教師になろうと思ったきっかけはろくに思い出せないが、なんとなく手堅い職業だからと目指していたような気がする。そうして教育実習に出て、教師の仕事の面白さに目覚めて、と言えば聞こえはいいが、いざ教師になってみれば楽しいことばかりではないのが現実だった。


「なまえちゃーん、今日の授業短くしてよ」
「無理無理。ていうか先生のことちゃん付けしないの!」
「いいじゃん可愛いんだしー」
「ねーなまえちゃんかわいいー」


これである。わたしが新任でたいして歳も変わらないからか、彼らのわたしに対するくだけ方は友達とほぼ同じである。校長は何も言わないが、学年主任なんかは少しばかりわたしに対してよくない評価を抱いているようだし、踏んだり蹴ったりだ。それになぜか欠員が出たからと新任教師のくせに副担任を任されたことも悪評価に拍車がかかっている。
生徒のために教師が存在しているというのに、教師側はやれ派閥だの出世だの抜け駆けだの、子供みたいな悪意で満ち溢れている。何が教育だ。呆れてものも言えない。

しかしこれは教師として由々しき事態である。さすがに授業妨害が出たりはないけれど、それにしてもここまで生徒に馴れ馴れしくされるのは教師として問題があるのではないかと考えれば考えるほど頭が痛い。


「あ、なまえ先生だ」
「…黄瀬くんはわたしのこと先生って呼んでくれるのね…」
「え、だって先生じゃないスか」
「ありがとう黄瀬くん…」
「それよりもなんか重たそうなもん運んでるっスねー。こういうのは出席番号順とかで適当に手伝わせときゃいいんじゃないんスか?」
「いや、わたしが学生だった頃あんなのクソだと思ってたからね。あんまりああいうのはしたくない」
「あはは、なまえ先生ってだから生徒受けいいんスよ」
「どういうこと?」
「先生だけは、生との立場になって考えてくれるっスからね。みんななまえ先生の授業だけは超必死っスよ。いい結果出して先生の評価あげてやろうってみんな気合入ってっスから」
「黄瀬くんも?」
「俺英語元から苦手で、頑張ってはいるんスけどクラスの連中にめっちゃ怒られてるっスよ〜。なんかコツとかないっスか?」
「あはは、それなら今度小テストやろうか。それ見て黄瀬くんの苦手そうなところピックアップしてプリントでも作ってあげるよ」
「やー俺いくらでも資料運びするっスわ」
「ありがとう」


生徒というのはよく教師を見ているものだ。まさか彼らがわたしのことを思ってそんなことをしてくれようとしていただなんて、さっきまで頭が痛かったけれど今度は目頭が熱い。まあこのあと黄瀬くんはクラスの子たちに「テスト結果が出てビックリさせる予定だったのに、何おまえ先に言っちゃってんだよ!」なんて怒られる羽目になってしまったのだが、クラスメイトたちに怒られながらもわたしに茶目っ気溢れる笑顔を向けてくれた黄瀬くんはきっと、わたしを安心させたかっただけなのだ。他の子たちもまわりをかなり見れている子たちばかりだと思うが、黄瀬くんは群を抜いていた。既に社会に出ていたからだろうか。わたしが不安がっていたことに彼は最も早く気が付いて、最も早くそれから解き放ってくれた。
このクラスならうまくやっていける。
そんなふうに思った。

友達のように気さくに接してくれる彼らの言葉の裏にはたしかにわたしに対する尊敬や憧れがあって、これほどまでに楽しい仕事が他にあるだろうかと思った。
部活を持っていないわたしにはある程度時間があったから、プリントを作って彼らに配れば、彼らは喜んでそのプリントを解き、わたしに添削と解説を求めてくれた。おかげでわたしの受け持つクラスだけ英語の成績が目に見えてあがり、それもある意味学年主任に睨まれる結果とはなったが、かまうものか。


「黄瀬くんも英語の評定2個あがったみたいでよかったね」
「俺の前の成績悲惨だったっスからね」
「次は数学だってバスケ部の顧問が言ってたよ」
「えー数学はほんと無理っスよ」
「またまたー意外と何とかなるもんだよ」
「先生数学得意?」
「あ、数学ほんと無理!」
「先生も無理なんじゃないスかー」


ケラケラ笑う黄瀬くんとこうしてくだらない話をするのも日課になってきた。中には黄瀬くんと距離が近すぎるんじゃないかと妬む声もあったから、なるべく人目につかないところで。対価はジュース一本だけ。たったこれだけで黄瀬くんを独占できるなんて、黄瀬くんのファンに知られたらきっと八つ裂きにされても足りないに違いない。

ただ、黄瀬くんは優しい子だったから。わたしはその優しさに甘えていたのだ。


「先生最近結構笑うようになってきたね」
「みんなかわいい教え子だけど、弟とか妹とかに見えてきたよ」
「それいいんじゃないスかね。ベテランの先生にはできないことっスから。それが今の先生の強みなんスよ。きっと」


ニコニコ笑う黄瀬くんはわたしよりも随分と背も高い。学生服さえ着ていなければ、もう十分大人として通用するほど成長しきったその身体に抱きしめてもらえたらなあ、なんて邪な心が顔を出してはそのたび冷静になれと叱咤する。
下手に若いから、もう少しだけ若かったらなあ、なんて思ってしまう時もある。

けれどきっと黄瀬くんは、わたしがただの高校生だったなら、ここまで気にかけてくれることはなかったのだろうと思うと、ただジュース一本でほんの10分ほど話し込めるこの時間が尊く思えた。

(15.0923)

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