今年でもう27歳になる。親には結婚するようないい人はいないのとせっつかれて、職場では同期が次々に寿退社で辞めていく。けれどわたしはずっとこのままこの広くも狭くもない身の丈に合った部屋で、一生誰の目にもとまることなく腐るようにして死んでいくのではないかと本気で危惧している。結婚がすべてではない、キャリアウーマンとしての生き方もある、なんてのは理想論だ。結局結婚できなかった女なんてのは、どう足掻いたところで女にとって最大のレッテルになりえる重要な問題である。

しかし、恋人と呼べるような男がいないわけではない。けれどその恋人がわたしと「結婚」してくれるような責任能力のある男であるとは到底思えない。それにわたしだって、その恋人にそんな責任を押し付けられるほど身勝手な大人ではないのだ。
そう、わたしは大人で、彼は子供。
27歳にもなって10歳近く歳の離れた子供相手に恋だの愛だの、自分でもよくやっていると思う。


『あ、なまえさん?俺だけど』
「うん、どうしたの?」
『雨降ってたからね、傘持ってるかなーって思って。持ってなかったら職場まで持っていこうかと思ったんスけど』
「ああ、今日はちょっとね。早く帰ってきたの」
『そうなんスか!じゃあもう家?』
「ええ」
『なら、濡れないっスね』


よかった、と電話越しに笑う彼の声はくすぐったくて、だからこそわたしは彼から離れられないのだと思う。きっかけなんてもうろくに思い出せないし、思い出さなくてもいいと思うけれど、わたしは彼から見捨てられるまで彼の傍に居たいと思っている浅はかな女だ。彼はもっと若い女と一緒にいるべきだと思いながら、そんな彼の幸せを願ってやれない自分。大人なんて言いながら、雨が降っていたって会いたいという理由で彼を迎えに行くような車の1台すら持っていない。名ばかりの大人。
彼こそ外にいるんだろう。こんなとき車さえあれば、いつだってどこだって、迎えに行ってあげたいのにそうしてあげられない自分が不甲斐ない。

でもきっと彼はそんなことはしなくていいと言って笑うんだろう。俺がいつでもどこでも迎えに行くからと言ってくれるんだろう。そんな優しさにわたしはいつまで浸かっていていいのか。どうにも雨の日は情緒が不安定になるから、いけない。
少し前に淹れたコーヒーを飲みながら窓を叩きつけている大粒の雨を眺める。台風が接近しているとのことだ。電車で帰れなくなる前に早く帰りなさいとの課長の命令により今日はほとんど半休の形で退社してきた。やることはまだまだあったのに。明日も電車は動かないかもしれない。


「今帰ってるところ?」
『そうっスよ!やー雨強くて参るっスわ』
「そうね、強いね」


今日もポストには昔馴染みたちの結婚式への招待状ハガキが入っていて、嫌になってすべてまとめてゴミ箱に放り投げてしまった。どうせ出欠の返事だって、返事がなければ改めて確認の連絡が入るだろう。そのときにまた考えればいい。


『なまえさんは雨好き?』
「昔はね。すこしだけ好きだった気もする。長靴で水たまりの上飛んでみたりね。まあ一人暮らしするようになってからは洗濯物が干せないから面倒だなって思うことのほうが増えたけど」
『はは、なまえさんは大人っスねえ』
「なによ、ばかにしてるの?」
『ううん。憧れてるんスよ』
「早く大人になりたいの?」
『なりたいっスよそりゃ!そうしたら何の気兼ねもなくなまえさんの隣にたてるし、恋人だって紹介してもらえるじゃないスか〜』


そういえばこの間彼とデートをしているときに偶然職場の部下に会って、そのときは彼のことを従兄弟だと紹介したのだっけか。それをまだ根に持っているだなんて、なかなかに可愛いところがあるじゃあないか。たしかあと5年たったら恋人だと紹介すると伝えたように思う。そうしたら彼は「5年なんてすぐっスね!」と言っていたっけか。まあ、たしかに彼のような年齢からすれば5年はあっという間に過ぎてしまうものなのかもしれない。ただ、わたしも同時に5年歳をとるのよ、とはとてもじゃないけれど言えなかった。
だなんて、こんなことを考えるのは雨が忌々しいからだ。自信がなくなってしまったのは、ただ、そういう時期なだけだ。ただ、ほんとうに、時期的なもの。そう思わないと今にも崩れ落ちてしまいそうで、おそろしい。

電話越しの彼の声だけが明るい。それに支えられている。


『今日の晩御飯何スか?』
「なににしようかな、昨日の残りでカレードリアとかかな?」
『めっちゃ美味しそうじゃないスか〜』
「でも、ちょっとしんどいから、出前にするかも」
『なら俺何か買っていってあげようか?』
「雨だよ。大丈夫だよ」
『平気っスよ!頼ってくれた方が嬉しいし』
「…大丈夫よ」


電話越しに『そうっスか?』なんて不服そうな声をだす彼は家についたのだろう。バチバチと雨が傘にあたる音が聞こえなくなった。…まったく浅はかなのは、大丈夫なんて強がったくせに彼に家に来てほしいと思っていたことだ。わたしはほんとうに甘えるのが下手だ。察してほしい、なんて、10も年下の男の子に期待することじゃあないだろうに。それに涼太は部活も仕事もあるのだ。わたしより何倍も忙しい相手に、そんな面倒なことを要求するほど若くはないだろう。


『まあ、勝手に行っちゃうんだけど』


そんな涼太の言葉と同時に、ガチャリ、と、鍵があけられる音がした。ついでに耳に押し当てていたスマホからも通話終了のベル音が鳴っていて、ああ、もう、わたしは彼を見誤っていたようだった。わたしの部屋の合鍵は涼太しか持っていない。
どうして、だとか、いろんな言葉が頭を巡ったけれど、冷静になるのは早かった。わたしは棚から慌ててバスタオルを取り出すと、玄関に走った。するとそこにはやはり予想通りびしょ濡れの涼太が突っ立っていて、「傘意味なかったっス!」なんて笑うもんだから、途端に泣きそうになる。だからそれを隠すように涼太にバスタオルをかぶせて、すこし痛いぐらいの力で涼太の頭を拭いていく。涼太は「痛い痛い」なんて声をあげて身をよじっていたけれど知ったことか。こんな顔なんて、見せられたものじゃない。

けれど力は圧倒的に涼太の方が強かった。涼太はバスタオルを肩にかけると、上からわたしの頬を鷲づかむと、両側にぐにゃりと引っ張ってきたではないか。
地味に痛い。


「…い、いたい」
「もー元気ないのに大丈夫なんて言うからっスよ!そういうの俺分かっちゃうタイプだからね。来ちゃうよ」
「大人なのにそんなみっともないことできないでしょ」
「大人とか子供とかの前に、一人の人間なんだから、そりゃ強い時弱い時あるっスよ。気にしすぎじゃねっスか?」
「てか明日学校あるのに、うち来て大丈夫なの?」
「平気平気。どうせ台風だし。多分休校っしょ。まあ、休みじゃなくても休んじゃうけどね」
「学生っていいね」
「いいっしょ。だからあんたの都合にぐらい、いくらでも合わせられるっスよ」


いつでも呼んでよーなんて明るく笑いながらわたしを抱きしめる彼の腕の中に収まっているうちは、嫌なことなんて何一つとして考えなくて済む。結婚だ適齢期だ昇進だ査定だ、毎日散々に追い立てられているような気もしないでもないけれど、結局わたしはこの腕の中に収まることさえできれば後はもう何だっていいのではないかとさえ思えてくる。責任なんてとってくれなくたっていい。わたしが自分でこの時間の責任をとろう。人生そんなもんだ。


「じゃあ、制服も洗って室内干しにしちゃおうか」
「それよりも俺一緒にお風呂入りたいっス!」
「…あー、まあ、せっかく来てくれたしね。いいよ」
「えっ、マジで!?」


雨の日っていいっスね〜なんて言いながらウキウキとした足取りでわたしが作ったバスタオルの道をたどって風呂場へ向かう涼太はまだまだ子供だけれど、きっと瞬きしている間にも大人になってしまうんだろう。そうなったら、怯えたりしないで、今度は雨の日だって同じ家に帰れるようになろうと思う。そのためにわたしは今頑張れることを頑張るのだ。
いつかの彼にも胸を張って、愛していると言えるように。
彼からも愛していると言われるために。

(15.0720)

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