このバーの常連になってもう長いが、まさかマスターが涼太と友人だっただなんて知りもしなかった。マスターだって知らなかっただろう。すこしばかり驚いているようだが、それでもさすがはバーのマスターといったところか。涼しげな顔をしてわたしたちの会話に付き添ってくれている。きっとこういったことはケースは違えど、よくあるのだろう。仕事柄人がどういった恋愛をしてきたかなんて、空気を見れば一瞬で推測ができてしまうに違いない。ああ、厄介だ。

ウィスキーなんかでは足りないと言わんばかりに強い酒を流し込むわたしの姿を見て、涼太は「そんなにお酒強いなら俺らの同窓会来ればいいのに。みんな酒飲みっスよ」なんて言って笑っていたが、冗談じゃあない。いくらわたしだって普段からこんなに酒を馬鹿みたいに飲んでいるわけじゃない。
あんなことがあったのにどうしてわたしの隣に平然と座っていられるのか。わたしの知らない数年間の間に、涼太はすっかり別人になってしまったみたいだ。わたしばかりが焦って、みっともない。


「先生は相変わらず?」
「そうね、今は受験生の担任してる」
「へえ。大変そうっスね」
「大変なのは黄瀬くんのほうじゃない。テレビで毎日あなたの顔見てる気がする。仕事がいっぱいあるのはいいことなんだろうけど、しっかり休める時には休んでね」
「黄瀬くんなんてえらく他人行儀な呼び方するんスね」
「教師と教え子の距離感なんてこんなものでしょ」
「なかったことにするつもりっスか」
「あなただってそっちのほうがいいんじゃないの」
「なんで断定しちゃうかなあ」
「どういうことよ」
「まだわかんないじゃん」
「残念ね、わたし結婚してるのよ」


教え子たちの中には若かったからか、わたしに恋心を持ってくれていた子たちも数人いてくれていた。彼らは酒を飲むと皆一様にわたしのことが好きだったのだと伝えてくれていたけれど、間違っても教え子と一夜の関係なんて持つわけにはいかない。そんなときわたしが使う常套句だった。今やテレビで見ない日がないくらいの人気モデルの黄瀬涼太相手にいくらか思い上った行為かもしれないが、念には念を押しておこうと思ったのだ。
他の子たちとは違って、揺れてしまう可能性があったから、わたしからくぎを刺しておく。

すると涼太はそんなわたしの言葉を聞いて面食らったような顔をしたけれど、想像していたよりもやわらかい笑顔を浮かべてマスターに新しい酒をオーダーし始めた。
…どうやらもう一度あのころに戻ってしまうかもしれない、なんて危うさはわたしだけが感じていた杞憂だったようである。


「まあ先生も結婚するような歳になっちゃったか。いつごろ結婚したんスか?」
「去年よ」
「へー、相手はどんな人?」
「お見合いで出会った誠実な人よ」
「ふうん。先生ぐらい美人ならお見合いなんかしなくてもいけそうっスけどね」
「わたしも結構いい歳よ。そう簡単にはいかないわ」
「で、先生は夜一人で飲みに来るとき結婚指輪外して飲みにきちゃうような悪い女になっちゃったんだ?」


まるで責めるような視線でわたしを意地悪く見つめる涼太のほうがわたしよりも一枚も二枚も上手だったようである。だが、ここまでくれば引くわけにもいかない。


「まだ新婚だし、指輪なんて同窓会にして行ったらその話題ばっかり持ち上げられちゃうじゃない。わたしが聞きたいのはみんなの近況なのよ」
「まあ、ウソかほんとかはどっちでもいいっスわ」
「冷たいのね」
「俺は今でも理解できねえんス」
「なにを理解できないのかはわからないけれど、何もかもに正解があるわけじゃないよ。わからないことはわからないままでしかいられないことも多くあるんだから、諦めることだって大事なことだわ」
「先生、俺はあんたが分からなかったよ」


ぎゅ、とわたしの手を握る涼太は、何をしようとしているのか分かっているのだろうか。あのとき、涼太も納得してわたしの手を離してくれたのではなかったのか。こんなことをされては、わたしはもう何もできなくなる。わたしの時間こそ、あのとき止まってしまったっきりなのだ。わたしのため、涼太のため、これはいけないことなのだとすべてに蓋をした。その選択が間違っていたとは今でも思わない。

まさかこんなところもう1度出会うことになるだなんて、夢にも思わなかった。神様は残酷だ。今まで慎ましく生きてきたわたしにこんな仕打ちをするだなんて、もう神になど祈ってやることはないだろう。

けれど、だからこそ、転機なのかもしれない。
涼太がどういうつもりであの過去を紐解こうとしているのかはわからない。けれど、わたしたちはもう十分に大人になったのだ。子供だった彼が大人になったというのであれば、責任はわたしたち両方で十分にとれる。


「ねえ先生、俺大人になったよ」
「見ればわかるわ。わたしも歳をとったし」
「冗談は抜きにしてさあ」
「真面目な話がしたいの?」
「そう。もう終電もないでしょ?答え合わせしてよ」


してやられた、と思った。タクシーで帰ればいいやとばかり考えていたから、終電の時間なんて気にしてもいなかった。これでわたしは体のいい逃げ道を一つ確実に失ったことになる。


「始発まで、俺に時間くれない?」


それを否定するだけの理由はわたしにはなかった。

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