彼女と同棲してるんじゃあなかったの、なんて分かりきっていることをわざとらしく聞いてくる女の甘えたような声を聞き流しながら腰を振る間、性欲ってやつはなんでこうもみっともないのかと考えていた。きっと俺がこうして腰を振り、女があられもない姿で喘ぎ続けているのを第三者として見たとしたら、興ざめするだろうと思う。俺の手つきは間違っても惚れた女を抱くような優しいものではないし、女だってまさか俺に愛されているだなんて錯覚は間違っても抱いちゃいない。この女は俺が抱いた後、まるで映画でも見終わったかのように感想だけ残してさっさとベッドを後にする。まるでスポーツ感覚みたいなセックスだった。だからこそ浮気をしているという感覚なんてのがこれっぽっちもなかったのだろうと思う。まあ、浮気には変わりないのだろうが。

だがこんなことをした後に彼女に会うと、彼女に純粋なうつくしさが恋しくなる。そうして俺はまた彼女への恋心を思い出すのだ。だから俺にとってこれは必要経費のようなものだった。まるで付き合いはじめのころのように彼女への想いを留めておくための手段のうちの1つ。まあこんなことを擁護してくれるようなやつは誰一人としていないのだろうが、それでも彼女にバレさえしなければそれでいいと思っていた俺のなんと考えの浅いことか。
性欲に左右される俺みたいなやつはともかくとして、男は女が言うほど馬鹿じゃない。それと同じように女だってそこまで単純ではないのだ。


「最近帰り遅いね」
「サークルの飲み会でねィ」
「サークルの飲み会ってのは、その後にお風呂入ったりするんだ」
「なんでそんなこと聞くんでさァ」
「しらばっくれないでよ。シャンプーのいい匂いがするんだよね。飲み会から帰ってきた沖田からは」


普段なら彼女はもうとっくに眠っている時間だというのに、その日はリビングに明かりがついていた。だというのに俺はどうにかしてやり過ごせると思っていたのだが、彼女はひきつったような笑みを浮かべてそう言い切った。その口ぶりからするに、おそらく今はじめて気が付いたというわけではないだろう。しくじったか。そんなことを咄嗟に思う俺の思考回路は、いよいよこのお遊びに慣れ切っていたとしか言いようがない。多少焦りはあったが、それでも冷静さを欠くほどではなかったそんな俺の態度に彼女は何か思うところがあったのだろう。
ぐ、と唇を強く噛むと俯いて両手で握りしめていたマグカップを爪が白くなるほど力を込めてさらに握りしめる。そんな彼女を見るのははじめてだった。まるで何かに耐えるような彼女の背中はいつもよりずっと小さく見える。

けれどどうにかして彼女に笑ってほしかった俺は、彼女に触れようとした。笑えもしない話だが、このときまで俺は自分がしてきたことがどれだけ彼女を傷付けていたか分かっていなかったのだ。

彼女は今までに見たことがないぐらい機敏な動きで俺の手を払う。その姿はまるで俺に怯えているように見えた。


「…なまえ」
「触らないでよ、どうしてわたしに触ろうとするの。他の人とそういうことをしてきたんでしょう。わたしともするつもりなの」
「信じられねえかもしれねえが、惚れてんのはおまえだけでィ。たしかに俺は裏切っちまいやしたが、気持ちはおまえにあんでィ」
「わたしじゃなくてその人を好きになってその人を抱いたんなら、それは浮気じゃなくて本気ってことになるんだよ。浮気ってだけで許せないの。わたし、そんなに寛容じゃないの」
「…俺ァ、どうしたらいいんでさァ」
「そんなのわたしだって分かんないよ」


ついにぼたぼたと流れ落ちた彼女の涙をぬぐう資格なんてのは今の俺にはまるでなかった。そりゃそうだ。彼女を泣かせているのはこの俺なのだから。それにこれは今までの些細な喧嘩とはわけが違う。彼女はまるで悪くないのだ。そして裏切りに関して改善の余地などあるはずがない。俺は有責者で、彼女にどうしたら許してもらえるのかと彼女に問いかけるしかない。
なんて馬鹿なことをしたのだろうと思う。そして瞼の裏で俺の何がいいだとかもっとこうしてほしいだとか、そんなことを恥ずかしげもなく口にする下品な女の顔が浮かぶ。そしてその女の唇が呟くのだ。女を馬鹿にしちゃだめよ、と。大事なものを見失っちゃだめよ、と。ああ、そのとおりだ。だが俺は最初から大事なものを見失っていたわけじゃあない。大事なものは最初から彼女だけだったし、心底惚れてもいた。だというのにどうしてこんなことをしてしまったのかと問われれば、返す言葉がない。実のところ理由などなかったのだ。後からその行動に理由をつけただけで、俺には何の弁解の余地もない。


「俺のこと嫌いになりやした?」
「嫌いじゃない。好きよ。まだ大好きなの。ねえ、沖田はモテるからさ、わたし1回ぐらいなら浮気だって目を瞑ろうって付き合ったときに思ったの」
「…そんなことにおまえが耐える理由はねえだろィ。惚れたのは俺からだったじゃねえかィ」
「1回ぐらいなら、そう、1回だけなら。次はもうしないかも。ぱったりやめてくれるかも。そう思い続けてきたけど、わたし、もう耐えられないよ」
「俺ァおまえのためなら何だってできやすぜ。もう浮気なんざ2度としねえ。それが信じられねえってんなら、俺の行動全部おまえが縛ってくれてもいい」
「やだよ、そんなの」
「なあ、俺を捨てねえでくれやせんか。こんなこと言えた義理じゃねえのは分かってらァ。でも俺ァおまえなしじゃ生きていけねえんでさァ」
「…沖田はわたしがいなくても生きていけるよ」
「信じられやせんか」
「信じてたよ、ずっと」


それはもうすでに過去形だった。
2人で買い揃えた高くも安くもない家具に彩られたこの部屋は、俺たちの空間だったはずなのに、今や俺は完全な部外者だ。部屋に溶け込む彼女とは裏腹に、俺は立ち尽くすばかりでどこにいればいいのかすら分からない。呼吸をするたびにひりつく喉に、ようやく自分がしでかしたことの重大さを自覚しはじめたことを知ったが、彼女はすでに覚悟を決めていたようだ。
彼女はぎゅう、と目を閉じると、ゆっくりと目を開く。それは彼女が何か一大決心したことを口にするときのサインだ。ああ、これをはじめて見たときはたしか、「一緒に住まない?」と提案してくれたときだったはずなのに、次に見るのがこんなシチュエーションだなんて、俺も覚悟を決めるしかないじゃないか。


「沖田、わたしが沖田をがんじがらめに縛って、沖田がわたしだけのひとだって安心したところで限りはある。それに、そんなふうに一緒にいたところでわたしたちが得られるものってあるのかな」
「…俺ァおまえと一緒にいたい」
「どっちも不安になるだけじゃない。いつ捨てられるのかって不安になって、いつもう1度裏切られるのかって不安になって、そんな関係って、だめだと思う」
「いつかもう1度信じてもらえるように頑張るって言葉は、もういらねえかィ」
「……ごめんね」


その謝罪は拒絶でしかなかった。すると彼女はすでに荷物をまとめていたのか、ちいさなキャリーケース片手に部屋を出て行く。そのとき彼女は一度だって俺を振り返らなかった。隣を通り過ぎるとき手を伸ばすことだってできたはずだったのに、どうしてだか俺の右手はこれっぽっちだって動かなくて、瞬きをすることすらできなかった。
その後は狂ったように部屋中をまわった。リビングや寝室、彼女の自室。そこには溢れんばかりに彼女のものがあったのに、やはりというべきか、何もなかった。がらんとした部屋に、同棲をはじめるときに彼女があまりにも荷物を持ち込むので苦笑いしてやったことを思いだしたけれど、そんな幸せはこの部屋中どこをかき集めたって残っちゃいなかったのだ。


「…もう俺は、おまえに許してくれって言うこともできねえってことかィ」


慌てて彼女の携帯番号に電話をかけたけれど、つながりもしなかった。ゴトン、と重い音を立ててフローリングに落ちるスマホを拾い上げる気にもなれなくて、そのまま立ち尽くす。もうすぐ朝がくる。そうしたら寝室から寝惚け眼の彼女が起きてくるような気がして振り返ったけれど、そんな彼女はもういなかった。同棲してしばらくしてからも揃いのマグカップに照れたようにはにかんでみせる彼女と、出来ることならこれから先もずっと一緒にいたかった。いずれ結婚して、もっと広い部屋に移り住んで、ガキの面倒を見る彼女の淹れるコーヒーを飲んで笑っていたかった。
そんな幸せは、全部俺がぶち壊してしまったけれど。

(14.0924)

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