若いころは金さえあれば何だってできると本気で信じ込んでいた。好きな宝石だってドレスだって車だって見境なく買いあさったし、顔の整った若い男だって何人も連れまわした。それはそれで優越感もあったし満足感も得られていたけれど、実際すぐに飽きてしまうものだ。金がすべてだとわざわざヒットマンなんて職業を選んだけれど、若気の至りではじめたこの職業はどうやらすぐに足を洗えるような生易しい世界ではないらしい。まあ、いまさら毎日会社勤めをしてチンケな給料で毎月をしのいでいくなんて生活には耐えられないだろうし、結局わたしが骨を埋めるのはこの世界なのだろうが、それでもたった1つだけ、手に入れたいものがあった。

まあ、わたしがどれだけ望んだところで、それはわたしの望む形では叶えられないが。


「なに暗い顔してんだ」
「だいたいこんな顔でしょ」
「いつもよりひでえ」
「言ってくれるじゃない。あんたのほうがよっぽど仏頂面よ」
「俺は色男だからな」
「まあ否定はできないわ」


当たり前のようにその言葉を受け入れたリボーンが差し出してくれたエスプレッソカップに口をつければ、そこらのバリスタが淹れるよりもよっぽど深い風味が口の中に広がった。こいつはほんとうに器用だ。だいたい何をさせてもプロ以上の結果を出してくる。神様に愛された人間というのはまさにこういったやつのことを言うのだろうかなんて思うぐらいだ。わたしとはえらい違いである。
だがそんな自他ともに認める完璧な男とやらが恋人として選んだのがわたしなのだから、いよいよこの男の考えていることはわからないし、世の中どうなるかもわからない。


「で?色男。今日はどんな用でここへやってきたの?」
「用がなくても会いたくなるのが恋人だろ」
「嬉しい、そんなにわたしに惚れてるの?」
「そりゃそうだ。じゃなきゃ愛人全部切ってまでおまえを手に入れたりはしねえ」
「今になって惜しくなったりしてんじゃないの」
「こんないい女がいるのにか?そんな目移りしてるような暇はねえぞ」
「気障な男ね」
「おまえがいい女だからだ」


ちゅ、と音を立てながらわたしの頬にキスをするような男なんて、今までにたったの一人もいなかった。そりゃあ、裏社会の女を大切にしようとする男なんてそうそうはいないだろう。しかも彼はヒットマンとしてのわたしの腕を使おうとするでもなく、ただ本当に、一人の女として大切にしてくれているのだ。女として冥利に尽きる話ではないか。世界最強のヒットマンと呼ばれる男が、わたしの前ではこんなに気を抜いて、朗らかに笑う。そうさせているのは世界でたった一人わたしだけ。なんて優越感だろう。これだけの昂揚感はどれだけの贅沢をこらしても味わえそうにない。
ただ、彼を愛すれば愛するほど、甘やかされれば甘やかされるほど絶望するわたしもいる。
完璧な彼はわたしの身に余るほどの幸福をもたらしてくれるのに、わたしは彼に最も与えたいものを与えることができないのだ。


「でもいいのよ、愛人。会ってたってわたしは何も言わないわ」
「浮気してほしいってか?いい度胸じゃねえか。俺は浮気を許すほど寛容な男じゃねえぞ」
「わたしは浮気しないわ。リボーン以上の男はどこを探したっていそうにないもの」
「分かってるじゃねえか」
「でもわたしは欠陥品だから、仕方ないの」
「おまえが欠陥品とは、冗談でも笑えねえ」
「あなたはね、子供をつくるべきよ」
「俺がか?」
「わたしもね、ほしかったけど」


このうすっぺらい腹に詰まっている子宮や卵巣には一切の生殖能力がない。任務中に負った傷が原因だった。若かったころは誰かの子供を産むことなどないだろうと特に気にもしていなかったけれど、今になって惜しい。わたしは彼の子供を産みたかった。日に日に彼に似てくる子供を抱き上げて、それを彼に抱き上げてほしかった。
家族なんていたこともないし、どういったものなのかすらもわからないけれど、日本にいたときに少しだけ居候していたのだと懐かしげに話すリボーンがその家庭に憧れを持っていたのは言葉の節々から伝わってきた。わたしも、彼とそんな家庭を築けたらと泣いた日もあったのだ。
それができないのなら、彼はわたしではないだれかと一緒になればいい。そうすれば彼はかつて日本で触れたあたたかい家庭を作ることができる。仮にそれが難しいことだとしても不可能であるよりはいくらか希望がある。

ああ、どうしてあのころのわたしはあんな無茶をしたのだろう。腹に穴が開いたあの日のことをたまに夢に見る。優しくされるたびに、子供を産めない事実の重さをのしかかる。素直に彼に愛されていることもできない。わたしはどうやら自分で思っていたよりも愚かな女だったらしい。ヒットマンのくせに、情を捨てきれていない。


「…そりゃあ、おまえが俺のガキを産んでくれるっていうなら願ったり叶ったりだが、他の女が産んだ子供なんざ可愛くもなんともねえよ」
「血は水よりも濃いっていうじゃない」
「忘れたのか。俺はおまえがいいからおまえを選んだ」
「いつ死ぬか分からないから、わたしは、生きた証としても子供が欲しかったのよ。そうしたら、そうしたらきっと」
「きっと?」


わたしが死んでも、あなたは一人にならないでしょう。そう続けようとした言葉を慌てて飲みこんだ。何を弱気になっているのだ。歳をとってどうやら若いころの勢いはまるでなくなってしまったらしい。急に死ぬのが恐ろしく感じられるだなんて、今までのわたしにこんな気持ちはなかったはずだ。こんな重荷を抱えて戦い続けていられるほどわたしは強くはないというのに、このままじゃあほんとうにすぐに潰れてしまうかもしれない。
ヒットマンに明日などない。そう思って生きていかなければならない。だというのに、あなたを見つけてしまった。わたしにはもうそれ以外に生きる理由がない。あなたに寂しい思いをさせてくない。あなたには笑っていてほしい。完璧なひと。愛おしいひと。わたしの前でだけ脆いひと。わたしが死んで、悲しんでくれるひと。
そんなひとが現れるだなんて、今まで一度だって思ったことはなかったのだ。


「おまえが死んでもガキがいてくれるだろうなんざ考えてやがったら、今ここでおまえを殺してやる」
「…物騒なこと言わないでよ」
「図星って顔だな」
「……」
「いいか、ガキがいようがいまいが、俺にとってはおまえがすべてだ。おまえが死んじまったら、ガキがいたところで最後だ」
「どういうことよ」
「俺を死なせたくなけりゃ死に物狂いで生きてろ」
「…わたしが死んだらリボーンも死ぬつもり?」
「まあ俺がいる限りおまえが死ぬことはねえが、もし万が一そうなったら、死んでやってもいいぞ」
「どうして」
「俺がいねえと、寂しいだろ」


子供を産める、というだけで街にいる女すべてが魅力的に見えた。いつか捨てられるのではないか、と不安だった。けれどそんな不安を下らないと笑い飛ばす男は、きっといつかの日までわたしの隣にいてくれるのだろう。ヒットマンにとって、お前のために死んでやってもいい、なんて、とんだ殺し文句だ。永遠の愛を誓うこともできないわたしたちにとってこれ以上ない愛の告白でもある。


「後悔してもしらないからね」
「お互い様だろ」


押し付けられた唇に抑え込まれた言葉は、もう2度と言わないでおこうと思う。それをリボーンも望んじゃいないし、結局わたしもリボーンと離れることなんてこれっぽっちも考えられないのだから。

(15.0530)


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