夢の中でわたしはただの高校生で、学校に行けば当たり前のように会える宮地先輩は既婚者なんかじゃなくってただの仲のいい先輩だった。少し不思議そうな顔をしながら腰をかがめてわたしの顔を覗き込み「何ぼーっとしてんだ」なんて問いかける宮地先輩とわたしの間には何の障害もなくて、わたしはかつて高校生だったころにはなかった勇気を振り絞って宮地先輩に好きだと告げようとするのだけれど、いつもそこで目が覚める。…高校生時代になかったものを無理矢理引き出そうとしたから夢が覚めたのか。そう思いながら仕事へ行く準備を整えて家を出るわたしの生活はいつもと何ら変わりない。職場へ行っても清志には会えないし、清志は既婚者だ。何一つ変わらない世界で呼吸をするのがすっかりうまくなったと思う。誰もわたしが不倫をしているなどと知りもしないだろう。

しかしどんなことにも終わりは訪れるものである。しばらく何の連絡もなかったというのに「今夜会いたい」だなんて清志から留守番電話が入っているだなんて笑えない。妙なところで面倒くさがりな清志が今までに留守番電話を残すことなんてなかったというのに、よっぽど大事なお話とやらがあるのだろう。スーツでも着て行った方がいいのか。そう思いながら、分かったとメールで返事をして、仕事を定時で終わらせるとそのまま待ち合わせ場所へ直行した。ちなみにこのとき気味の悪い上司は「きみにもようやく男ができたのか」なんて要らぬ世話を焼いてくれていたが、おまえが知らないだけでわたしにずっと男はいると言ってやりたかった。まあその男を恋人と呼べるのかは甚だ疑問だが。


「どんな風の吹き回しなの」
「何がだよ」
「待ち合わせ時間より先に来るなんて珍しいじゃん」
「遅刻もしたことねえだろ」
「ほんといつもびっくりするぐらいジャストタイムに来るよね。で?こうして先に来るぐらい話したくてたまらない出来事ってのは何なの?」
「…そうだな」


覚悟は決まっていた。だからわたしはいつもと変わらない態度で店員にホットコーヒーをオーダーすると清志に向き直る。最初から分かっていたことだ。あの子にバレたとしたら誠心誠意謝って望むだけの慰謝料を払うつもりでもいたし、実際それだけの金はわたしにはあった。清志がどうなるかは分からないが、それでも清志ともう2度と会うなと言われてもそれは仕方がないことだと割り切っていたし、そうなる可能性があることを知っていた上で清志と会ったのは束の間だとしたも清志と触れていたかったからだ。後悔はしない。けれど、手が震える。
どうせなら早く切りだしてくれればいいのに。おかげでコーヒーカップを持ち上げることすらできそうにない。今持ち上げたらカチャカチャ震えて不格好な音が出そうだ。そんな無様なところは清志には見せたくない。

しかし清志は店員がコーヒーを持ってくるぐらいの間たっぷりと時間を置くと、ようやく口を開いた。


「離婚した」


と同時に耳を疑う羽目になった。


「…離婚って、あの離婚?」
「ああ」
「なんで。どうして。あの子もうすぐ子供産まれるんじゃなかったの」
「それがよ、昨日ちょっと話し合いになってな。どうやらあの子供は俺との子供じゃねえらしい。それを死ぬほど泣かれて謝られた」
「…頭がついていかない」
「まさかのダブル不倫ってやつだな」
「笑えないし、こんなときにそんな冗談挟むのやめてくれない。馬鹿じゃないの」
「俺の浮気も知ってたんだと」
「その相手も?」
「もちろん」
「あの子は何て言ってた?」
「自分も浮気したし、それどころかおまえの好きになった男だからきっと俺を欲しがったんだろうって泣いてた。こんな我儘に付き合わせてごめんなさい、だとよ」
「…馬鹿ばっかりじゃん。で、あの子の浮気相手は誰だったのよ」
「高校時代付き合ってた彼氏だったよ」
「…しかも高尾かよ」
「笑えねえよな」


全部身内じゃねーか。俺たち何やってんだろうな。そう言って笑う清志は昨夜眠れなかったのだろう。隈ができやすい体質だというのに可哀想なことだ。おそらく1人この店でわたしを待っている間、盛大にウェイトレスを怖がらせたことだろう。もしわたしがこの店の店長だったら景気が悪いから帰って下さいとお願いするレベルの不幸面だ。
だが、本当にわたしたちは馬鹿だ。どいつもこいつも高校時代の恋愛が忘れられない癖に、それでも大人になろうと必死になって誰かを巻き込んで、こうしてこんなところまで来てしまった癖に結局は過去の美しさに負けるのだ。だが、過去が美しいばかりではない。わたしたちはきっとどこまでいったってお互いから離れられないのだ。あのころは幸せだった、なんて思い出よりも、今こうして大人になってから彼と築き上げてきたもののほうが輝かしく思えてくるのは彼女だって同じだろう。だから清志を捨てて高尾のもとへ行きたいと願ったのだ。…まあ、子供まで作ってしまっていたとは驚きだが、恋とは人を変える。あの大人しかった彼女でさえこんなことまでしてしまうようになるのだ。子に狂わされた人間がどうなるか、なんて、誰にもわからない。


「カミングアウトが随分遅いのね。もし言わなかったらこのまま清志は高尾とあの子との子供を育てることになってたかもしれないなんて、結構笑えないよ」
「いつ言おうかって迷いはあったみてえだぜ。隠し続けるつもりはなかったらしい。けど、何つうか、俺も薄々思ってたんだよ。ほんとに俺との子か?って」
「まさか結婚してまでゴムつけたりしなかったでしょ」
「それ以前の問題で、俺あいつとそんなにしてなかったからな」
「は?」
「結婚してから半年ぐらいか。2,3回やったけど、それからはずっとレスだった。おまえには言ってなかったけどな」
「まあ言われてもって話だよね。え、それでもう離婚しちゃったの」
「離婚届記入しておいたから、って差し出されんのドラマだけじゃねーんだな。俺も記入してさっき役所に提出してきた」
「あーあ」
「今日の昼にあいつの両親が謝りにきてくれたんだけどよ、俺も浮気してたから責められませんって伝えたら怒り心頭だったな。おまえらは結婚を何だと思ってたんだ!って。その通りだよ。俺らはマジで何も考えてなかったんだろうな」
「慰謝料とかは?」
「ガキもいねえし、互いに有責者だからな。どっちかっつーとあいつのほうが責はあっから、慰謝料を払う義務は向こうにあるんだろうけど、一切なしだ。特に共有財産もねえし、あっさり離婚だよ」
「…なんて言えばいいの?ご愁傷様?」
「ああ、ありがとよ」


だからこんなに疲れ切った顔をしているのか。妙に納得がいったが、あの子の両親はどう思ったのだろうか。自分の娘が旦那以外の男の子供を身籠っていることを知り、その旦那に謝りに行けば大事な一人娘を預けたはずの男すらも浮気をしていたというのだ。どちらを責めればいいかも分からないに違いない。だが、それはわたしだけの責任ではない。わたしだけが有責側であるならばわたしがすべての責任を被るつもりでいたけれど、それぞれがそれぞれの罪を負うべきだ。まさかあの子と高尾の騒動にまで首を突っ込むつもりはないし、緑間なんかに高尾のことを責めないでやってくれと根回ししてやるほどわたしは優しくはない。清志はそういうことをしたがるのかもしれないけれど、ここまで成長したわたしたちが誰かに守られる必要はないのである。
行動には理由があって、それだけの代償がある。すべてを理解したうえで選ばなくては。

半分ほど飲み切ったコーヒーはすっかりぬるくなってしまった。


「今から言うことで、おまえが俺を軽蔑したって構わねえ」


そう切り出した清志は、きちんとした理由を見つけたのだろうか。そうして代償を理解した上で、決めたのだろうか。そうだとしたらわたしはその言葉を受け入れるけれど、なんて、そんな考えは愚問だった。だってそうだ。この考え方はかつて清志がわたしに伝えたものだった。清志は誰よりもこの考え方を理解していて、そしてなおかつ、いつだって強い意志を持っている。わたしはこの男のそんなところに惚れたのだった。


「俺はもう高校生じゃねえ。バツもついちまったし、おまえの高校時代の親友の元旦那だ。そんな俺が嫌じゃなければ、これからも一緒にいてくれねえか」
「…それってつまり、どういうこと?」
「つまり、って、おまえ」
「もっとはっきり言ってくれなくちゃわかんないわ」
「…おまえ察しがいいほうのはずだろ」
「すこしぐらい我儘でもいいじゃない。普段は言わないんだから。こういうときぐらいハッキリ言ってほしいっていう女心だって理解してほしいの」
「……あー、くっそ」
「え?なに?」


ここはわたしの夢の中ではない。
わたしたちは高校生ではないし、学校に行くような年齢でもないし、仮に学校へ行ったところで清志には会えない。夢の中の彼は既婚者ではなかったし、今目の前にいる彼だって既婚者ではないにしろバツイチだ。なにもかもがわたしたちが学生だったころと比べれば輝きを失っていたけれど、十分だ。これで十分。わたしだって女子高生だったころのような純粋さなんて欠片も持っちゃいないし、それでも清志が好きだという気持ちだけは残っている。その上、何の障害もない。ならここは現実なのだから、夢では出来なかったことをしよう。どんな行動を起こしたってこの夢は終わらない。好きだと伝えるのに障害なんてのは何一つとしてないのだ。親友だったあの子の事なんて、これ以上気にしてなんかいらんない。


「お、俺の…奥さんになって下さい」


もうすっかりいい歳だろうに、真っ赤な顔をして振り絞るような声でそうわたしに伝えた清志のなんて可愛らしい事か。だからわたしはそんな清志の小さな頭を小突いてやりながら「浮気したらぶっ殺すからね」と軽口を叩いてやった。そうしたら清志は顔をあげて、それからわたしを見て顔をくしゃくしゃにして笑ったのだ。「当たり前だろバカ」笑ってくれたのだ。その笑顔は高校時代に清志がわたしに見せた笑顔とまるで変わらない。
ああ、身に余る幸福というのはきっとこういうのを言うのだ。足元から崩れ落ちてしまいそう。現実が信じられない。彼と結ばれることなんてこれっぽっちだって考えちゃいなかった、大人ぶって彼とのリスクは理解していると豪語していたあのころのわたしは一体どこへ行ったのだろうか。
何があっても離れたくない。
この人はわたしだけの人なのだと世界中に自慢して回りたい。

この左手の薬指はもうわたしのものだ。他の誰のものでもない。

(14.0927)
こんな感じでよかったですかね…ハッピーエンドになっているかどうかは分からないですが、とりあえず当人たちから見たらハッピーエンド…?素敵なリクエストありがとうございました!

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