最初はどれだけそれが特別なことで当たり前に享受していいものではないと理解していたとしても、人は1度与えられたものでは満足ができなくなる仕様になっている。たとえば他者から与えられる愛にしたってそうだ。誰もがある一定の期間をおけば与えられていた愛情では満足できなくなり、愛が足りないなどと吠えてみたり、そろそろ潮時かと理由をつけて離れようとする。だが、1度それを奪われ、もう1度与えられた者は、2度と離すものかと意地を張る。悲しくなるほど自分を見失う。
それは一種の病気だ。だが治療薬はない。一定の期間を置けば落ち着くかと言われれば断言もできない。それは人それぞれだ、としか言いようがないのだ。

その片割れにできることなどなにもない。ただ、黙って待つのだ。彼が落ち着くか、あるいはわたしが彼から離れていくだけの覚悟が固まるか、そのどちらかしかないのなら、わたしは黙って息をひそめているしかない。


「悪ィ、今日遅れちまった」
「全然大丈夫だよ。遅れてないじゃん」
「まっすぐ来たんだぜ」
「分かってるよ、バイト残業になって、終わったの4時38分だったんでしょ」
「すまねえ」


待ち合わせ時間は5時で、時計は5時6分。以前の青峰くんなら悪びれる様子もなく登場していただろうし、わたしだってどうして今日はこんなに早いのかと驚いていたような時間だというのに、青峰くんは申し訳なさそうに眉を下げてわたしに小さく頭を下げている。
何がどうしてこうなったのかまるでわからないが、どうやら青峰くんはわたしを不安にさせないために自分にできることはすべてやろうと決断したらしい。いつも「携帯のくせにいつでも携帯してないから全然連絡つかないし、もう解約しちゃえばいいのに」とさつきちゃんに怒られていたくせに、いまや青峰くんに連絡をとればすぐに返事が返ってくるし、もし不在着信を残したとしても、青峰くんは必ず5分以内には折り返しをくれる。そんな青峰くんの変化をさつきちゃんは「ようやく真面目になまえと向き合うつもりになったんだね」と言ってくれるけれど、果たしてそれは本当だろうか。わたしには時折、青峰くんが病的のように見えてならない。

だって青峰くんはこうして6分遅れで待ち合わせ場所にやってきたけれど、青峰くんのバイト先からこの待ち合わせ場所まではそこそこ距離がある。なのに青峰くんはたったこれだけの時間差でここまでやってきた。本当ならバイトは4時に終わるはずで、その時間だったら余裕で間に合うだろうからこの時間にしたのに。まさかタクシーでここまでやってきたのか。そう思うけれど、聞くほどの勇気はなかった。


「重いだろ、カバン持つぜ」
「たいして入ってないからいいよ」
「何も入ってねえってことはねえだろ」
「まあそれはそうだけど」
「なら俺が持つ」
「なんでそんなにしてくれるの?」
「大事だからに決まってんだろ」


何度も言わせんなよ、と照れている様子の青峰くんの隣は心地いいし、好きだなあとも思うけれど、これが本当に正しい形なのかと言われるとわたしにはまるでわからない。わたしは青峰くん以外を知らないし、きっとこれからも知らないままでいる。なら、今の青峰くんこそが正解なのだろうか。だとしても今の青峰くんはわたしのためだけに生きているような気がする。それがわたしはたまらなく怖いのだ。
例えばの話、1度一人暮らしの青峰くんの家にお邪魔するとする。そうしたら料理は得意だし青峰くんもわたしの料理を喜んで食べてくれるから、晩御飯までは一緒にいるだろう。そうなれば遅くなったから泊まっていけと言ってくれるに違いない。そして荷物があるからともう1度青峰くんの家にいけば、もう一泊していけと言われるはずだ。そうこうしているうちに何かの用事で今日は泊まれない、などと言い出したら最後、青峰くんはわたしが浮気していると思い込み、捨てられるのかと怯える。
ただの杞憂だとは思えなかった。

それに青峰くんがあまりにも細かい頻度で今自分が何をしているかを連絡してくるものだから、わたしの状況も知りたいのかと思い、なんとなく今自分が何をしているかを連絡したことがある。そうしたら青峰くんは大層それを喜んだらしい。結局今、わたしは青峰くんと一緒にいない間、1時間に1回は何をしているかの連絡を入れることになっているのだ。それを見た友達は「愛されてるね」と笑いながらわたしをつつくのだが、果たしてこれは本当に愛されているということになるのだろうか。お互いをがんじがらめに束縛して、そうしないと安心できない関係は、果たして愛情に付随するであろうあたたかなものを生み出せるだろうか。
わたしにはやはり何もわからなかった。


「最近バイトいっぱい入ってるね」
「寂しいか?」
「寂しくないって言ったらウソだけど、青峰くんは一人暮らしだから頑張らないとダメなんだよね。だからわたし、青峰くんの空いてる時間にこうして会えたらすごく幸せだよ。大丈夫だからね」
「おまえが嫌だってんならバイトのシフト減らすけど」
「そこまでしてくれなくたっていいよ」
「そこまでできんのはおまえだけだっつの」
「あはは、嬉しいな」
「ほんとにそう思ってんのかよ」
「思ってる思ってる」
「つうかなにか欲しいもんとかねえか」
「えー特にないよ」
「時計とかピアスとか指輪とかよ。なんか前、いろいろ言ってなかったか」
「欲しいかなって思うときもあるけど、わたし基本的にそういうものつけないからね。貰ってももったいないだけだよ。それに青峰くんのお金なんだから、青峰くんが自分のために使わなくちゃ」
「おまえのために使うってのも俺の自由な使い方だろうが」
「そう言われたら返す言葉がないけどさ」


ぶらぶらと手持無沙汰な両腕を振って歩いてみるけれど、青峰くんはかばんを返してはくれない。それにこうなったら最後わたしに財布すら出させることはないのだ。わたしだって青峰くんほどではないけれどバイトをしているのだから、お金を出せるのに。なのに青峰くんは笑って「こういうのは男の見栄なんだよ」なんて言う。素直に甘えていいものか、ふと疑問に思う。だが、断ったところで青峰くんがまた何かしら落ち込むのは目に見えていた。面倒なことは、できるだけ避けたい。
なんて、とんでもない思考回路だ。いつしかわたしはそんな青峰くんの感情の起伏を、面倒だと感じてしまっていたようである。


「なあ」
「なあに」
「携帯買ってやろうか」
「わたし自分の持ってるよ」
「その携帯で俺が今どこにいるか分かるようにしたら、少しは安心しねえ?」
「今で十分安心してるよ。何言ってるの?」
「俺絶対浮気しねえから」
「分かってるよ、信じてるよ」
「なあ、俺を捨てねえって約束してくれよ」
「…もう何回も言ったじゃんか」
「あともう1回だけ」
「…捨てないよ」


捨てない、もう1度だけ繰り返して、青峰くんの空いている方の手を握ったら、その手は驚くほど熱かった。きっと青峰くんはわたしのためだけに携帯を買うのだろう。それをわたしに与えて、束の間は安心してくれる。だが、それにどこまでの効力があるのか。きっといつか、青峰くんはさらにわたしを縛り付けて、そうでもしないと安心できなくなる。まるで麻薬の禁断症状だ。
いつかきっとそう遠くない未来に、青峰くんのわたしへの好意は周囲から見て彼女を溺愛している彼氏、というくくりにはおさまらなくなる。

そしてわたしの抱いているこの愛情が、怯えや恐怖に押しつぶされる日も、来るのかもしれない。

(14.1227)

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