おそらくだが、あいつはわたしが死に瀕するような窮地に陥ったからといって助けになど来ない。夏油あたりなら「きみは失ったら帰ってこないだろ」なんて言いながら任務より恋人を優先して助けに来てくれるのかも知れないが、たとえ恋人であろうともあいつはきっと、わたしを助けるよりも論理的に動くことを優先する。つくづく呪術師になるためだけに生まれてきた男だと思う。まあ、どうして今こんなことを考えているのかといえば、今現在進行系でわたしがそれこそ死に瀕するような窮地に陥っているからである。


「呪力もほとんど残ってないんだよなあ…」


さきほどから何度か手を握ったり開いたりを繰り返しているが、残っている呪力では術式を練ることもできないようだ。ああ、まったく失態だ。こんなことになるぐらいなら部屋の片付けぐらいはしておけばよかったな、なんて思いながら、こんなときでも悠長なことを考えてしまうようになったあたりわたしもいよいよ死に慣れすぎているというかなんというか。他人の死ならともかく、自分の死が目前に迫ってもなお緊迫感のひとつも感じないだなんて杜撰な危機管理能力だからたった一匹の呪霊相手にここまで追い込まれてしまったんだろうか。
なら助けでも呼べばいいのだろうが、いまさら帳をあけたところで助けが来るころにはわたしはお陀仏だろう。さきほどから担当の補助監督たちと連絡は一切つながらないし、この分だと帳をあけた瞬間に外にいる補助監督だっておなじように殺されるに違いない。

さきほどから呪霊はわたしを追いかけても来ない。まあ、多少の知恵があるようだからどこかでわたしが決死の一撃でも仕掛けるのを今か今かと楽しみに待っているのだろう。どうせ殺されるなら一思いに殺されたいところだが、その願いはおそらく叶わない。ただ、多少ばかりの時間が許されているのであればせめてすこしぐらいは心残りのないようにしたいものだ。
携帯を取り出し、硝子に「部屋のものは全部中身を見ないで捨ててね、片付けは骨が折れるだろうけど本当にごめん」とメールを送る。ここ最近いそがしい日々が続いていからというのは言い訳だが、実際今のわたしの部屋は筆舌に尽くしがたいほど荒れ果てているのだ。女子寮ということもあり、きっとその片付けは硝子が担ってくれることだろう。普段から負傷ばかりの呪術師たちのせいで多忙な日々を送っているというにもかかわらず本当に申し訳ないが、と思っていると、硝子からすぐに「やだ。片付けは自分でやれ」とメールが返ってきた。…実にドライかつ友達甲斐のない女である。

しかしすぐさま携帯は他のメールを受信したようだ。そこにはさきほどまで思い描いていた恋人の名前が表示されていて、苦笑する。きっと硝子の仕業だ。


『なんか硝子がおまえから遺言みたいなメール来たって言ってんだけど』
『遺言っていうか最期のおねがいね』
『普通こういうとき恋人に連絡しない?』
『たとえば?』
『最期になるけど本当に大好きでしたーとかさ。すくなくとも硝子じゃなくない?』
『だって最強様最近いそがしそうだったから』
『にしてもメールだったら僕だってすぐ見るよ』
『2日ぐらいスルーするのに』
『それはそれでしょ』
『で、今日は非番だったの?』
『一応ね。これからすぐ任務に出るけど』
『なら悟にも連絡すればよかったね』
『も、じゃねーんだよ』


メールごしに悟の表情がわかるようである。どうせ露骨にすねた顔をしているに違いない。あいかわらず子供みたいなひとだ。ちいさなころの癖もあるかもしれないけれど、どんなときでも自分が1番に優先されていないと気がすまない。けれどこんなときでも、こんなふうに悟と何気ないやりとりができるのが嬉しいだなんてわたしはおかしいんだろうか。最近の悟は本当にいそがしそうで、ずっとこんな気楽なやりとりなんてできなかったからなあ。今にも死にそうな状況のくせに考えるようなことではないかも知れないけれど、わたしの人生最期がこれなら悪くはないのかもなんてすら思う。


『俺に言いてえことある?』
『だいすきだよって?』
『なんで疑問形だよ』
『うそうそ、だいすきだよ』
『俺も好きだよ』
『今日は素直な日なんだね』
『他になにかねえの?』
『なにかってたとえば?』


問いかけてから、しばらく考えてみる。いくら呪霊が遅いかかってこないとはいえど、いつまでも待ってくれるわけではないだろう。わたしに残された時間はおそらくわたしが思っているよりもずっと少ない。

そういえば、硝子から借りっぱなしだった小説をまだ読み切っていない。もうすこしで犯人がわかる、というところまでは読み進めたのに、どうしても眠気に負けてなかなか読むことができなくてついぞそのままだ。あの犯人はだれだったんだろう。
夏油に貸す約束だったゲームもまだ手元においているままだ。非番のときに持っていくねと言ったのに。あの口約束から一体どれだけの日がたったろうか。もしかしたら夏油もあのゲームを自分で買ってしまったかもしれないけれど、変なところで律儀な男だから、わたしから貸してもらうという約束を今も待っているかもしれない。

だけど、1番はやっぱり悟だろうか。
あなたに伝えたいことがやまほどあった。

たとえば、家族のあたたかさを知らないあなたに、なんの見返りがなくてもあなたを愛する存在があることを知ってほしかった。豪華ではないけれど、毒味のされた冷たい食事じゃなくて、あなたのためだけを思って作るあたたかい食事。傷を負えば悲しい。自分を大事にしていなければ怒る。そうするたびにあなたは驚いたように目をまんまるに見開いて、それから子供みたいに顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。そんな当たり前のことを何一つとして知らないあなたにそれらを知ってもらうためには、まるで幾重にも覆われた薄い氷を一枚一枚剥がすように、そうして欠けた溝をひとつひとつ塗り重ねるように、長い長い時間が必要だと思った。
だけど、わたしにはもうそんな時間はないらしい。
長いかくれんぼに待ちきれなくなった呪霊が、わたしを見下ろしている。


『悟と出会えて幸せだった。後悔しないで』


わたしが剥がした彼の虚栄をもう新しいなにかで塞いであげることはできなくなったけれど、それでもどうかわたしと出会ったことを後悔しないでほしい。あなたはきっとわたしを助けにはこない、これないけれど、それでもわたしの命を背負って生きようとするひとだから。だから、わたしの死はわたしが選んだ道の行く末にあったことだ。たったそれだけのこと。せめてすこしでも心残りがないようにしたい、とは思ってはいても、まるで後悔がないとは言い難いけれど、それでもせめて最期、愛したあなたがすこしでも穏やかな心でいられたら、とそれだけを思った。
愛してる、という悟の返信を見ることはできなかった。はじめてくれた、愛の言葉だったのになあ。

どこもかしこも傷だらけ
(21.0124)




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