命は消耗品だ、あくまでも自分のために使え。
男はそう言ってわたしの妹だった何かをコンクリートの床に叩きつけた。そして言うのだ。おまえたちの両親を殺したのは俺だ、だが、その後生きのびたにもかかわらず裏社会に紛れ生きることを選んだのはおまえたちだ。そして妹は弱かったからこそ俺に殺された。おまえのほうがまだ使えそうだ、俺のところへ来い。命は消耗品だ、と。
たしかに命とやらはわたしたちがまだ表の社会にいたころに見知っていたものよりも安くて汚いものだった。あんなにも可愛らしかった妹は手と足がバラバラで、顔なんて見られたものじゃない。けれどそれでも唯一残った肉親がこんな形で殺されて憤らないほどわたしも人間をやめてはいなかったし、だからといって今すぐここでこの男に斬りかかることができるほど殺し屋として経験が浅かったわけではなかった。
結局わたしがとった手段は、内側からこの男を殺す算段をつけることだった。
もちろん両親の仇と知り、脇目も振らずに斬りかかった妹の気持ちが分からないわけではない。ただわたしは妹よりも世界を知っていて、いくらか冷静だっただけのはなしだ。わたしの力では到底この男には敵わない。だからこそ時間が必要だった。この男の弱みを握り、わたしがその弱みを使えるだけの力を持てるまでの時間が。幸いわたしには何もない。時間だけは有り余るほどあったし、あの男を殺せることができるなら、いつ死んだって構わない身だった。

そのままの足でヴァリアーに向かわされ、簡単な入隊検査を受け、正式にヴァリアー隊員となった後妹の遺体を回収しにいった。バラバラにされた妹の顔は恐怖で歪んでいて、ナイフ使いだった妹の指は何本か行方が知れなかった。だが、吐きはしなかった。これでもう肉親の遺体を見るのが3度目だったからだろうか。それとも今までに人を殺しすぎたせいだろうか。どちらでもいい。ただ、その場所に妹の墓を建てた。その時はじめて、これっきりにすると誓って人目を憚らずに泣いた。もうきっとここには2度と来ることはないだろう。わたしが来ることによってここに眠っているのが妹だと知れ、妹に恨みを持っている人間に死体を悪用されてはたまったものじゃない。
けれど後悔だけはしないようにしたかった。

そのためだけの人生だったのに、わたしはどこで履き違えてしまったのだろうか。


「なまえ」


気安くわたしの名前を呼ぶなと突き飛ばしてやれたらよかったのに、今やこの男はわたしの直属の上司だ。あれからほどなくして昇進を言い渡されたわたしの所属はベルの部隊からスクアーロの部隊へと移動した。ただ、金を貰っている限りは仕事は正確にこなすのがプロだ。どれだけ殺したい男が相手だとしても仕事に手は抜かなかったし、必要とあればケアもした。その過程でこの男はわたしのことをからかうようなことはしなかったが、「俺への仇討ちはもう諦めたのか」とわたしに問いかけたりした。そのたびに「生きる意味を見失う人間がどこにいるのよ」と睨み付けてやったものだが、男はこれっぽっちもわたしに対して警戒心を抱かない。
これはつまりわたしのことを殺し屋として相手にする価値もないと思うほど格下に見ているからか、と思ったこともあったが、それにしてはスクアーロはわたしに多くのものを許しすぎている。それはたとえば自らの作戦隊長としての仕事内容であったりだとか、義手の調子が悪いだとか、体調だとか、今思えば仕事上のパートナーのような役回りをしていたようなものだ。我ながら考えられない。

ただ、スクアーロの仕事の姿勢に尊敬のようなものを抱いてしまったのも事実だ。彼の仕事はおそろしく完璧で、こんなヒットマンになりたいと憧れを持ってしまったこともある。だがそのたびに脳裏をよぎるのは無残に殺された両親と妹の顔だ。朗らかに微笑む彼らの顔は次第に歪み、血だらけになりながらもわたしを糾弾する。
わたしたちを忘れたのか、もうわたしたちにはおまえしかいないのに、おまえはわたしたちを見捨てるのか、とわたしに拳銃を向ける。

気が付いたときにはいつも部屋はめちゃくちゃだ。後には怯えたように立ちすくむメイドと、息の乱れたわたしが残るだけ。そのたびにメイドたちに後片付けを頼んで、かつて両親が殺された場所へ向かう。そして確認するのだ。わたしはまだあの男への殺意を忘れてはいないと。まるで浮気を認めずに言い訳を繰り返す下らない男みたいな真似をする。
そして日を追うごとに、わたしは両親の顔を思い出す日が少なくなっていく。


「…おまえでも失敗することがあるんだな」
「そう思うなら捨て置けばどう」
「何を言ってやがる。おまえほど優秀なやつを失うのは惜しい」
「そうね、わたしのことを利用するつもりで引き抜いたんだものね。そりゃあ死ぬまで利用したいに決まってるわ」
「可愛げのねえ女だあ」
「そんなのは最初から分かってたことでしょうに」
「だが、どうしてだろうなあ」
「なにがよ」
「無性におまえを死なせたくない」
「たとえわたしに殺されることになっても?」
「死にたくはねえが、おまえが俺よりも強くなりゃ、殺されるのは仕方ねえ。そんな覚悟もできねえまま殺し屋なんて物騒な仕事はしちゃいねえ」
「潔い男」


いつ死んだって構わないと思っていたくせに、いざ死ぬとなれば恐ろしさが勝ったわたしがとった咄嗟の行動は、スクアーロの名前を叫ぶというなんとも惨めな行動だった。そんなわたしの叫びを聞いてすぐさまわたしを助けにきたスクアーロの必死の形相といったらなかった。けれど彼はわたしを助け出した後、まるで大切な人間を守りきれたかのような、心底安心したような表情を浮かべて恐る恐るわたしを抱きしめたのだ。その腕の中はまるで小さなころ父親に抱きしめられたあのときのような妙な安心感があって、思わずその背中に腕を伸ばしてしまった。
もうこれですべて終わりだと思った。
もうわたしはただ家族の仇を討つためだけに生きていたマシンのような女ではいられないのだろうと、思った。

揺れる視界はスクアーロがわたしをおぶっているからで、浮いた足はぶらぶらと揺れる。額から流れる血は視界を遮って邪魔で仕方がないが、自分で歩けるような怪我でもなければ血を拭うような余裕もなかった。

こんな女をどうしてこの男は放っておかないのだろうか。冷徹なだけのヒットマンなら、こんなあからさまな足手まといは捨てていく。わたしだってきっとそうするだろう。だというのにどうして、わたしは、助けられたのだろう。それにわたしも、どうして助けられたことに安堵しているのか。肉親の仇に助けられたなど、恥じることはあっても、嬉しさを感じることなどあってはならないはずだというのに。


「ならこのままわたしに殺される?これだけボロボロでも、この姿勢からならわたしでもあなたを殺せるわよ」
「殺したきゃ殺せえ」
「…本当にいいの」
「どうせおまえは俺を殺せねえ」
「どうしてそんなことが言い切れるのよ」
「俺を殺すつもりなら、もう動いてるはずだ。おまえならそのぐらい分かってんじゃねえのかあ。もうおまえは、俺を殺せねえんだよ」


悪い、と一言謝った彼は、わたしを無事にアジトまで連れて行くだろう。手当なんてものまでしてくれるかもしれない。だがそれ以上に理解ができないのは、そんな彼のやさしさを拒絶する意思のない自分自身の弱さだった。


「どうして、」
「なんだあ」
「どうしてわたしによくしたりするの。わたしのことなんて使い捨ての道具みたいに扱えばいいじゃない。まるでわたしを気に入っているみたいだわ。そんなふうにされたら、わたし、どうしていいかわからない」
「俺が言えた義理じゃねえがなあ、おまえは生きてんだあ。後はおまえの好きなようにやりゃあいい。肉親のために俺を殺したきゃ殺せえ。そいつらの恨み言を聞きながら生きていく覚悟があるなら、生きろ。俺にできる償いならしてやる」
「なら死んでよ」
「俺にできることって言っただろお」
「どうしてなの」
「…」
「どうしてわたしにあなたを恨ませたままでいさせていくれなかったの」


理不尽な理由をつけて喚き散らすわたしのことをスクアーロは面倒だと一蹴しなかった。ただそれでも、わたしの傷に響かないように気を使いながらわたしを再度背負い直す。ゆっくりと歩いているのはわたしの考えが落ち着くのを待っているのか、それともわたしの傷を気遣っているのか。どちらにせよ、それはすべてわたしのためだ。


「おまえほどの情に厚い女が、俺への恨みを捨てられるわきゃねえ。それは分かってるつもりだぜえ」
「…情に厚いヒットマンなんて先が思いやられるわ」
「ただ、それでも、俺はおまえが」


嫌だ、その続きは聞きたくない。
その言葉を聞いてしまったら最後、わたしはもう何者でもいられなくなってしまう。けれど満身創痍のこの身体ではこの場から逃げることはおろか、耳をふさぐこともできそうにないだなんて、笑い話にもならない。

ああ、わたしはあのときあの場所で、妹と一緒に死んでしまうべきだったのかもしれない。

憎しみばかりで生きられなかったわたしの不甲斐なさを、責めてくれる人は誰もいない。それすらも受け入れてその言葉の続きを口にするというのなら、わたしはこれから先どうやって生きていけばいいのだろう。

(15.0329)


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