女は男の1歩後ろを歩く、なんて古めかしい理想があったわけではなかっただろうが、男と女の価値が同じだと思ったことはなかっただろうあの人は、女を守るのが男の勤めだと信じて疑わなかったようだが、それは女が男よりも非力であるということを一方的に断定していた何よりの証明だった。実際女は男に腕力で勝つことはできないかもしれないが、そこまで弱い存在ではないことを彼は知るべきだった。けれど、わたしではそれを教えてやることができなかった。それだけが後悔として残っているけれど、今のわたしはもう彼のことを気遣ってやれるだけの優しさは残っていないのだと告げた彼女の瞳はもうあの男を見つめてはいなかった。

まあそれもそうだろう。
どんな大和撫子だって他の女に入れ込んでろくに家にも帰ってこないくせに、仕事の愚痴ばかりこぼして腹いせのように自分を抱こうとする男を支えようとするもんか。あの男の浮気性は若いころから一種の病気だった。いつだってそうだ。何よりも大切にしたいと堂々と言ってのけるような女がいるくせに、それ以外の女を抱くことに一切の躊躇がないあの男は、自らが捨てられるはずがないと高を括っていたのだ。そして今に至るまで、たしかにあの男は女に捨てられたことがなかった。それがあの男の浮気癖に拍車をかけてしまったのだろう。男である俺にはまるでわからなかったが、あの男にはそうしてまで傍にいたいと思えるほどの魅力が顔が整っているということ以外にもあったのだろうか。
ただ今回の女は他の女とは根本的に異なるタイプだった。土方の野郎に頼らずとも一人の脚で立派に歩いて行ける女性。そんな凛々しさをあの男は気に入ったのではなかったのだろうか。だというのに土方はそんな女が今自分を見限って飛び立った後にもなって、みっともなく追い縋ろうとしている。


「土方さん、最近酒が多いんじゃねえのかィ」
「いいじゃねえか、酒ぐらい」
「煙草も増えちまって手に負えねえや」
「個人の自由だろうが」
「仕事もしねえのは個人の自由とやらの範疇外ですぜィ。このままじゃあんた、あっという間にここにも居場所がなくなっちまいやすが、それでもいいんですかィ」


浮気相手と散々楽しんでいたのを仕事だとウソをついて朝方家に戻ったら、持っていた鍵では部屋が開かなかった。憔悴しきった顔でそう呟いた土方はなんとか彼女に連絡をとろうとしていたようだが、そこまでの手回しをすぐさまできる彼女がそうやすやすと連絡手段など残してくれているものか。もちろん彼女に連絡をするどころか彼女がどこにいるかすら特定することのできなかったこの男は、毎日酒を飲んでは煙草を吸いながら空を見上げてぼんやりとしているかと思いきや、いきなり屯所を飛び出して倒れる寸前まで歌舞伎町を練り歩いては彼女を探し続けてみたりと、ろくに仕事もしやしない。それにそんなふうに憔悴しきった男が街を練り歩いているのには既に近隣の住民からいくつか苦情もきているのだ。近藤さんは優しいからかもう少し様子を見てやろうなんて言っているが、正直平隊員の中には不満を募らせている者も多い。このままでは隊全体の士気にも関わってくるだろう。そうなってくれば近藤さんもあまり優しい事ばかりはいっていられないに違いない。

どかりと隣に座って同じように空を見上げてみるが、別に俺はこいつを慰めたいわけではない。ただ仕事をしてほしいだけだ。慣れないデスクワークは肩がこるし、俺が朝から晩まで走り回って仕事をするだなんて几帳面な性分なわけもない。それに慰めの言葉などあるはずもないのだ。
彼女は俺とも親交があった。それどころか俺だけではなく、真撰組の中には彼女を姉さんと呼んで慕っているやつらだって多かったのだ。そんな女が仕事を理由に下手な浮気を繰り返す男の浮気を見抜けないはずがなかったというのに、どうしてこの男はそんな馬鹿なことをしたのだろうか。自分は絶対に女には捨てられない、という下手な慢心が招いた下らない自殺に労いも慰めも必要ない。


「あの人はあんたにはもったいねえぐらいのいい女だったってことでいい加減諦めちまったらどうでさァ」
「いい女だからこそ諦めきれねえ」
「あんたみてェなクズに何年も付き合ってくれてんだ。慰謝料請求されたって文句は言えやせんぜィ。なのに何も言わずに去ってくれたんでィ。きっと腹ん中は煮えたぎってらァ」
「おまえに何が分かるってんだよ。恋愛もしたことねェお子様がよ」
「たしかに惚れた腫れたの経験はありゃしやせんが、あんたみてえに人間として尊重することは忘れちゃいねェつもりですぜィ。俺はあの人を尊敬してやした」
「おまえもあいつと浮気でもしてたってのか?」
「くだらねェこと考えてる暇があったら仕事してろって言ってんでィ。朝から晩まで探し回っても、ここで待ってても、あの人はもうあんたの前になんざ現れやしねえんだからねィ」


聡明で口のたつ女だった。だがだからといって正論で相手を打ち負かすようなことはせず、欲しいときに欲しい知識を明け渡すことに何のためらいも見せない、心の優しいひとだった。答えを求めていない悩みにも一晩中耳を傾けてくれた。そのたびに、こんないい女を放っておくあの男の神経が知れないと何度思った事かしれない。
酒を傾けながら俺に寒くないかと聞いてくれた彼女は、あんなろくでもない恋人の部下である俺にさえも優しくしてくれたのだ。そして俺を友人だと笑って呼んでくれた。だからこそ最後、俺にだけ話をしてくれたのだ。
あの男と付き合うようになってからずっと短く切りそろえられていた髪は、今どこまで伸びただろう。はじめて会ったころと同じぐらいにまで伸びているといい。そしてこんなろくでもない男のことなんてすっかり忘れて幸せになってくれていればいいのに。

だが、友人と呼んでくれた俺ですら、彼女に会うことはもう2度とないのだろう。彼女はここから遠く離れたところに行くと言った。あの男の浮気に耐えられなくなったけれど、情はあるし未練もある。だからこそ思い出の溢れすぎているこの街ではもう暮らしてはいけないのだと言っていた彼女からすれば、俺だって会うたびに土方を思い出す不穏因子にしかならないだろう。だから俺は最後に彼女が旅立つ準備の手伝いだけをして、あっさりと彼女に手を振って別れた。
さよなら、さよならと何度も手を振った。
彼女も何度も振り返りながら、ごめんね、と口にした。

謝らなければならないのは俺の方だ。
彼女は驚くほど、あのひとに似ていた。


「姿形だけであの人を選んだのかィ」
「何が言いてェんだ」
「中身まではおんなじようにならなくて不満かィ」
「………生意気な口きくようになったじゃねえか」
「俺ァあのひとにおしとやかになってほしいとも、物静かになってほしいとも、ただ話に相槌を打って笑顔で頷いてくれるような穏やかな女性になってほしいとも思ったことはねえや。重ねたことがねえとは言わねえが、俺はあのままのあのひとが気に入ってたんでィ」
「おまえと俺は違うだろうが」
「くだらねえ強要の上に余所にばっか目向けてりゃそりゃ捨てられらァ。あんたはあのひとが好きだったわけじゃあるめえ」


ぼろぼろと泣きながら、自分の何がいけなかったのだろうかと零した彼女には何も言えなかった。彼女は俺の姉上のことなど知りもしなかった。自分と同じ顔をした女を重ねられて、それでも他の人たちの前では気丈に振る舞っていた彼女に課されていた重圧の重さを、この男は一生知らないままで生きていくのだろうと思うと無性に腹が立つ。帰りが遅くても眠い目をこすりながら自分の分すら手をつけないで、すっかり冷めきった晩飯をテーブルの上に並べたまま待ち続けた彼女のいじらしさをこの男は知らないまま、浮気相手の家からしっかり食事までとって出勤していた。彼女は寝不足の身体を引きずるようにして仕事をしていたというのに。何度も心配して連絡をしていたというのに、携帯の充電すら切って一人だけ楽しんでいたくせに、それでも彼女のことは手放したくないだなどと、どの口が言えたのだろう。


「あんたが姉上に感じていた愛情とやらは本当だったのかもしれねえし、あのひとに感じていた愛情とやらももしかしたらホンモノだったのかもしれねえが、後の祭りってやつでさァ」


埋められないものはもう埋められない。どれだけ手を尽くしても、壊れてしまったものは治らない。世の中はきっとそういう風にできているのだ。だから大切なものは大切にしなくてはならない。やりすぎたっていい。やりすぎなぐらいでちょうどいい。どれだけ深く分かりあえたと思ったとしても、家族だって他人なのだ。伝えられることはすべて伝えなければ、届かない。
それを怠った。
この男にこれ以上の活路はない。


「あんた、自分で定めた規則を忘れたのかィ?いくらそれを作ったあんただとしても、切腹は免除にはならねェぜ」


だけどね、沖田、と彼女は言う。
わたしはあんたのお姉さんにはなれなかったけど、わたしには家族はいないけど、あんたのことは家族と同じぐらい大事に思ってたよ。そう大きな声で俺に告げてくれた彼女の元に、この男だけは絶対に行かせてやるものか。
彼女の面影を追っていたければ、そこで死ぬまで自分の不貞を呪いながら座り込んでいればいい。追いかけたいと言うのであれば、その足をこの場で切り落としてやる。かつて愛した女と同じ顔をした女を不幸にした。その責を男自身が忘れても、きっと、咎は男を忘れない。

(15.0329)

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