学校だより、なんて誰が読んでいるのだろう。
学生時代に想定していたよりも多い教師の業務(雑務だが)の中には学校だよりの作成なんていうものがあるが、わたしが学生だったころは学校だよりなんて配られるや否や紙飛行機にして飛ばされていたぐらいのものだったが、それでも毎月ノルマのように課せられるこの学校だより作成は今のところわたしの業務の中で最もウェイトを占める業務になっている。
いや、たしかにわたしは文系だし、英語教師でもあるが、だからといって国語が得意というわけではないのだ。小論文なんて吐きそうになりながら書いていたし、卒業論文だって泣きながら書き上げていた。つまり文章を書くことがかなり苦手なのである。

しかしそうは言ってもわたしより年次の若い先生もいないこの環境では、これは確実にわたしの仕事である。さてどうしたものか、とシャーペンを手に取るも、どうにもこうにも進まない。


「だいぶ詰まってますね」
「ええ、まあ…。どうにも文章を書くのは苦手なんですよ。英文におこす、とかなら楽なんですが、1から作成するのはちょっと苦手意識がありまして」
「まあ、あなたは学生時代からどちらかというと体育会系でしたしね」


そんなわたしの仕事ぶりを眺めていた喫煙仲間の菊池先生が見かねたように声をかけてくれた。ちなみに菊池先生はわたしが学生だったころからこの学園で勤めていた先生である。おそらく先生の目には今もわたしが制服を着崩して昼休みにもバスケットボールを片手に部活仲間たちと1on1をやっていたころのわたしに見えているのだろう。

そして菊池先生は「すこし息抜きをしてみたらいいんじゃないですか」と提案をしてくれた。

だから、というわけではないが、今おおよそ5年ぶりのジャージに身を包んでいる。


「わーなまえちゃんどうしたの?」
「仕事が煮詰まっちゃって、ちょっと体動かしに来たの」
「てかなまえちゃんってバスケ部出身だったのー?それだったらうちらの顧問してよー」
「無理無理!そんなことしたらわたし過労でぶっ倒れるよ。教師って意外と大変なんだからね!」
「そんなこと言わず〜。うちらだってデブの顧問よりなまえちゃんのほうが楽しいもん〜」
「ちょっと練習楽になるかもって期待してない?わたし結構学生時代は後輩教育スパルタ系だったけど大丈夫?」
「えー優しいなまえちゃんがいい!」


キャアキャアとわたしを取り囲んで騒いでいる女子バスケ部に混ぜてもらうことになった。たしか男子バスケ部はともかくとして女子バスケ部の顧問はバスケ経験者ではなかったはずだ。だからか、この子は経験者なんですよと菊池先生に紹介された瞬間ほぼ即答で練習に混ざって欲しい、と言ってくれた女子バスケ部の顧問に果たして彼女たちへの指導ができているかは定かではないが、それでもそれなりの強豪校となっているあたりこの子たちのポテンシャルの高さがうかがえる。まあ、それでもぽっと出の新任教師に顧問になってほしいと言わせるなんてなかなか人望が低いようだが、まあそれはそれである。
はしゃぐ彼女たちの向こう側をちらりと見る。そこには、どうやら今日男女混合練習をしているらしい男子バスケ部たちがひたすら足腰のトレーニングメニューをこなしている姿があった。

キャプテンとして最後の大会に挑む涼太の表情は真剣そのものだ。普段はくだけた笑顔を浮かべてわたしに満面の笑みを浮かべる涼太が、汗をかいた額をリストバンドで拭いながら大きな声を張り上げて後輩たちに指示を出している。
なまじきれいな顔をした人間の真剣な表情というのは少し威圧感を感じさせるが、このまま見ていると普段の涼太とのギャップから目が離せなくなりそうですぐに目の前の女子生徒たちに目を向けた。

しかしはしゃいでいる彼女たちは知らないだろうが、実はわたしは結構真剣に学生時代バスケをやっていた。全国大会常連、とまではいかないがそれに近いところまでは行けていたのだ。かなりのブランクはあったもののまだ体は覚えていたのか、それなりに動けたわたしと彼女たちの試合はかなり切迫したものにはなったが、だが体はかなり正直だった。
試合が終わった瞬間に倒れ込み、吐きそうになった無様なわたしを彼女たちは慣れた様子で体育館の外へ抱えていってくれ、その後すぐさままた練習に戻っていったのだった。
…10代の体力は底なしである。


「先生大丈夫っスか?」


そして今1番この姿を見られたくないひとの声がした。


「…うう…。まだまだいけるわって思って頑張っちゃったけど、5年ぶりのバスケはきつかったみたい…」
「吐きそう?」
「ちょっとだけ…」
「しばらく風に当たってれば多分よくなるとは思うっスけど、ドリンクはちゃんと飲んだ方がいいから俺のでよければこれ飲んでね」
「なんか慣れてるね…」
「中学時代によくぶっ倒れちゃうチームメイトがいたんスよ」


女子たちに抱えられて体育館出て行く先生が見えたから慌てたっス、と言いながらしゃがみこんでわたしの背を撫でる涼太の手は大きい。ほとんどわたしの背中を覆ってしまいそうなぐらいのその大きな手が一定のリズムでわたしの背を撫で、軽く叩いてくれる。その振動にすこしだけ吐き気が収まっていく。座り込んだままあまり視線をあげることのできないわたしの視界の中で、涼太の足の間に置かれたボールだけがゆらゆらと揺れていた。


「てか先生バスケ上手なんスね」
「昔とった杵柄ってやつだよ」
「バスケ部の顧問とかやんないんスか?」
「やんないよ。今も結構残業ばっかりなのに多分顧問までやってたらわたし倒れちゃうと思うし」
「えー残念。もっと一緒にいられるかなと思ったのに」
「…でも、たまに息抜きでバスケ部には遊びに来るかも」
「はは、なら俺とも1on1やってよ」
「涼太と?今度こそ本格的にぶっ倒れそうだね」
「その時は俺が介抱してあげるから大丈夫っス」
「ふふ、でも涼太とじゃレベルが違いすぎるから1on1として成立しないかも」
「じゃあ俺左手だけでやるよ」
「すっごいハンデだね」
「俺はただ先生とおんなじことして楽しみたいだけっスから」


ゆらゆら揺れる視界の中で風に乗って涼太の使っている香水と制汗剤の香りがする。さわやかな柑橘系の香り。それのおかげか、すこしばかり気分もよくなってきた。


「…あー、ちょっと楽になってきた。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「息抜きもできたし、わたしそろそろ戻ろうかな」
「じゃあ、そんな先生におまじないっス」


おまじないってなに、と開きかけた唇は涼太によって塞がれた。ふに、と少しばかり肉厚なやわらかい唇が押し付けられて、一瞬思考がとまる。「ちゃんとボールで隠しといたから」と掲げたボールをくるくる指先でまわしながら至近距離で笑う涼太の顔はまさにイタズラが成功した子供さながらで、思わず笑ってしまう。
体育館裏でキス、なんてまるで学生に戻ったみたいだ。まるで魔法みたいに涼太はたやすくわたしのちっぽけなプライドや見栄を崩してしまう。まばたきするたびに、わたしと涼太の距離が近くなっていくみたい。

(20.0420)

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