高校時代、背が高いことをコンプレックスにしていると打ち明ければ、俺は背が高い方だから俺と並ぶならおまえぐらいあったほうがちょうどいいよと銀時は笑っていた。それに目が吊り気味で可愛げがないこと、おまけに表情に感情が出づらいことからいつも怒っているように見られがちだからなかなか近づいてくる人もいないということも打ち明ければ、彼は目を真ん丸にして「猫みてえな目でかわいいじゃねえか」だの「俺がいるから他の男はいらないんですー」なんて的外れなことを言ってわたしを慰めようとしてくれた。
そんな日々がわたしたちにもたしかにあったのだ。
いつしか大学へ通うようになり、サークルだのバイトだの、それぞれが独自のつながりを持つようになった。そうすると高校時代のように時間を満足に使えなくなって、長い間一緒にいるからと、どちらからともなく互いの優先順位をほんの少しだけ下げてしまうようになっていたように思う。それは信頼だったのか、慢心だったのか。今思えば、後者だろう。すくなくともわたしは、銀時に好かれていると本気で信じて、毎日を過ごしていた。

けれど、ろくに会えない女より、手近な女を選ぶというのはいくらか合理的なようにも見えて、泣くに泣けなかった。こんなとき、わたしのまわりにいる女友達たちのように喜怒哀楽をしっかりと表に出して、何が悲しいのか、苦しいのかを主張できる性分であれたらと願ったことはない。
ただ、わたしは彼女たちとは違った。わたしは、彼女たちのように銀時の非だけを言及することはできなかった。

銀時が寂しさから他のだれかをもとめたのだとしたら、銀時にそんな寂しさを与えてしまったのはこのわたしである。それにわたしと銀時はいくら長い間傍にいて、お互いを知り尽くしたように思っていたとしたって、まったくの他人なのだ。理解することはできない。驕ってはいけなかった。わたしはもっと銀時のことを考えなくてはならなかった。好きだからこそ、自分にできる最大限のことを常にし続けなくてはならなかったのではないか。

ただ、そんな後悔なんてものは、たいてい過ぎてからよぎるものだ。


「おかえり」
「…ただいま」
「びっくりした顔してるね」
「そりゃそうだろ、バイトから帰ってきたらアポなしで彼女が家に来てんだからよ」
「あはは、わたしってまだ彼女でいられてるのね」
「…何言ってんだよ」
「わたしが何も知らないわけがないって分かってるでしょ。しらを切り通しても後々が面倒になるだけよ。はっきりしようじゃないの」
「別れるか別れないかはおまえが決めろよ」
「わたしが?」
「浮気したのは俺なんだからよ」


軽い音を立ててリュックをフローリングに置いた銀時は、煙草に火をつけながらベランダの窓をあけた。だからわたしもそれに合わせて煙草に火をつけたけれど、前なら銀時はこんな気の利いたことはしやしなかった。おそらく今仲良くしている例の彼女が煙草の匂いか煙かが苦手なのだろう。わたしと一緒にいるときは、わたしも喫煙者だからか窓を開けたりなんてしなかった。
銀時はそんな行動なんてちっとも気にも留めちゃいないだろう。気にしているのはわたしばかりだ。みっともない女。こんなときになって部屋を見渡して、わたしがいた頃とどんなふうに違いがあるかを必死になって見つけようとしている。

けれど、見なければよかったと瞬時に後悔した。
わたしがあげたものは変わらずある。けれどその位置はすこしずつ変わっていて、棚の上にはわたしではつけないような可愛らしいデザインのピアスがいくつか転がっていた。それにわたしが置きっぱなしにしていたライターは既に捨てられてしまっていたようだ。いつも、テーブルの上に置かれてあったのに。明らかに女物だったから、今の彼女が捨ててしまったのかもしれない。何度も来たことのある部屋だったけれど、今では拒絶されているみたいだ。銀時も、この部屋の空気ですらも、わたしではなく、名前も知らないあの可愛らしい女の子に順応している。


「わたしに任せるっていったって、もしわたしが別れたくないって言ったらどうするつもりなのよ」
「そんときは、おまえが嫌だってなるまで付き合うさ」
「なに、わたしが根負けするのを待つつもりなの」
「おまえ、浮気は許せねえって言ってたじゃねえか」
「なのにしちゃったのね」
「これに関しちゃ何も言い訳するつもりはねえよ」


ああ、4年も付き合ったってこんなものだ。昔の女が知った風にずかずかと場に踏み込んだって、ろくなことはない。現にわたしは彼がこんなふうに寂しそうに笑うのを知らなかった。きっと、ほんとうに、あの彼女のことが好きだからだ。
わたしはいつもこうだった。
彼が素直に言ってくれるから、自分の思ったことはほとんど口にしないまま、彼に任せて過ごしてきた。それでも彼は何も言わないわたしの本心をいつもうまく悟ってくれたし、何の不満もなかった。けれど、そんな彼のためにわたしは何をしてあげられただろう。彼がくれた分を、わたしも同じように返すことができていたのだろうか。

こんなわたしがこれ以上彼の傍にいたって仕方がない。頭では分かっている。彼に寂しい思いをさせたのはわたしの責任でもある。頭では、分かっているのだ。

それでも行動に移すことができないのは、今までの思い出が重すぎるからだ。
今でも目を閉じれば、わたしのコンプレックスをいともたやすく乗り越えてくれた彼の笑顔が浮かぶ。けれど、あの彼は今ここにいる彼ではないのだ。あれはもう過去のことで、今ここには存在しないことばかり。そんなものに縋って、彼を困らせて、笑わせて、それならいっそのこと最後ぐらいかっこつけてしまったほうがお互いのためなのではないだろうか。


「彼女、背低いね」
「たしか153とか言ってたぜ」
「目もくりくりしててお人形さんみたい」
「お人形みてえかもしれねえけど、よく食うぜ。甘いものとか超好きでよ」
「…素直そうね」
「なんでも思ったこと口にしちまうのはどうにかしねえとって笑ってたけどな」


新しい彼女のことを褒める現恋人というのもおかしい構図だが、その褒め言葉を素直に受け取って一言二言追加の情報も加えて言葉を返す銀時の頭は沸いているのだろうか。だが、それほど好きなのだろう。可愛らしいのだろう。あるいは、そうすることによって自分に幻滅してもらおうなんて他力本願な考えなのだろうか。どちらにせよ、わたしの付け入る隙はないらしい。
わたしはソファから立ち上がると、持っていた銀時の部屋の合鍵を銀時に投げ渡した。運動神経のいい銀時はそれを難なくキャッチしたけれど、きっとあの子はこんなふうに雑に物を投げ渡したりなんかしないで、きちんと手渡しで渡すのだろう。わたしとは、違う子だ。背も低ければ目も丸くて大きくて、辛いものばかり食べたがるわたしとは何もかもが違う。誰がどう見たってわたしより銀時にお似合いだ。


「じゃあ、鍵は返すわ」
「…何か俺に言いてえことはねえのかよ」
「そうね、今までありがとう」
「たったそれだけかよ。何か他にねえのか」
「ないよ。最後にみすぼらしく縋ったってかっこ悪いじゃん」
「…おまえは俺を責めていいんだぞ」
「責めるつもりはないよ。好きな人を責めたくない」


ほんとうは、この鍵につけたかったキャラクターのストラップがあった。昔銀時からもらったもの。だけどそのかわいらしいストラップをどうしてもわたしはつけられなかった。からかわれるのが恥ずかしかったというのもあったけれど、どうしてあのときのわたしは、そうしなかったのだろう。昔デートしたときに、UFOキャッチャーでとってもらったストラップ。ずっと、いつも、使いたかったのに、結局は眺めているばかりで終わりそうだ。
銀時の顔がゆがむ。ああ、どうしてそんなに優しいのだろうか。浮気したのだから、もっと、わたしに軽蔑させてほしかったのに。最後まで銀時はなるべくわたしを傷付けまいと行動するのだから憎めない。


「じゃあ、お幸せに」
「元気でな」
「うん」
「…おまえは俺には過ぎた女だったよ」
「こんなキツそうな女みんな敬遠したがるよ」
「素直じゃねえけど、誰よりも優しいの、俺は知ってたぜ。おまえが幸せになれる日を、俺が言うなって話なんだけどよ、誰よりも、誰よりも祈ってっから」


おまえは絶対幸せになれる女だから、なんて、そんなことをどうして銀時が言うのか。わたしは、銀時と幸せになりたかったのに。あの甘い優しさの中に、ずっと浸っていたかったのに。
おしあわせに、ともう1度伝えた声は震えていたけれど、それでもこれ以上この部屋にはいられない。長い間ずっと一緒にいたからこそ、もう友人なんてやさしい関係には戻れない。

カツカツとブーティのヒールの音が鳴り響く。きっと彼女がこんな靴を履いていたってかわいらしいだけだ。わたしがブーティなんて、下手をするとそこらの男より身長だって高くなるかもしれないし、顔もキツいから、怖がらせてしまうだけだ。もう隣でほがらかに笑ってわたしの心の声を代弁してくれるような優しい男はいないのだから、これから先は一人でまっすぐ歩いて行かなくちゃ。

だけど、わたしだってもう少し何かができたなら、したかった。服装ぐらいいくらだって変えたし、メイクだって、髪型だって、どうにだってした。もう少し喋れるように練習だってしただろうし、サークル活動だってあんな必死にやらなくたって、もう少しぐらい銀時に会う時間ぐらい工面すればよかったのだ。何も、遠い距離にいたわけじゃない。
後悔ばかりだ。
言いたいことなんて山のようにあった。
だけどそれを言葉にすることなんてできない。

それをしてくれていたのは、この4年間、あなただけだったのに。

(15.0429)

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