なにかを押し込めているような、あるいは諦めているかのような笑顔を浮かべる人だった。その笑顔は時折その場のシーンに合わせて楽しそうに見えるように表現されていたり、困ったように見えるように工夫されていたりしたけれど、その裏に漂う違和感は変わらず、きっとそれが彼の魅力の一つとして周囲を惑わせていたのだろう。
彼がまだ生活に溶け込んでいたころ、わたしは別に彼の恋人だったわけでも、特別仲のよい友人だったわけでもなかった。ただのクラスメイト。時折挨拶ぐらいはすることがあったかもしれないが、それ以上でも以下でもないわたしの存在を彼が気に止めることはない。わたしだけが彼を見ていた。そうしていつも考えていた。

どうして黄瀬涼太ほどの人間が演技を続けるのか。

当時高校生だったわたしにとって、黄瀬涼太という人間は万能の人間のように見えていたのである。容姿も端麗で、バスケも天才的な腕前を持ち、モデルの仕事も順風満帆そのもので、おそらく女など腐るほど寄ってくるだろう。おそらく人が羨ましいと思う要素のおおよそすべてを兼ね備えているであろう男は、いつも寂しそうだった。


「俺はあんたみたいな人がほんとは羨ましいんスよ」


卒業式に黄瀬涼太を呼び出して告白、だなんてチンケなことはしなかった。だというのにどうして卒業式の日、黄瀬涼太とこうして話なんてしているのか当時のわたしは分からなかったが、それでもわたしは黄瀬涼太と話をしていた。遠くで黄瀬涼太を探している女の子の声や。部活の後輩たちの声がする。そちらに行かなくていいのか、と聞けば、黄瀬涼太は少し困った尾をして「あんたが優先」と言って笑ったけれど、きっとそれも演技だった。
少しくたびれた制服に袖を通している黄瀬涼太をもう見ることはない。わたしだってもうこの制服を着ることはない。この瞬間は永遠に訪れることはなく、また、誰の記憶にも残らない。現実から切り取られたみたいだ、と思った。特別な高揚はなかったけれど、どうせこれが現実ではないのなら、演技ではない黄瀬涼太が見たい。


「わたしみたいな?よくわからないわ」
「あんたはいつも馬鹿正直に生きてるっス」
「だってわたしは失うものなんてないから」


簡単な話である。
わたしは別に学校で築いた友情関係にすらもそこまでの執着はなく、離れていくというのであれば勝手にすればいいと思っていたし、事実わたしのこの冷たすぎる物言いに気分を害していった彼女たちを追うことすらしなかった。ただ、それでもわたしの意見を飾り気がなくて好ましいと捉える人間もいた。そういった人間だけを大事にすればいい。大事な人だけを裏切らないようにしていれば、わたしは事足りたのだ。
ただ、それができない人間もいる。たとえば会社のルールに従うしかない会社員だとか、仲間内のグループから外されて孤独にさらされることに怯える人間だとか、おそらくそういった類の人たちは一生演技を続けて、相手が言われたい言葉だけを伝え続ける。わたしにはわからないが、きっといつか近い未来に、わたしにもわかるようになるのかもしれない。そういった変化は好ましいとは思えなかったが、そうすることによって円満に進むというのであれば順応する。
だからわたしは一応の言い訳をした。
今思っても下らない言い訳だと思う。


「大人になったらわからないわ。もしかしたら自分を隠すようになるかもしれない」
「えーそんなあんたは見たくないなあ」
「人って変わるかもしれないじゃない。まあ、このままかもしれないって可能性もあるけどね」
「俺が演技してるって、あんたにだけはバレてたね」
「まあね」
「すごいなあ」
「どうしてすごいのよ」
「俺、ずっとつらかったんスよ。誰かに言いたかった。こんな俺は俺じゃない。俺じゃないんだって、本当は叫びたかった」
「叫べばよかったじゃない」
「俺の培ったものが消えちゃうじゃないスか。そうしたら俺がいなくなっちゃうみたいで、怖いんスよね」


情けない顔をして笑う黄瀬涼太は、それっきり口を開かなかった。だからわたしはもう話は終わったのかと思って教室を出ようとしたのだが、なぜか黄瀬涼太はわたしとデートをしようと言い出した。びっくりして声も出せないわたしの手を引いて、叫び声をあげている女子の輪の中を潜り抜け、黄瀬涼太はいろんなデートスポットにわたしを連れて行った。行ったこともない場所。食べたこともないもの。たくさんの知らないものをわたしに見せてあどけなく笑う黄瀬涼太は、今まで見てきた中で一番マシだったと思う。


「またね、なまえさん」


そう言って笑う彼の姿をもう1度見ることはなかった。またねと言ったはずの彼は芸能界からも、この街からも姿を消して、もう誰も彼の所在を掴むことはできなかった。
なんて口にすれば美しい物語だ。
メディアは連日黄瀬涼太の失踪を大々的に報道し、過去に何か問題があったのではないか、と架空のテーマを作り上げ、必死になって仮説を全国ネットで口論する。だが、それも飽きがきたらしい。しばらくしたころには黄瀬涼太の名前を聞くこともなくなった。


「だから探したのよ、10年もかけて」


大学に進学し、あの手この手で黄瀬涼太の所在を掴もうとしたが、ただの学生のわたしにそこまでの力があるはずがない。わたしは結局、探偵事務所に就職した。親には大手銀行の内定も出ていたのにどうしてそんなところに就職するのかと散々に問い詰められたが、これはもう単なるわたしの意地だった。最後に黄瀬涼太に会った日から、毎日のように彼のことを考え続けた。知ろうとした。けれど、わたしに残されたものはあまりにも少なすぎた。彼の人物像など完全に把握できるはずもない。ただ、わたしはずっと演技の黄瀬涼太を見つめ続けてきた。観察眼だけは探偵事務所内でも指折りだと称されるわたしの捜査は長かった。
おそらく女のもっとも美しかったであろう時間をすべて捨ててまで1人の男を追うわたしを事務所長は認めてくれた。だからたまに依頼された仕事をこなしながら、それでもその合間に黄瀬涼太を探し続け、ようやく、その努力は実を結んだのだ。
黒子には「10年もかけるなんて本当に規格外な人ですね」と笑われた。赤司には「感謝するよ」と珍しく礼を言われた。思えばこの数年で友人も飛躍的に増えたように思う。黄瀬涼太を追う関係でキセキの世代とも連絡を取り始めたからだろうが、それでも彼らはわたしの背中を友人として押してくれた。正直金銭面的な援助を受けたこともある。

だからここまでたどり着いたのだ。


「忘れたとは言わせないわよ」
「…忘れたわけないじゃん。なまえさん、ちっとも変わってないんスね」
「笑わせないでよ、10年よ。変わってないわけないじゃない」
「いや、見た目はすげえキレイになったっスよ。なんつうか、まっすぐなまんまだなって」
「あんたが嫌だって言ったんじゃない。わたしはこのままでいてほしかったんでしょ。お望みどおりよ。わたしは今でも強情なまま」
「あー参ったな。ほんとに見つけちゃうなんて」
「またね、ってあんたが言ったのよ」


黄瀬涼太は身分を隠して、携帯の電波も入りづらいような田舎で子供たちにバスケを教えていた。多少モデルに似ている、と言われることもあったようだが、既にもう10年がたってしまっていたのだ。誰も今目の前にいる彼があの日失踪した人気モデルだとは思わなかったろう。
くたびれたジーンズを履いてスーパーの袋をぶら下げている黄瀬涼太の姿なんて、一生見ることはないと思っていた。いや、見たかった。わたしはこれこそが彼の真実の姿だと信じていた。過度な装飾品は彼を偽物のようにしてしまう。

コツン、とわたしが彼に近付くたびにヒールが音を立てる。けれど、黄瀬涼太は逃げなかった。


「そうだね、俺がまたねって言ったね」
「ならもう1度会うのは当然でしょう」
「社交辞令ってあるじゃないスか」
「そんなものがわたしに通用するとでも?」
「ほんとあんたには敵わないっスねー」
「負けないよ、10年も経ったんだ。わたしもそれなりに自信があるからね。あんたには負けない。だから来た」


そっと手を伸ばせば、黄瀬は身じろぎすることもなくわたしの手を受け入れた。だから、黄瀬のかぶり続けていた偽りの皮を剥ぐように黄瀬の頬を撫でる。1つ、2つと取り去って、そうして、わたしは、ああ、このためだけに10年も費やした。


「俺ね、なまえさん」
「なによ」
「この10年毎日あんたのこと考えて生きてきたよ」
「奇遇ね、わたしもよ」
「次またあんたに会えたら、もう演技なんかしねえで、自分らしく生きようってずっと思ってたんスよ」
「そうすれば。誰も止める人はいないわ」
「見つけてくれて、うれしい」
「わたしもね、毎日あんたのこと考えてたのよ。それであんたにあのとき、辛くて寂しいんなら、わたしに叫べばいいって言ってやりたかったって後悔してたの」
「ほんとにっスか?」
「ウソ言ってどうするのよ」


どうしてそこまですべてを投げ打って黄瀬くんを探すんですか、あなたと黄瀬くんの繋がりは何ですか。
そう黒子に聞かれても答えられなかったわたしは、その答えを黄瀬と一緒に探し続けてきた。どんなに手ごたえのない状態でも黄瀬のことを諦められなかった。そこにどんな理由があるのか。分からなかったけれど、それでも足を止めることはしなかった。一刻でも早く黄瀬を見つけ出して、会って、話がしたかった。ただそれだけのために動き続けて、黄瀬のことを想い続けて、どんな喜怒哀楽も黄瀬がその中心にいる。
この感情を知らないで貫き通せるほどわたしは子供ではなかった。


「俺、俺ね、あんまり話したことないのに、なんか、あんたのこと好きかもしれないっス」


変っスよね、気持ち悪いっスよね、とあの日と同じような情けない顔で笑う黄瀬と、どこへ行こうか。黄瀬が自分らしく生きられるところがいい。演技なんてしなくても、黄瀬が笑って生きられるところへ、今のわたしなら連れて行ってやれる。裕福ではないかもしれない。貧しいかもしれない。ただ、それでも、黄瀬があんなふうに笑う生活に戻るぐらいなら、どんな犠牲でも払ってやる。そんな覚悟は当の昔にできていた。


「あんたのために10年もかけたの。惚れた男のためじゃないとできないわ」


そう言ってやると、黄瀬は両腕でわたしを力強く抱きしめた。黄瀬の泣きそうな吐息が聞こえる。がさり、と音を立てて落ちたスーパーの袋からジャガイモが転がっていく。
ぱちり。
一度またばたきをすれば黄瀬の肩の向こう側に、あのとき救えなかった高校生の黄瀬涼太が満面の笑顔でわたしに手を振る姿が見えた気がした。

(15.0301)

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