鬼殺隊に入隊するいきさつなんてのは実に人それぞれだが、彼女ほど特異な理由で入隊を決めた人間もそういないだろうと思う。大半のやつらは鬼に対してなんらかの恨みを持って入隊するものだが、こと彼女に関していえば鬼に対する恨みはそれこそ街に住んでいる民衆たちとほぼ同レベルである。彼女の家族はいまだ存命で、鬼に対する被害を被ったのも鬼殺隊に入隊してからだ。そんな人間がどんな大義名分をもって命を賭けてまで鬼と毎日戦っているのか、と当初は興味を持ったものだが、世の中知らなくていいこともあるということに気づいたときにはもうすでに遅かった。


「お、今日もいい体してるね!おはよう大胸筋!」
「せめて俺にあいさつしろや」


元気いっぱい朝の挨拶をしてくれるのは一向に構わないが、彼女の視線は俺の顔ではなくあからさまに胸元に向けられている。…まさか自分がそこらの町娘が口にするような「話すとき殿方があからさまに胸元を見てきて不快だわ」といった類の気味悪さを味わうことになるとは夢に思わなかったが、信じられないことにこれで彼女は至って通常運転なのだから笑うこともできない。


「ごめんごめん、あんまりにも素敵な大胸筋と目があったものだからさ」
「どうやったら筋肉と目が合うってんだ、せっかく蝶屋敷にいんなら胡蝶に目の調子も見てもらえや」
「あいにくだけど視力はめちゃくちゃいいんだよね。どれだけ遠く離れてもいい筋肉だけは見逃さない高性能だから」


その言葉通り彼女は街中ですれ違おうものならどれだけ雑集の中に紛れていようとすぐに俺の方へ駆け寄ってくる。残念なことに、彼女の言うように視力には一切なんの問題もないのだろう。とすれば頭の問題だが、いくら胡蝶といえども処方できるような薬はないに違いない。
あいかわらずニコニコと微笑みながら一切はばかることなく俺の体を舐め回すようにして視線を這わせる彼女に何を言ったところで徒労だ。どうせ居合わせてしまった以上、部屋を変えようとしてもついてくるに決まっている。諦めて彼女の向かいの椅子に座り胡蝶を待つことにしたが、向かい合って座ることにした結果、より彼女の視線を真正面から受けることになってしまったがもう今さら立ち上がるのも面倒でそのままにしておくことにする。まあ、どうせ直接的な被害はないのだ。ただ不快な視線を向けられているというだけで。

しかし黙っていればそれなりに整った顔立ちをしているというのに、口を開けばどこまでも残念な女だと思う。


「いやー、いいよね鬼殺隊。ほんと入隊してよかったあ」
「おーそうかィ。そりゃよかったなァ」
「こんな素敵な筋肉に囲まれて働けるなんて、もっと女性の入隊希望者が増えてもおかしくないと思うんだけどなあ」
「筋肉のために命賭けるような物好きいねェだろ」
「わたしがいるよ?」
「真顔で言うんじゃねェよ」


うっとりとした顔から一変、まるで真面目な話でもしているかのように神妙な顔をして見せる彼女の入隊理由はずばりこれである。大枠で見れば甘露寺とおなじ入隊理由と言えなくもないが、甘露寺のように周囲に受け入れられなかったからという背景などなく、ただただ鍛え上げられた男の体が好きだから、という理由だけで鬼殺隊に入隊を決めたというのだから、覚悟を決めた彼女も大概だがその理由をもってして入隊を許可したお館様もお館様である。当初は街で見かけた煉獄の体に惚れ「稽古つけてくださーい」と道場破りのように煉獄の家へ押しかけ、継子見習いとして鍛錬を積んでいたらしい彼女だが、正式に鬼殺隊に入隊して次第により良い筋肉へと興味は流れていき、紆余曲折を経て今は俺の筋肉に全興味を注いでいるとのことだ。そんな元継子の様子を煉獄はどう捉えているのか。どうせ聞いたところで「情熱的だな!」なんて的はずれなことを言ってのけるだけだろうから特に聞こうとも思わないが。


「つーか筋肉がいいなら俺より宇髄のほうが適任だろォが」
「え、ヤキモチ…?」
「何言ってやがんだ」
「いやー、でも正直な話宇髄さんは筋肉隆々で素敵だけど、やっぱり奥さんが3人もいるとなるとさすがに手は出せないよね。しかも奥さん全員美人だし」
「そういうのは気にすんのか」
「そりゃ気にするよ!わたしのことなんだと思ってんの!」
「?変態だろォ?」
「びっくりするほどストレート」
「なら嫁がいなけりゃどうすんだ」
「そりゃ即手出すに決まってんじゃん」
「変態っつーよりもはや獣だな」
「でも宇髄さんよりわたしは不死川がいいよ。たとえ奥さんたちがいなくてもね」


けろりと言ってのける彼女いわく、体の相性も確かめないで生涯の伴侶など決められないとのことである。体格のいい男が好きだ、というだけならまだ理解ができなくもないが、ここまであっけらかんと性癖を口にする女、となるとどれだけ眉目秀麗であっても嫁の貰い手はさぞや困ったろう。何不自由ない家庭で育ってきたにもかかわらず鬼殺隊に入隊したい、と言い出した娘を止めなかった両親の気持ちもなんとなく分からなくもない。どうせどんな男を差し出したとしても一度は難色を示すのだ。それなら自分で納得感を持って結婚相手を決められるなら危険な場所だろうがどこだろうがそこで幸せになってくれ、と思うのもある意味親心と言えなくもない。

しかし自分で言うのも変な話だが、たしかに鬼殺隊の中でも俺は体を鍛えているほうだとは思いこそすれ、これほど筋肉に傾倒する彼女の目にとまるほど特筆していい体をしているというわけではないと思う。嫁がいなかったとしても宇髄よりも俺のほうがいい、という彼女の真意はわからないが、どう見ても宇髄のほうが俺よりも上背も含めいい体をしているのだ。


「見る目がねえなァ」
「そうかな?これに関してはわたしかなり見る目がある方だと思うんだけど」
「俺ァ宇髄みてーな派手さもなけりゃ顔も傷だらけだぜ」
「なに言ってるの、筋肉質な男の一張羅は全裸だよ。服なんて着てなくても体一つで完成されてるんだから、実際華美な飾りなんていらないんだよ」
「…そういう話は甘露寺としろや」
「不死川が話ふってきたのに?」
「女がそういうこと口にしてんじゃねェよ」
「あ、不死川は女に慎ましやかであってほしいタイプ?」
「大多数の男がそうなんじゃねえのか」
「ちがうよ、わたしは不死川のことを聞いてるの」


向かい合って座ったまま、今度は体ではなく俺の目を見据えるように覗き込んでくる彼女の目はあいかわらず澄み切っている。そこに映った傷だらけの俺とは比べるまでもなく、傷一つない彼女の顔はうつくしい。直視するのも憚られて目線を外そうとするけれど、それを彼女の真っ直ぐな双眸が許さないとでも言いたげに俺をまっすぐに見つめるものだから目をそらせない。
だが、実際どこまで本気かはわからないまでも、こんな男に心酔せずとも彼女ならその気になればどんな男だって彼女を愛するようになるだろう。それこそ鬼殺隊に入隊せずとも、鬼殺隊の男を誘惑すればたいていの男は彼女の誘いを断らないに違いない。だというのに、彼女はわざわざ自分の命を天秤にかけてまで俺たちと同じ場所に立つことを選んだ。その覚悟の裏側には、俺には到底理解できないような女の矜持とやらがある。

たとえばここで慎ましい女が好きだ、と伝えれば、彼女はどうするのだろう。多少は俺に対しての態度を変化させたりするのだろうか。だが、結局のところ少々彼女の視線の先に居心地の悪さを覚えることはあれど、たいして面白い話ができるわけでもないこんな男と楽しそうに笑いながら話をする彼女の笑顔を見られるのならそんな居心地の悪さすら些末なことだと思える程度には彼女のことを気に入っているのだから、聡い彼女にこの気持を知られるのも時間の問題でしかないのだろう。


「鬼がいなくなったら考えらァ」


そう言ってやると彼女は俺がそう答えることを分かっていたかのように目を細めて、「そうしたらわたしにもチャンスをちょうだいね」と答えた。まったく、明日も生きていられるかどうかわからないような中で鬼のいない世界を生きている間に拝めるかどうかも定かじゃないというのに酔狂な女である。俺以外の体格のいい男を見つけておなじように甘い言葉を吐けば、生きているうちに求めているような生涯の伴侶を手に入れることもできるだろうに、彼女はそんな藁をも掴むような未来に自分の願いを賭けると言う。

だが、もし本当に鬼がいなくなったなら、そのときは俺だって覚悟を決めようと思う。慎ましやかな女が好きなわけではないが、男にだって矜持がある。惚れた女になにもかも引っ張ってもらう、なんて情けない真似をするようなつもりはない。

きっかけはそうだったとしても存外一途
(22.0123)
筋肉質な男が好きなのはわたしです。





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