まだあたしが女子高生だったころ、あたしには好きな男がいた。それも、学生時代のほとんどすべての時間を捧げてしまうほど好きだった男だ。好きなんて言葉じゃ足りないぐらい、愛しかった。そいつはあたしとはまったく違う世界の住人だったのだろうけど、そんなことあたしはこれっぽっちだって気にならなかったし、これから先もずっと2人で笑いあっていけるんじゃないだろうかなんて幻想を抱いていたっけか。けれど、どこかでずっとあたしたちが一緒になれないことは分かっていたから、タイムリミットを知った時もそこまでショックはなかった。
いや、ウソだ。
あたしはいつも跡部の前では強い女の子でありたかった。泣いたりして跡部を困らせたくはなかったし、そんな弱くて無様な自分を許したくもなかった。跡部の前で泣いてしまったのは、あの1度きりだ。自転車置き場で、跡部に最後に愛してると言ってもらえた日。あのとき、あたしの青春は終わったのだ。そしてそれ以上進もうともしない。馬鹿だと笑ってくれておおいに結構だ。自覚はある。けれどあたしは25歳になっても、まだあの恋が絶ち切れないのだ。せめて跡部と顔も名前も知らない女の子との結婚式でも見ておけば多少は踏ん切りでもついたのかもしれないけれど、式当日、あたしは式場に入ることすらできなかった。なんでも、ニヤニヤとした顔を隠すことなく現れた跡部のお母様いわく、新婦がどうしてもあたしの顔だけは見たくないのだと言う。だからあたしだけ、跡部のタキシード姿を見れなかった。そのときも忍足は何も言わなかった。やはりあいつは気の使えるやつだったのだろう。ただ、そのころまだまだ子供だった岳人はあたしのところへやってきて、「跡部はおまえを探してたぜ!やっぱりお前らは一緒じゃねえとダメなんだよ!」なんて声を荒げてくれた。岳人は、あたしたちが別れざるを得なかった状況に対して誰よりも不服そうにしていた男だった。けれど、そんなことをあたしに言われても困ってしまう。だって、そんなの、できるものなら、一緒になりたい。そう考えているのはあたしのほうだ。きっと岳人たちが抱いているよりもよっぽど鮮明なその気持ちは、閉じ込めておかなければ自分でも何をしてしまうか分からないような代物だったのである。だからあたしは、必死に平気そうなふりをして、跡部に式に出られなかったことへの謝罪と祝いの言葉をメールで送り、それから、必死に毎日を生きた。

いまさらこんなことをしても、なんてくだらない考えがよぎったこともあるが、それでもあたしはかなりの時間を勉強に費やした。そして難しい資格を取得して、留学をして、すこしでも、あのころのあたしよりも価値のあるあたしになろうとした。跡部家にとって価値のある女になれれば、家柄や財産がなくても、もしかしたら選んでくれるかもしれない。そんな期待を数年間捨てられなかったあたしは、世間一般的に見て成功したのだろう。
けれど、跡部が経営している会社はあたしたちが学生だったころよりも成績をあげ、今や世界でもトップレベルの企業にまで成長している。テレビのニュースでは連日跡部財閥の名前を聞くし、今大学生たちの間では就職したい企業ナンバーワンに跡部の会社が選ばれているらしい。だが跡部が求める人材のスペック水準は驚くほど高い。あたしではおそらく一生かかっても届かないだろう。

だから、諦めるタイミングを見誤ってはいけない。


「あたし結婚するの、忍足」


そう言ってやったとき、忍足はびっくりしたような顔をしていたけれど、それでも忍足があたしにした質問は1つだけだった。あいつはもうええんか、なんて、いいわけがない。それでもあたしはウソを吐いた。笑って、もう忘れちゃった、なんて、思ってもいないことを言ったけれど、忍足はあたしがそう答えることを分かっていただろう。お互いただ歳を食っただけじゃあない。あのころより経験豊富にもなったし狡賢くもなった。いくら若いころからお互いを知っている間柄とはいえ、もうあのころのように思いの丈をすべてぶつけ合うようなことはしないだろう。
忍足は相手がどんなひとかを聞かなかった。もし尋ねられたら、どう答えればあたしがその人に心底惚れているように聞こえるか、必死にシュミレーションしてきたというのに。けれどまあ、そんな空しいことをしないで済んだことをあたしは素直に喜ぶべきである。だからあたしは忍足に招待状を送ることを伝えると、そのままカフェを出た。
諦めるべきときがやってきたのだと悟ってはいても、それでもあれ以上忍足の顔を見ていると、また泣いてしまいそうな気がして仕方がなかった。
彼はやさしいひとだった。結婚式をするにあたって、あたしの願望をすべて叶えてくれようとしたし、ドレスを試着したあたしを見て「きれいだよ」と涙ぐんだ目であたしをほめてくれた。そのたび、あたしの選択は間違っていないのだと言い聞かせるようにして日々は過ぎていく。それはそうだろう。あとどれだけ生きたとしても、これだけあたしのことを愛してくれるひとはもう現れたりはしない。女子高生ならまだしも、自分が彼のことを本気で愛せないから、なんて、そんな言い訳が通用するはずもないのだ。結局彼を選んだのは、あたしだろう。

そして式当日、懐かしい面々と顔を合わせ、彼らから祝福の言葉を受ける。それでもう、すべて終わりだと思っていた。岳人も宍戸も左手にきれいな指輪をつけて、それぞれの奥さんを隣に連れているのに、泣きそうになりながらあたしたちを見守っている。そんな中、忍足だけはあたしのことを試すような目で見据えているけれど、そんな忍足だって、あたしのこんなどうしようもない選択をいつかは認めてくれるだろう。
そう思っていた。
そう、思いたかった。

「なあ」

声がした気がした。ずっと聞きたかった声。何をしていても忘れることのできなかった、いつかの彼の声。だからゆっくりとそちらへ振り向けば、そこにはいつかよりも大人になった、跡部が立っていた。
だけど、夢だろう。そうでなければ救いようがない。あたしの手は彼にゆだねられているのだから。きっとこれから先も一生、そうして、続いていくはずなのだから。
けれどやはりこれは夢ではない。そこに跡部は立っているし、学生時代と変わらないよく通る声はそんな遠いところに立っているにもかかわらず、しっかりとあたしに届いている。
けれど跡部はその場から動かない。あたしとの距離を詰めることは、しない。

「…招待状は、だしてないわ」
「そうだな。出されてねえ」
「薄情な女でしょ」
「どっちもどっちだろ」
「でも、祝福しに来てくれたの?」

そう言ってやると、跡部は昔と変わらない表情で「そう見えるか」とあたしに問いかけた。だからあたしは、跡部から目が離せない。視界の端でちらつく忍足はなにか思うところがあるのだろうか。いや、そうでなければ。だってきっと、こんな場所に跡部を連れてきたのはほかならぬこいつだ。きっと宍戸や岳人ではこんなことはできやしないに違いない。

「おまえが他の男のもんになるって聞いてよ」
「そりゃそうでしょ、あたしももう25歳よ。結婚ぐらい考えるわ」
「俺は、まだあの言葉は誰にも言ってねえぜ」
「……あの言葉って」
「忘れたわけじゃねえだろう」

そりゃそうだ。片時も忘れたことはなかった。あたしの人生が1番うつくしかったとき。あれ以上の幸福などないと、死ぬ間際まで思えるたしかな時間。そんな時間を、忘れるはずがないじゃないか。
そして目のいい跡部には、あたしの目が揺らいだところまでしっかりと見えたのだろう。そのうえで、跡部は一歩だけ距離を詰めてきた。
だからあたしも距離を詰めたかった。けれど、足が動かない。ああ、ほんとうに大人になんてなりたくなかった。あのころのあたしならすべてを捨ててしまっても、その跡部の真意を知るためだけに足を踏み出せたはずなのに。

「あのころの俺には縛られるもんがあった」
「そうね」
「今の俺には、何もねえ」
「…そうなの」
「もう俺に意見できるのは、俺だけだ。俺はもうあのころの俺じゃねえ」
「そうね、跡部財閥は、あんたが総帥になってからめまぐるしいスピードで成長したもんね」
「俺がほしいのは今も昔もおまえだけだ」
「……何を」
「25歳になっても、変わらねえ。おそらく一生変わらねえ」

俺のために、すべてを捨てる覚悟はあるか。
跡部はそう言って、あたしに手を差しのべた。そしてその手は、きっと、これから先どんなことがあっても必ずあたしを守ってくれるだろう。そうするだけの力が、今の跡部にはあるはずなのだから。だから今のあたしに必要なのは、ほんとうに、跡部を選ぶ覚悟だけだ。世間体をかなぐり捨てて、今、跡部を選べないなら、あたしはこれから先どんなことがあったって跡部を好きだと思うことはできない。今あるものはもう2度と手に入らないかもしれない。けれど、跡部を捨ててまで許されたいことなんて、今のあたしには何もない。
彼とつないでいた手はいつのまにか解かれていた。きっと彼は、今、すがるような目であたしを見つめているだろう。けれど、もう、彼はあたしにとってそこまで価値のないものになってしまったのだ。一生憎んでくれてもいい。それだけのことをあたしはこれから、する。

「跡部、まだあたし、あんたのこと愛してるの」

ぼろぼろと涙でメイクがはがれおちていくのは分かっていたけれど、それでもそのまま、しゃくりあげるように伝えたら、跡部はうれしそうに笑ってくれた。だからもう後ろは振り向かない。ヒールを脱ぎ捨てて駆けだしたら、きっと跡部が腕を広げてあたしを迎え入れてくれる。

(13.0118)
大変お待たせいたしました…!こういうエンドもありかな…っていう…。跡部は主人公を迎え入れるために必死に働いて、ようやく主人公を選べるようになったっていう。間に合わなかったらそのときだと思ってたけど、間に合ったらこうなるのも選択肢的にはあるのかなと思ったのでこういうお話にしてみました!
リクエストほんとうにありがとうございました!


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