大人になるほど素直な感情表現は遠のいていく。下らない御託ばかりを並べていかに自分がスマートであれるかにプライドをかけて、別れ際の涙すら許されないとばかりに追い詰められる恋愛は酷だ。けれどどうやっても同じ道をたどるのは、結局本気でだれかを想って追いかけて、失った傷口を抱えて生きていくのが嫌だからだ。それなら自分一人でだって生きていけると、虚勢を張っていたいだけだったのかもしれない。


「せーんせ」
「わ、き、…涼太」
「正解っス〜」


ふらりと神出鬼没に表れる天真爛漫な笑顔を浮かべるこの青年は、昨日からわたしの「恋人」だ。しかし、よくもまあわたしがあんな大冒険をしたものだ。学生時代わたしはミス自然消滅なんて友達からもよくからかわれてたというのに、彼女たちが昨日のわたしの行動を聞いたらきっと朝まで事情聴取をされるに違いない。
わたしよりも随分と背の高い彼はわたしの頭の上に缶ジュースを押し当てると、「これ隙でしょ?」なんて笑う。たしかにそれはわたしが学生時代から好んで飲んでいたジュースだった。どうして知っているのか、と聞いてみれば、彼はあっけらかんとした顔をして「先生こればっかり飲んでるから」なんて笑うのだから、わたしは自分が想定しているよりも分かりやすい人間なのかもしれない。

貰ったジュースのプルタブを引いて口をつける。よく冷えていた。


「てかもう放課後なのにここに来るって珍しいね」
「今日は顧問が来るのが遅れるってことで、開始時間が後ろに倒れてるんスよ」
「あーなるほどね。あともうちょっとかかりそうだよ。なんか結構真剣な感じでやってたから」
「開始時間が遅くなったらなまえちゃんと話せるしそれはいいんスけど、終わり時間が見えないのが嫌なんスよね〜」
「車で送ってってあげようか」
「え、なまえちゃん車通勤?」
「一応ね」
「かっこいいっスね〜俺も車運転できるようになったら、助手席乗ってよ」
「わたしでよかったら乗ってあげるよ」
「なまえちゃんがいいんスよ!」


大人になったらこういう車に乗りたいんスよね〜と嬉しそうに語る涼太なら、好きな車の1つや2つぐらい簡単に買えてしまうだろう。涼太はわたしのことを大人だと羨んだが、ずっと欲しかった車を一番安く買えるディーラーを必死になって探し出して、それすらもローンを組んで購入したなんて裏事情は涼太にはまだ想像もできないに違いない。はは、と苦笑いを噛み殺しながら、涼太の部活が終わる頃までに簡単に車の中の掃除でもしておこうかなんて考えつつ、指先に挟んでいた煙草をヒールの裏に押し当てて火を消した。
…車の掃除よりも、消臭が先かもしれない。


「大体何時ごろに終わるの?」
「9時ごろっスかねえ」
「へえ。結構遅いね」
「なまえちゃんは?」
「わたしは8時ぐらいかな。でも、どっかでコーヒーでも飲みながら待ってるよ。そんでさ、終わったらそこまで来てくれたらほんと乗せて帰ったげるし」
「ドライブデートってやつっスね」
「はじめて?」
「そりゃそうっスよ!あーなんかドキドキするっスわー」


大きな手で顔を隠しながら目を細めて笑う涼太の頬はすこしだけ赤い。ためしにその頬をつついてやったら、どんな顔をするだろう。やっぱり照れたような顔をするんだろうか。モデルをやっているからか、年相応に笑ったかと思えば急に大人びたりもする、そんな涼太の表情は見ていて飽きることがない。


「そういえばさ、最近オレンジ色のシュシュつけるの流行ってるの?」
「あーそれ俺が雑誌のインタビューで好きな色何?って聞かれてオレンジって答えたからだと思うっス」
「あ、やっぱりそれなんだ」
「俺の出てる雑誌見てくれてるんスか?」
「ちょうどわたしが毎月買ってる雑誌だったからね」
「へーたしかになまえちゃんああいう服好きそうっスね!」
「てか、オレンジ好きなんだ?」
「なまえちゃんオレンジ似合いそうだなって」
「え、わたし?…そうかな?」
「チークとかオレンジじゃん。可愛いなってずっと思ってたから、なーんとなくオレンジって答えちゃったら、みんなオレンジ一色になっちゃって」
「そりゃあ涼太が言ったらそうなっちゃうよね」
「なまえちゃんも何かオレンジのものつけてたりする?」
「チークぐらいかな!」
「えー何かつけてみてよー」


そう言いながらわたしにあれこれと勧めてくる涼太はきっと気付かない。あの雑誌を読んで、すぐに足の爪先にオレンジのマニキュアを塗ったことなんて。さりげなくオレンジの石のついたピアスを選んだことなんて。けれどわたしも年甲斐もなくこんなことをしているなんてなんとなく知られたくなくて、靴の中で足の爪先を軽く曲げる。

涼太に好かれたくて、たった一人になりたくて、自信がないなりにもわたしはわたしにできることをしようとしていた。もう少しだけ勇気があれば、これから向かう先も少しは違ったのかもしれない。

(15.1012)

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -