おおきな幸せなんていらない、ちいさな幸せを積み重ねるようにして生きていきたい。だってきっと分不相応な幸せを得たとしたって、それらには妬み嫉みがつきまとっていつかこんなちっぽけなわたしなんて押し潰してしまうだろうから、せめて両腕で抱えていられるだけ、それが難しいなら両手ですくい上げられるだけの幸せをかき集めて、すこしずつ頑丈な宝箱に詰めていくような人生を歩んでいきたい。おとぎ話に出てくるような端正な顔立ちをした王子様に迎えに来てほしいなんて思わない。見目が整っていなくたって、誠実で不満を言わず、できれば働き者のやさしい旦那がほしい。そうして元気いっぱいの子供たちを育てながら、ふくふくと育ったまんまるの頬を撫でてやるのだ。そうしていつしかその子たちもわたしのもとを巣立つときがくるかもしれない。けれどそんなときが来たって、笑って彼らのしあわせを願う母となりたい。それから彼らがちいかったころの話やたまに知る近況話なんかを、やさしい亭主と縁側でお茶なんて飲みながらぼんやりとお話して、そんな日々をいくつか繰り返したら亭主に見守られながら息を引き取る。女性のほうが男性より長生きだと言うけれど、それでもわたしの亭主となるひとにはうんと長生きをしてほしい。そうでなくても、わたしより1日でも長く生きていてほしい。だってきっと、愛したひとが息を引き取る瞬間なんてわたしはとてもじゃないけれど耐えられないわ。泣いて泣いて体中の水分が枯れてしまうんじゃないかってぐらい泣いたって、寂しさや悲しさだけで人は死ねないんだもの。だとしたら無責任だとしても、やさしいだれかにその役目をお願いしたい。でもその代わり、わたしきっと死ぬその瞬間にはあなたと一緒にいられて本当にしあわせだった、って満面の笑顔で伝えてあげると決めている。そうしてわたしが死んだあとに悲しみだけでなくしあわせも今は知らないだれかを満たしてくれればいい。

そんな慎ましやかなわたしの夢はいささか望み過ぎかしら。しあわせの程度は置いておいたとしても、たしかにわたしの夢はたくさんあるものだから、神様もたった一人の人間に対してそこまでの庇護を向けていられないかもしれない。わたしはわたしのためだけに生きていくことができるけれど、奇跡は多くの人間にもたらされるものだから、きっとわたしの人生望めるしあわせはたったひとつだけ。
だとしたら、わたしは今生で愛するだれかに、わたしよりもたった1日だけでもいいから長く息をしていてほしいと思った。家庭をもってたくさんの子供たちに囲まれることがなくてもいい、ただ、目を閉じるその瞬間まで愛しいあなたを守ることができたのだと思って死にたい。

ぎゅう、と彼の手を握る。そうすれば彼はおなじようにわたしの手を握り返してくれたけれど、かつてまだ手を繋ぐのに不慣れだったころと比べればいくらかやさしく握り返されたその手に自然と笑みがこぼれた。


「ずいぶんと女の扱いに慣れたのね」
「いきなりどうした」
「昔はわたしの手を握りつぶすつもりなんじゃないかってぐらい強く握り返してきてたのをふと思い出したの」
「…それは」
「それは?」
「ただ、おまえの手が小さいから、強く握っておかないとすり抜けていくと思っただけだ」
「すくなくとも鬼殺隊士だったわたしみたいな女に対してそんなふうに思うのはあなただけね」
「?なぜだ?」
「普通はわたしの手を小さい、なんて言わないわ」


繋いでいないほうの手を彼にも見えるように目の前でおおきく開いてみせる。さすがに彼と比べればいくらかちいさいだろうが、それでも長年剣をふってきたわたしの手はそこらにいるかわいいお嬢さんたちと比べればマメの目立つがさつな手だ。当時は鬼を倒すことに無我夢中でろくに手入れのひとつもしていなかったけれど、もうすこし気にかけておくべきだったかもしれない。こんなふうに平和な世の中になることを願って戦っていたというのに、こうして平和になってからのことを考えたこともなかったなんて笑い草だ。ちいさなしあわせをかき集めて生きていきたい、と思っていたけれど、結局のところわたしはそれらを明日も息をしていられるための希望にしていただけなのかもしれなかった。

しかしそんなふうに物思いに耽るわたしとは裏腹に、彼はいまだに伸ばされたままのわたしの手をじっくりと見つめているままだ。そうしてしばらくなにかを考えたあと「…俺には女の小さい手にしか見えない」とやや戸惑った声色で言葉をよこしたではないか。
まったく、べつにそこまで真剣に考えてほしいわけではなかったというのに、彼はいつだって真摯だ。彼の言葉には気の利いた洒落なんてこれっぽっちもなかったけれど、その代わりどんなときでも不器用ながらわたしのことだけを考え抜いて紡がれる。


「ふふ、そうね。義勇にかかればわたしもただの女ね」
「…なにか間違ったことを言ったか?」
「いいえ、すこしわたしが意地悪だった。素直にうれしいわ、ありがとう」
「…そうか」


わずかに口角をあげて微笑む彼の横顔を眺めながら、つないだ手を確かめるみたいにもうすこしだけ力を込めた。わたしよりもいくらもおおきな手。けれどぼんやりしているうちにすり抜けていってしまいそうで、わたしはいつだってそれが恐ろしくてたまらない。


「そういえば炭治郎たちから手紙が届いた」
「弟弟子から手紙が来るのはいいことね」
「楽しくやっているそうだ、俺も返事を書きたい」
「帰りに便箋を買いましょうか」
「いつもおまえに書かせてすまないな」
「なぜ?わたしも炭治郎くんたちに手紙を書くのはたのしいわ。義勇には言ってなかったけど、わたしもすこしだけ炭治郎くんに伝えたいこと書き足してるの」
「…そうか」
「なんかちょっと不服そうね?」
「いや、俺も読んでみたいと思っただけだ」
「そんなたいしたこと書いてないわよ」
「それでもだ」


からっとした気持ちいい風が吹いて、義勇の通す腕のない右袖がぱたぱたと揺れる。もし腕があったならもっとやりとりをしたい人たちはいたのかもしれないけれど、彼はあまりわがままを言わない。年々、やりとりをする方たちは減っていく。そういえば風柱様から最後の手紙が届いたのはいつのことだろうか。まあもとから風柱様はマメなほうではなかったから便りがないのは達者にやっている証拠なのかもしれないけれど、どうしたって嫌な予感は頭をよぎる。
まるで体温を確かめるみたいに、義勇の左腕にほんのすこしだけ寄りかかる。わたしが寄りかかったぐらいではびくともしないたくましい左腕はあたたかい。


「先日、炭治郎たちは物見遊山に行ったそうだ」
「そう、素敵ね」
「俺たちも行こう」
「いいわね、もうすこし暖かくなったら行きましょう」
「おまえは花が好きだったな。いい季節だ」
「よく覚えてるのね」
「俺のことをなんだと思っている」
「さあ、どうでしょう」
「…最近、流行っている歌舞伎の演目があるらしい」
「へえ、知らなかった」
「新しくできた団子屋は繁盛しているそうだ」
「えー、甘いものは控えてるって言ったじゃない」
「?昔はよく食べてただろう」
「昔みたいに頻繁に動いてるわけじゃないんだから、前みたいな食べ方してたらあっという間にお相撲さんみたいな体型になっちゃうわ」
「見てみたい」
「なんでよ、嫌よ」
「おまえはうまそうに食うからな」
「というよりいきなりどうしたの?流行りをいろいろ調べるなんて、なんだか珍しいじゃない」
「……すこしでも楽しんでほしい」


おまえの夢を叶えてやることはできないからな、と付け加えた義勇はわたしと目線を合わせてすこしばかり申し訳無さそうに微笑んだ。そんな顔をさせたかったわけじゃなかったのに、残す側の彼にそんなふうに覚悟を決められてはわたしも閉口するしかなくなってしまう。

ぐ、と彼に悟られないように奥歯を噛みしめる。彼の前で涙を流さないのはせめてものわたしの意地だ。片腕しかない彼の手に悲しいだけの涙を拭わせるような真似はさせたくない。ああ、過去にもどれるなら、やさしい彼にわたしの夢の話なんてしやしなかったのに。鬼殺隊のくせに藁をつかむようなしあわせを語るわたしの話を笑うこともしないでしずかに聞いてくれていた彼は、わたしの夢を知りすぎている。


「俺は見目もよくないが」
「本気で言ってる?」
「…顔にこんなふうに大きな痣のある男など見目がいいとは言えないだろう」
「なに言ってるの、義勇ほどの男前、わたし見たことないわ」
「…そうか」


整った顔におおきく走る痣は道行く人々の目を引くけれど、それでも彼は見目うつくしいひとだ。恵まれたひと。だというのに誠実で、わたしには過ぎたやさしいひと。彼の頬に手を添えれば、彼は安心したように目を細めた。もし、この痣をわたしが貰い受けることができるならどれほどいいだろうかと考えない日はない。あるいは、彼がこの痣を発現させたように、あの日わたしもおなじように痣を持ち得たなら。そうしたら残り少ない時間を二人寄り添い合うようにして生きていけただろうし、こんなふうにわたし一人だけを残してしまうことを彼に気負わせることもなかっただろうに、なんて、どれだけ理想や希望を重ねても奇跡は起きない。神様はいない。いたとしたら、きっとわたし許さない。


「写真を撮ろう」
「写真は、」
「嫌かもしれないけど、ほしいわ。炭治郎くんたちへの手紙にも入れて送りましょう。きっと喜んでくれると思うから」
「…写真を残したら、俺がいなくなった後それを見ておまえは泣くだろう」
「泣かせてもくれないつもりなの?ひどいひと」
「もとからおまえの夢を叶えてもやれない不甲斐ない男だ」
「覚えてないの?わたしの夢はたくさんあったのよ」
「…俺でいいのか」
「あなたがいいのよ、ばかね」


一番のわたしの夢はかなわないけれど、それでもあなたはわたしをしあわせにできるこの世でたった一人のひとなのよ。そう言ってやると、彼は泣きそうな顔をしてそれでもわたしが一番すきな笑顔で笑ってくれた。

どうしたって奇跡は起きない。けれど、せっかく愛するあなたと今生一緒にいられるのだもの。女というのはわがままで、存外丈夫にできていることをあなたは知るべきだわ。これから先の時間がどれだけ限られていたって、わたしきっとあなたとしあわせになることをやめない。あなたをしあわせにすることを諦めたりはしない。だから写真を撮りましょう。たくさんの思い出をつくりあげて、かつてわたしが夢見た宝箱にそれらをひとつひとつ大切にしまい込むの。そうしてあなたが最後に目を閉じるとき、それを持っていってほしい。わたしはあなたが残してくれるたくさんのものを守るために精一杯生きていくから、わたしがいつかの未来目を閉じるそのときにきっとその宝箱を持って会いに来てほしい。あなたは律儀なひとだから、借りたものはきちんと返しに来るでしょう。たまにあなたへの恋しさからうんと寂しくなって泣いてしまうこともあるかもしれないけれど、それでもわたしだってあなたを命がけで愛した矜持があるのだから、ちょっとやそっとじゃへこたれてなんてやらないわ。

わたしの幸福論
(21.0126)




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