが処理できていなかった。目は据わっていたし、口は笑っていた。
逞しい腕が私の体ごと抱き込んで、ばさりと掛け布団の中に潜り込む。薄いシャツごしに密着する互いの肌と暗くなった視界に慌てて暴れようとしても、遥かに体格の大きな男に抑え込まれていては無駄な努力だった。スカートの裾を押し上げて入ってきた大きくて熱い手に、びくりと腰が跳ねる。一番柔らかな内腿の部分にぎゅっと男の指が食い込んで、感触を確かめるように親指がうすい皮膚を撫でてきたので、私は思いきり彼のシャツを引っ張った。もちろん、そんなことで止めてもらえるはずもない。布団をかぶったままもぞもぞと動いて、次第に弾んでいく男の息遣いを間近で聞かされて涙目になる。

「ちょ、ちょっと!待って!何してるんですか!?はなしが、途中で……!」
「……何って、悪いコトですよ。組織の男は今あいにく連れて来られないので……僕じゃ物足りないかもしれませんが、頑張りますね」

だからきみも頑張ろうか、抜け出せない腕の中でそう耳元に囁かれて、私は小さく悲鳴をあげて縮こまった。



あの寝言が料理の材料の切り方で、しかも夢の中で私に教えていたのだと聞くのは、この2時間半後のことである。





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