黄瀬に会う頻度はそこまで高くない。大体会うのは黄瀬の不定期な休日の前日で、それはあたしよりよっぽど多忙な黄瀬のスケジュールを考えれば仕方のないことなのかもしれないけれど、翌日あたしが振休をあてたり有給をとるのは少しでも黄瀬と触れ合っていられる時間を確保していたいからだ。黄瀬はそんなあたしの行動を知ってはいるけれど、わざとからかうようなことはしない。お互いに好意がないことを前提とした気楽な付き合い方なのだ。セフレに情なんて必要であるはずがない。

まあ何が言いたいかと言えば、黄瀬と会えない休日にあたしは何もすることがないのだ。気まぐれに煙草を吸ってみたりするけれど、これだって黄瀬と会わない間の暇つぶしでしかない。こんなことを言ったら黄瀬に「やっぱり俺のことが好きなんじゃん」なんて軽口を叩かれそうなものだが、勘違いしないでほしい。黄瀬より相性のいい男が今のところ見つからないだけだ。そうでなければならない理由を差し引いたとしても、あたしの中にそこまでいじらしい黄瀬への恋心はない。


「…たまに連絡とってきたかと思えば、あんたってほんとタイミングいいよね」
「今俺って褒められてんの貶されてんの」
「両方ってところじゃない。暇だからってあたしに連絡とっちゃうあたりあんたってほんと潔いぐらいクズだよね」
「おまえも大概だろ」
「じゃないと来ないよね」
「分かってるならもういいじゃん」


そう言いながらあたしの腕を取る男はあたしの元彼だ。別れ際はそれはもう最低なもので、男は浮気しておきながら一切悪びれる様子もなく開き直り、あたしは可愛げがないから嫌なのだと言い切った。まああたしとて浮気していたからおあいこなのだろうが、あたしの浮気はバレていないのだからこの際関係はない。だが男はあたしと別れても定期的に連絡をとってきた。おおかた浮気相手から本命彼女に昇格した女とは別れたのだろう。たしかにこの我儘放題の男に付き合うのは疲れるし、この男を本当に愛していたというのならその辛さは普通の女の子に耐えられるようなものではない。別れた今だって付き合っていた当時だって、あたしはこいつの長所なんて顔と性欲ぐらいしか思いつかないぐらいなのだ。間違っても結婚には向かない男だった。
だがそれでいてこの男は自分と似たような人間を見つけ出すのがうまかった。そしてそんな人間の誘い方も長けていた男は、たびたびあたしを呼び出してはこんなふうに身体だけの関係にもつれこませようとする。

けれどあたしがこの男の誘いにのったことはここ1年まったくもってない。男はいつも残念そうにあたしを睨み付けるけれど、それでもこの男と身体を重ねるぐらいなら次いつ会えるか分からない黄瀬を待っていたほうがよほどあたしの心は満たされたのだ。あれだけ身体を重ね合っていた男相手だったとしても黄瀬の身体には勝てないと知ってしまってからはこの男とのセックスはただの時間の浪費だと思えるようになった。だからこそ黄瀬はあたしのことを一途な女の子みたいだと評価するのだが、あたしが一途だとカテゴライズされてしまうような世界は腐っていると心底思う。

ならなぜこの男についてきたのか。
ただ魔がさしただけである。


「つうか珍しいじゃん、おまえが俺の誘いにのってくるって」
「たまたま休みだったから」
「へー」
「それにあたし最近悩んでるの」
「あ、俺そういうめんどくせえのパスだから」
「別にあんたに聞いてもらったところで解決しないし話すつもりもないから安心してくれる?」
「ならいいけど」
「恋人でもない男に限定する理由ってないじゃない。なのにあいつ以外興味が沸かないからさ、まさか好きにでもなったのかと思って焦っちゃって。だから他のやつも試してみようと思っただけ」
「それそいつが知ったら泣くんじゃねえの」
「そいつだって遊んでるよ、きっと」
「それおまえは知らねえんだろ」
「でも、きっと遊んでる」
「わかんねえじゃん」
「なに、あたしと遊びたくないの?」
「そういうわけじゃねえよ。まあおまえがそれでいいなら、気が変わらねえ内にホテル行こうぜ」


真昼間からホテルに連れ込もうとする男の思考回路は相変わらず下半身に集中しているようだが、この男を選んだのは黄瀬以外の男を、と考えたときに、見ず知らずの男に抱かれるのだけは嫌だと思ったからだ。なら多少なりとも気が知れている方がいい。なんて、数年前の自分なら考えられない考え方だろう。見ず知らずの名前もわからない男とセックスをして、そのまま連絡先すら交換せずに別れたことだってあるぐらいなのに、いまさらあたしはこの歳になって何を清純ぶっているのか。
わからないが、どれだけ悩んだところで解決しないものをこれ以上悩んだところで仕方がない。

だからあたしは男にとられていた腕を奪い返すと、付き合っていたころのように男の腕に腕をからませてみた。

だが落ち着かないのだ。どうしてだか、歩きづらいし居心地の悪さを感じる。男の歩幅は付き合っていたころとなんら変わらないし、ヒールだって履いていないのに。どうしてだか埋まっていない溝があるような気がする。これは黄瀬となら、埋まっていたのだろうか。そんな考えが頭の片隅に浮かんで、打ち消すのに時間がかかって仕方がない。


「ねえ」


やっぱりやめよう、と声をかけようとしたときだった。コートのポケットに入れっぱなしにしておいたスマホが震えて、思わず声が止まる。けれど男は耳が良かった。「電話?」と声をかけられて、そのままコートからスマホを取り出した。仕事の電話が休日に鳴ることはそういえばこの男と付き合っていたころからよくあったっけか。男は慣れたようにあたしから離れて煙草に火をつけた。その相手が誰かすらもろくに確認することもなく。


「…珍しいね、この時間に電話なんて」
『だめっスか?』
「別にいいよ。仕事じゃないの?」
『今ちょうど休みなんだよね』
「そうなんだ」
『あんた彼氏できたんスか?』
「…ああ、見られた?違うよ、元彼」
『腕まで組んじゃっていい感じじゃないスか』
「そう見える?全然だよ。向こうが暇だったから呼び出されただけ。今もかなりイライラしてる。早くホテルに行きたいんだろうね」


仕事の電話じゃないなら早く切れよ、と言わんばかりにイライラと地面を小さく蹴り始めた男のこの癖は心底みっともないと思う。まだ1分も経っていないというのに、だ。そりゃあ彼女にも捨てられるだろう。こんな男の隣にいられるのはかつてのあたしのようにこの男にたいして興味のない女だけだ。どうしてそれに気が付かないのだろう。気付かせてやるほどの義理もないからあたしは何も言わないけれど。


『あんたはそいつのことが好きなわけ?』
「そんなことないよ」
『俺じゃ満足できなくなったってこと?』
「それは絶対に違う。わかんなくなっちゃったから」
『何がっスか』


そう問う黄瀬の声は冷たい。だから、もう終わりなんだと思った。あの心地よい関係ももう終わり。一気に面倒な女に成り下がってしまったあたしを黄瀬はこれ以上必要とはしてくれないだろう。あの部屋での夢は終わった。あたしはもうあの温度を忘れて生きていかなければならない、そう考えたら、年甲斐もなく真昼間の街道で泣いてしまいそうになった。けれどやはり下手に歳は食っていない。それなら、自分一人で悩んでも分からなかった答えを、黄瀬に委ねようと思った。それに解決しなくても、きっと、抱えているより随分と楽だ。


「今のあたしだと、まるであんたに惚れてるみたいだから、そんなのってダメでしょ。重たいでしょ。あんたとあたし、らしくないでしょ」


声は震えていたけれど、きっと泣いているのはバレていないだろう。男だってもうあたしに興味を失ってこちらを見ることすらしていない。それにあたしは髪が長いから、涙なんて見えないに違いない。びゅうびゅうと風が吹く音がして、滲んだ視界の中で毛先が揺れた。
ばかだと思う。まるで高校生みたいに四苦八苦して、思考回路がこんがらがって、最初はこんなつもりじゃなかった、こんなはずじゃなかった、できるはずだったのに、とそんな言葉ばかりが駆け巡る。

けれどもうできなかったのだ。あたしはそれを、できなかった。黄瀬が与えてくれる満足感に溺れて、案の定好きになってしまったのだ。


「あんたと俺らしさって、それはあんたが勝手に決めただけじゃないスか」


耳元で通話終了音がするのと、頭上からそんな言葉が落ちてくるのは同時だった。だから思わず反射的に顔をあげたのだが、するとそこには困った顔をした黄瀬が立っていたのだから、もうこれはきっと夢なんだろう。そうだ、そうでなければこんなに都合のいい幻を見るはずがない。けれど幻の黄瀬は温かい指であたしの目元をぬぐって、困ったように笑いながら「やっぱり泣いてた」なんて言うのだ。あれだけ近くにいた男ですらも、あたしが泣いていたことには気付いていなかったというのに、黄瀬は押し殺したあたしの声で泣いているのを察してここまで来てくれたのだ。
ほんのすこし息が上がっているあたり、もしかして走ってきてくれたのだろうか。雑踏に紛れてしまうようなあたしですらも、見つけ出してくれたのか。

もうこうなってしまうと後は我慢をするのも限界だった。あたしの目からはさらに涙が溢れてしまって、もう視界なんて何が映っているのかすらもよくわからない。それでも声だけで、黄瀬が笑ってくれているのは分かった。だからすこしだけ、安心する。


「俺、あんたが俺以外の人と一緒にいるのも嫌なんスけど。これは恋なんスかね」
「…そうなんじゃない」
「あんたは俺に惚れてんの?」
「…そうかもしれない、」
「だったら行かないでよ」
「あんたはそうしてほしいの?」
「じゃなけりゃ年甲斐もなく走ったりしないっスよ」


ずっと好きだって言いたかったんス、とあたしを抱きしめる腕の中には隙間なんてこれっぽっちもなくて、体温が戻ってくるのがわかる。あーあ、難攻不落なんて言われてたのに、あたしなんかに落ちちゃって大丈夫なの。ほんとにあたしのことが好きなの。あたしも好きだけど、あたしでいいの。なんて、そんなことはどうでもいい。
男はもういなかった。あれで気の利くやつだ。

だからあいつと一緒にさよならしよう、過去のあたし。

もうこれからのあたしは、黄瀬さえいれば他には何もいらないし、寂しさを感じる暇なんて与えられることもない。

(14.1123)

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