ティーンエイジャーじゃあるまいし、恋人であるかどうかなんて言葉で確かめる必要はないと思っていた。わざわざ関係性に名前をつけなくたってやることは一緒なんだし、傍にいられるのであれば形にこだわる必要もない。どうせ長く愛を育んだ後に神に愛を誓う、なんて世間一般的な通過儀礼を経ることもできない身だ。手順を踏んできちんとエビデンスをとる、なんて面倒なことでしかないと思っていたけれど、その裏側にはどうせ生きている間に離れることなんてないだろうという慢心がびっしりと蔓延っていたことに気づいたのはつい最近のことだ。

目線の先にいる彼は出会ったころから変わらない。思えば長い付き合いになるが、驚くほど年をとらない男である。それこそ変化といえば多少髪が伸びたぐらいではないだろうか。


「…じろじろ見て何か用かあ?」
「いいや、用はないよ」
「ならなんだあ」
「あいかわらずきれいだなあって」
「んだそりゃ」


呆れたように言葉を返すスクアーロの声色には恋人に向けるようなやわらかさなどかけらもない。それどころかわたしを見つめ返す視線もいつのまにやらすっかり冷めきってしまっていて笑えもしなかった。だが、わたしの態度も似たようなものだろう。あくまでもわたしたちは同僚であり、それ以上でも以下でもない。おそらくだがわたしたちのやりとりを見て、わたしたちが恋人かもしれない、なんて下手な勘繰りをしてくるようなやつは誰一人としていないに違いない。

かつてまだわたしたちが若い、といわれるような年頃だったころはこんなふうではなかったと思う。それこそきれいだ、と言葉をかければ、おまえのほうがきれいだ、なんて歯が浮くようなセリフを返してきたはずだ。いまさらそんなふうに聞き飽きた賛辞を向けられたかったわけではないと思っていたが、女という生き物は死ぬまで底なしの承認欲求に翻弄されなければならないらしい。


「くだらねえこと言ってる暇があったらさっさと撤退すんぞお」
「いつまでもこんなクソ寒い中外になんていらんないもんね」
「そういうこった」
「早く暖炉のある部屋に行きたいよ」
「ならつべこべ言わずに手を動かせえ」
「帰ったらさあ」
「ああ」
「ひさしぶりにお酒でも飲まない?最近ゆっくりできてなかったし」


腰掛けていた塀から飛び降りて、彼の隣に立つ。隣に並びたったのは彼の顔を見ないで済むようにだ。そんなことをしないでも彼はもうわたしのほうなんて見もしないかもしれないが、このあと彼がどんな表情でどんな返事を寄越すか、どこかで理解していても知らないでいたかった。


「悪いが」
「仕事が残ってるんでしょ、作戦隊長はご多忙ね」
「…何も言ってねえだろお」
「結果が変わらないならどんな理由だっておなじでしょ」


それに続く言葉はなんだって構わなかった。勝手に完結して言葉をつなぐわたしに彼はすこしばかり機嫌を害したようだが、どうせそのやらなければならないことを後回しにしてわたしを優先してくれるつもりなんて彼には毛頭ない。しばらく前からいつか彼に時間ができたなら一緒にあけようと購入してあったワインはもうそろそろヴィンテージものにでもなりそうなぐらい時間が経過しているが、きっともうわたしたちが揃ってワインを飲みながら談笑するような日なんてしばらくはこないんだろう。

目の前には彼が斬り捨てた死体が転がっている。かわいそうな男。何をやったかはよく知らないが、なんらかの恨みを買って縁もゆかりもないわたしたちなんかに殺された。けれど、この男とてなにか叶えたい野望のために行動し、その見返りとして殺され、こうして幕引きを迎えたと考えれば、それなりに上等な結末なのではないだろうか。始まりがあればなににでも終わりはある。それに、この男の死を嘆くような人間も一定数いるのかもしれないけれど、中途半端な悪事を楽しんでいただけのチンピラならまだしも、命を天秤にかけたのにその命に対して価値を見出されないことのほうが哀れである。なれば、わたしたちのような人間に殺されて幕を引く、なんて、この男からすればそれなりに恵まれたエンディングだろう。
そんな男の死体に自分を重ねてしまう。わたしだって、おなじように命を懸けたはずだ。彼のためなら大多数の人間に恨まれても構わない、そんな覚悟でヴァリアーに入隊しおなじコートを受け取った。言葉にしないまでもわたしが命を懸けたその理由を彼は知ってるはずなのに。その天秤の先にいたはずの彼はもうどこにもいないのか。


「こうやって任務に出るたびにさ、わたし、つくづくターゲットになるひとたちが不思議でたまらなくなるの」
「俺らの仕事に疑問なんて感じてる暇はねえだろお」
「でもすこしぐらいは考えてみたくもなるでしょ。わたしたちだって鉄でできた無機質な殺戮マシーンじゃなくて、人間なのよ」
「…不思議に思うことなんざあるかあ?因果応報の結果だれかの恨みを買って俺らに依頼がきたってだけだろお」
「因果応報の結果殺されるかも知れないっていうリスクを背負ってまで追い立てられるような希望ってなんなんだろ?どんなふうに餌をぶら下げられたら、モチベーションを保っていられるのかな」
「餌ってひでえ言い方だな」
「気に触ったならごめんなさい、すこし気が立ってるみたい」
「殺した後はそんなもんだろお」
「任務後に性欲が強くなるヒットマンもいるもんね」


そんなわたしの言葉にスクアーロはなにも言葉を返さなかった。けれどきっと彼はわたしのささやかな嫌味には気づいたろう。任務後に性欲を高ぶらせていたのはかつてのスクアーロだ。若かった頃はアジトへ戻るのも待ちきれなくてそこらで見つけたホテルで貪るように求めあったこともある。それほど遠い過去の話ではないはずなのに、もう今となっては古い映画の回想シーンでも見ているかのような気分だ。いやに現実感がなくて笑ってしまう。

どうせならわたしもスクアーロのように確固たる信念をヴァリアーに見つけたかった。こんなことを言えばさすがにスクアーロもわたしを叱責するだろうけれど、ボスであるザンザスを尊敬はしていても、命を懸けられるほど心酔はしていない。あるいは明確な目的のひとつでもあれば、ここまでぐらついてしまうことはなかったかもしれない。それは金でも、権力でも、強さでもなんでもよかったけれど、どれもわたしの心には届かない。わたしの心臓は今も昔も、ただあなたへの妄信的な愛でだけ鼓動を刻んでいる。その愛が薄れていくのを目の当たりにするたび、ひとつひとつ事切れていく音がする。


「何が言いてえかは知らねえが」
「うん」
「俺らの仕事には大層な大義名分なんざねえよ。モチベーションとやらも必要ねえ。迷ったやつからくたばるだけだあ」
「…それは同僚としてのアドバイス?上司としての忠告?」
「受け取り方は好きにしろお」


あらかた後処理を終えたスクアーロの足音がすこしずつ遠ざかっていく。分かっていたことではあったが、わたしのことを待つつもりもないらしい。

ありもしない希望だけれど、さきほどの言葉が恋人としてわたしを案じてくれる言葉だったなら、わたしはもうすこしぐらいはヴァリアーのヒットマンとして立っていられただろう。ああ、けれどどれだけ思い返してみても、スクアーロがわたしに愛の言葉を囁いたことはあれど、恋人だと関係性を明言したことはないのだ。もしかしたら関係性に名前をつけなくてもわたしたちは想い合っていると感じていたのはわたしだけで、スクアーロは最初からそこまでの感情をわたしには抱いていなかったのかも知れない。もし若かったあのころ、格好つけていないでわたしたちの関係をはっきりさせていたなら。こんなふうに宙ぶらりんになる前に、彼が何を考えているか確認することができたのに、始まってもいない関係性に終わりを求めるのも筋違いな話だ。

今でも、傍にいられるならあえて関係性に名前をつける必要はないとどこかで考えている自分はいる。けれど、それはあくまで傍にいられるなら、だ。神に愛を誓うなんて夢を見ることはできないし、どうせ神だって誓ったその後の面倒なんて見てくれない。愛なんて目に見えてわからないものを信じるには、あまりにもピースが足りない。かつてあったものを必死になってかき集めたって、過去は乾いて崩れていくだけだ。

死んだ男の見開いた目がわたしを冷ややかに見据えているのを、指の隙間からじっと見つめていた。焦点が合わない。瞳孔も開いて、確実に死んでいるというのに、まるで「次はおまえだ」と言われているよう。だが、それはそれで構わない。きっとこれから先何をしたってもうわたしの求めていたものは永遠に手に入らないのだ。それならば、まだその温度を覚えているうちに幕引きを迎えよう。生きるも死ぬも地獄と知れば、迷う余地もない。

地獄の底にてさようなら
(21.0125)





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