はじめから裏社会でしか生きられないような人間とやらは、表社会の人たちが思っているよりも大勢いるものだ。わたしもそのうちの1人。スラム街に生まれ、物心ついたころには親がいないことを知らされ、いつ売られたのやら、商品になったころには娼婦として働かされた。けれど別にこの生活が苦だと感じたことはなかった。それもそうだ。これしか知らないのだ。もっと自由な生き方がある、と親切な客にいくら問われたところで、まるで物語でも読み聞かせられているかのようでちっとも響いてこない。
ただ思うのは、開けた窓から見える、そこらへんに転がっているガリガリに痩せ細った子供たちのような生活をしないで済むことへの安堵感だ。彼らのことをまるで虫のようだ、と笑うオーナーの隣で、わたしも笑う。
彼らが虫なら、わたしも、この男も、虫である。


「娼婦ってのはそんなに儲かるのかあ」
「1日のごはんには困らないよ」
「そうじゃねえよ」
「どうしてそんなこと聞くのよ」
「何の苦労もしてなさそうな顔してっからなあ」
「あら、知識として苦労を知らないだけよ」
「おまえはいつ見ても楽しそうだなあ」
「苦しそうな女を抱いても面倒なだけでしょう。泣けないようにできてるの」
「機械仕掛けの娼婦かあ」
「そう。身体は生身だけどね」


そんな冗談を口にするこの殺し屋がここに来るようになってどのぐらいになっただろうか。少なくとも3年は経っているに違いない。その間男がわたしに貢いだ金はいくらになるのだろう。オーナーが彼が来るたびに嬉しそうにしているあたり、考えられないぐらいの額を注ぎこんでいるのだろうことは予測できた。いくら娼婦といえど、わたしを買うのは決して安くはないはずなのに、この男こそかなり儲かっているようだ。
チェストの引き出しにしまってあるシガーケースから一本煙草を取り出す。一応はすすめてみたが、スクアーロはどうやら煙草はやらないらしい。わたしはそのまま煙草に火をつけた。


「相変わらずすげえ煙草吸ってんなあ」
「これしか吸ったことないもの」
「他にもいろいろあんぜえ」
「やあよ。面倒じゃない」
「まあ、似合ってっけどなあ」
「そうかしら」
「女が吸う煙草はどいつもこいつも媚びて見えるが、おまえは違うだろうがあ」


この男はわたしの何を見ているのだろうか、と思うときがある。煙草だけじゃない。娼婦なんてそれこそ体のすべてで男に媚びているというのに、この男は一人で立っていられるだけの強さを持っているわたしこそいい女なのだと言う。そんなはずはない。わたしは何も知らない。わたしはわたしを守ってくれる存在なくしては生きていくことすらできない。わたしの手はいつも誰かの手に握られていて、わたしの言葉はいつも遮られる。わたしは彼らの欲しい言葉しか吐き出すことはできない。
そんなわたしが一人で立って生きていけるだけの女だなんて、なれるはずもないのに、この男は酷なことを言ってくれる。

わたしだってなれるものなら自分一人だけの力で生きてみたい。誰の顔色を伺うこともなく、男に抱かれることでしか商品価値のつけられない自分を脱ぎ捨てて、わたしにしかない何かを見つけて、歩きたい。

けれどわたしは、スラム街の片隅で飢えて死ぬのを待つような侘しい生活だけは送りたくない。ここから逃げ出すような勇気や知恵さえもない。

けれど言わない。
彼に幻滅されたくないからだ。
偽りを重ねられるだけ重ねて微笑みを浮かべて、わたしはよっぽど彼に媚を売っている。


「今日はオーナーが上機嫌だったがどうしたんだあ」
「そうねえ、近々大金が手に入るからでしょうね」
「どういうことだあ」
「聞かなかった?」
「まわりくどい言い方はやめてくれえ。俺はまどろっこしいのは嫌いなんだあ」
「じゃあ単刀直入に言うけど、わたし、売られることになったわ」
「あ?」


ぴくりとスクアーロの眉毛が動く。けれどわたしは言葉を止めない。本来なら今日だってスクアーロはこの部屋に通されるはずではなかったのだ。ただ最後に金を毟りたかったオーナーの意図でここへ入ることができただけ。そこらの客よりもよっぽど払いのいいスクアーロだからこそできた荒業ともいえるだろう。
ふう、と煙を吐き出す。ああ、そういえばあの男は煙草が嫌いだと言っていたから、引き取られてからは煙草を一切やめなければ。いよいよ面倒になってきたが仕方がない。ここで病気になって野たれ死ぬよりはよっぽど人間的な生活ができることは間違いないのだから、我儘なんかは言っちゃいけない。

だけど我儘がもし言えるのなら、わたしはこんなところにはいたくない。地下2階にある、煌びやかなように見えるけれど、自由のない決められた贅沢の中に埋もれた部屋。たまに外を見る時にはオーナーの隣で上の階に移動して、汚い息と一緒に吐き出されるみっともない見栄と知恵に埋もれた言葉に耐え忍びながら笑う日々。
こんな日々から逃げ出せるのなら、自分一人で生きていけるだけの力を得ることができるのなら、今すぐにだってここから飛び出していきたい。後のことは分からない。教えてくれる誰かが欲しい。その誰かを選べるのなら、わたしはスクアーロを選びたい。

けれどそんなことは言っていられない。
彼は世間を知らないわたしから見たって彼は美しい男だ。数えきれないほどの男に抱かれたわたしを選ばずとも、もっと美しい娘を選ぶことだってできる。わざわざそんな地獄を彼に与えるほど、わたしは狡猾な女ではいられない。

彼の前では彼が言ってくれたような凛とした女でいたい。
わたしも見栄に塗れた女だった。


「その男に惚れたのかあ」
「惚れたわけじゃないわ。娼婦に恋心なんてあるはずないじゃない。全部仕事よ。わたしは売られていくの」
「それがおまえの意思かあ」
「そうよ。だからわたしが煙草を吸い終わって、一度だけわたしを抱いたら、この部屋から出て行って」
「そうしてほしいのかあ」
「そう」
「もう2度と会えなくても、おまえはかまわねえんだなあ」
「そうね」
「だが、そうなりゃ俺はおまえを買った男を殺すしかねえなあ」


真面目な顔をして毒のような言葉を吐くスクアーロを見ていられなかった。わたしの手を撫でる手は、他のどんな男よりも優しい。ああ、そんなふうにされたら期待せずにはいられないじゃないか。わたしはどうしたって女。選ばれたい。愛されたい。恋心なんて知らずに育った女だとはいえ、激情にすら気づかぬまま成熟する女はいない。
この男をわたしだけのものにしたい。そのためならわたしだってこの男だけのものになったっていい。けれどそれができないのなら、滅茶苦茶に抱かれてせめて一生忘れられないようにしてほしいけれど、そんなことを言ってしまったら最後、わたしはもういい子ではいられない。

馬鹿な女。あばずれ。虫。わたしはそんな女だ。どれだけ違うと否定の言葉を重ねても、それだけがわたしが積み重ねてきた人生の結果だ。最後は報われることなく虫のように死んでいったとしても構わない。


「何の罪もない男を殺して、それであなたにどんな得があるのよ」
「惚れた女を手に入れられるんだろお。安いもんだあ」
「娼婦なんて手に入れるほど、あなた困ってないでしょう」
「いいや?そうでもねえ。どんな女も退屈なんだあ」
「わたしでいいの?」
「おまえがいい」
「安い男」
「勝手に言ってろお」


わたしの手を取ったままわたしの頬に頬擦りして、そのままわたしを抱き寄せる彼の腕の中は穏やかで、香水に混じって少しだけ血の香りがする彼の体臭は、ドラッグみたいにわたしをダメにする。娼婦にそんなに優しくして、どうしたいの。離れがたくなったら、そのときはなあなたがわたしをどうにかしてくれるの。そうしてもいいなら、わたしはあなたを選んでいいのかしら。何も知らないわたしでもいいとあなたがそう言ってくれるのなら、わたしは迷う必要があるのかしら。

けれどまだ言葉にならない。だれかに甘えることなんて、知らない。それがセックスに関するものでなければ尚更だ。わたしは男を喜ばせることしか、知らないのだ。


「わたしにどうしろって言うの」
「どっちにしろ俺のものになるしかねえが、おまえの返答次第じゃあ汚え男の死体が一つ増えるだけだあ」
「…勝手なひとね」


おまえは泣けねえんじゃねえのかあ、と笑いながらわたしの目尻を撫でる彼の指先はごつごつしていた。ああ、もう、こうなったら覚悟を決めるしかない。なんだってやってやろうじゃないか。そうしてわたしも彼のように、一人で生きていけるだけの女になる。彼がわたしを称してくれたように、もしいつかわたしもそうなれたなら、その時は娼婦としてではなく一人の女として彼だけのものになる。
うれしい、とそう伝えようとしたのに、嗚咽に邪魔されて言葉は出なかった。

(15.0530)

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