「号外だよ」そう声をかけられて気まぐれにその男からそれを受け取ったのはほんとうにただの気まぐれだった。ただ、その男の言葉がイタリアなまりのように感じられたから。懐かしいと思っただけだ。そしてそれを指摘すれば男は嬉しそうにイタリア語を話しだした。まあ、異国の地に住む者ならばだれしもが母国語を懐かしむものだろう。あたしだってイタリアへ行ったころは日本語が恋しかった。


「お姉さんイタリア語がわかるんだねえ」
「ばかにしないで、だいたいの言葉は分かるわよ」
「この土地でイタリア語がわかるなんて、なかなかそんな女の人はいないからねえ。それにお姉さんは若そうだし」
「…そんなに若くもないのよ」


苦笑しながら号外を受け取れば、そこにはボンゴレのニュースが躍っていて、遠く離れたこの地でもボンゴレがもたらす影響は及ぶのだとひどく冷静な気持ちになった。まあそれは無理もないだろう。ボンゴレはイタリアンマフィアだが、世界でもっともおおきなマフィアであるといっても過言ではない。どの国にもボンゴレの息はかかっている。それはこの寒い国でも同じことである。
しかしこの気のよさそうな男はまさかあたしがそのボンゴレという組織の最前線で働いていたなどと気付きはしないだろう。このあいだイタリアへ帰ったのだと言う男はあたしに今イタリアがどのような状況にあるかを饒舌に報告してくれたけれど、別にと言って愛着もなければ目新しいニュースもない。あたしもヒットマンを抜けたとはいえど、恨みを買う身だ。いつ殺されてもおかしくないと自負しているし、そうならないための情報集めは今でも徹底しているつもりである。

けれど、ヴァリアーの内情だけはちっとも調べようとは思わなかった。たしかに時折なぜかベルやスクアーロから住所を知らせてもいないのに手紙がくることはあったけれど、それも写真ばかりであたしに対してのメッセージが書いてあるわけでもないので返信すらしていない。まああたしも無慈悲な人間なわけではないから、かつて一緒に働いていた仲間たちが今どのような暮らしをしているかを知りたいと思わないでもないが、それでもそおにもうあたしはいられないのだ。それならば彼らがどのような暮らしをしているかを知ったところで意味がない。生きていれば上々だ。そういう世界であたしたちは生きているのだから。だから、おそらく、あんなふうに手紙がくるうちはあたしは彼らに対してなにかアクションをとることはないだろう。

しかし男はどこまで情報を握っているのか、ヴァリアーの名を口にした。まったくここが異国の地であるからと男は油断しすぎているらしい。もしこのあたりにヴァリアーやボンゴレの人間がいたならば、即座にどこかへ引きずり込まれているところだ。

だというのに男は続ける。


「最近はヴァリアーのボスはちょっとばかり腑抜けてるみたいだぜ」
「へえ、ヴァリアーのボスが腑抜けてるのは昔からでしょう」
「あんた、まるで知ってるみたいに言うんだな」
「イタリアに住んでる人間なら、ある程度噂を耳にすることはあるはずよ。まあ、そんな噂を口にするのはよっぽどの命知らずだけだろうけど」


そんな噂をしているのを知られたら殺されちゃうだろうから、と呟けば、男の顔はみるみる蒼白になっていく。そんな男を笑い飛ばしてやりながら「まああたしはボンゴレとは無関係だから、はやくお家に帰りなさい」とその手にある程度の金を渡してやれば、男はやたらとぺこぺこ頭を下げながらどこかへと走り去っていった。まあ、聡い男なのだろう。普通のふりをしていても、あたしはやはりどこかでヒットマンらしさが残っている。おかげで一般人として暮らすようになり3年経った今でも一般人の友人なんかはできないままだが、1人でいるのもまた気楽でいいだろう。10年間もたった1人のために自分の時間をすべて費やしてきたのだ。このぐらい気兼ねなく生きていける時間があったって、いい。

しかし号外は意外とあたりだったようである。そこにはまだあたしが知らなかったイタリアの現状がつづられていて、あの男はひょっとすると情報屋あがりのライターでもしているのかと思ったが、まあわざわざ追いかけるほどのことではない。いざ使えると判断すればもう1度探し出して契約すればいいだけだ。


「やっぱりイタリアは物騒ね…」


だれにも理解されないことをわかっていて日本語でそう呟くあたしの姿は、この街にうまく溶け込んでいるのだろうか。いまでも黒いコートを着ている自分の夢を見る。爆発音と硝煙のにおい。そして戦場を駆けターゲットの首を切り落とすあたしの隣には、そんなあたしを見て満足そうに笑う、ザンザスがいて、…ああ、やめよう。こんなことばかり考えるのはよしたほうがいい。なんだってあたしは10年も時間を捧げたあげくあたしを捨てたような男を懐かしく思い出さなければならないのだろうか。愛してる、なんて、2度と思いたくはない。

けれど、あたしの人生を語る上でザンザスという存在が必要不可欠なのは紛れもない事実だ。ザンザスに出会わなければ今のあたしはいないし、きっとこれから先ザンザスと一緒にいた時間よりも長い時間をザンザスに会わないまま過ごしたとしても、あたしの心だけはずっとおなじところにあるのだ。それはたとえザンザス以外のひとと一緒にいたとしても、変わることはない。

ああ、頭が痛い。
こういうとき、あたしは決まってお酒を飲む。それもまたザンザスが好んでいたウィスキーばかりを飲んでしまうのだからバツが悪いが、それでもあたしたちの趣味は思い返せばよく似ていた。まあそれはあたしがザンザスを追いかけていたからという理由も大きいのだろうが、すでに好きになってしまったものは仕方がない。
帰り道の酒屋で売っていただろうか。いや、まずは荷物を置こう。あるいは号外にすべて目を通してからでも遅くはない。家に帰ろう。どうせここからも近いし、酒場だってそう距離があるわけではないのだから。

そう思いながらドアを開けたときに、わずかな違和感を感じたのは長年ヒットマンとして生きていた習性の残りだろうか。まるで頭の中で細い糸が張り詰めるような感覚がして慌てて身を構えるけれど、相手はどうやらあたしよりも強いヒットマンだったようである。その姿も捉えられないままにあたしの身体は勢いよく壁に打ち付けられて、一瞬息が止まる。だが、この程度の衝撃で意識をとばすほど軟弱な鍛え方をしているわけでもないし、平和志向なわけでもない。すぐさまあたしを襲撃してきたヒットマンの顔を見据えれば、そこにあったのは懐かしい顔だった。いや、懐かしさはそこまで感じなかったかもしれない。なぜならあたしは、会えなくなってからも、毎日のようにこの顔を思い出していたのだから。


「腕が鈍ったんじゃねえのか」
「…3年も一般人やってるわりには上等でしょ」
「俺の姿も捉えられなかったくせにか」
「本気出したあんた以上に強い男が世の中にそうたくさんいてたまるもんですか」
「クハ!!そりゃそうだ!!」


高らかに笑うザンザスはあたしの首から手を離すと、さきほどあたしの手から離れた号外を拾い上げた。だからあたしも軽く呼吸を整えて、どうにかしてこの状況を理解しようとするのだけれど、実際ザンザスの考えていることなんて四六時中一緒にいたあのころだってわからなかったのだ。理解することは不可能だろう。早々に諦めてザンザスに紅茶でも出そうとキッチンに立てば、ザンザスは当たり前のようにソファに腰掛けながら「イタリアのニュースじゃねえか」と吐き捨てるようにあたしに話しかけた。


「そうよ、さっきそこでもらったの」
「イタリアじゃねえところに行きてえと言っておきながら、イタリアの情報は手に入れてえのか」
「あたしも恨みを買ってる。身を守る手段として情報はなによりも大事なこと、あんただって分かってるでしょ」
「そりゃ情報屋まで買ってすることか?」
「…どこまで知ってるのよ」
「おまえの気に入りの情報屋は口が軽い」


おそらくあの金さえ積まれればどんな仕事だってやる情報屋はザンザスの金で買われたのだろう。そうなる前にあたしに連絡の1つぐらいくれてもいいだろうに、世の中情だけでまわっていくほど優しくはないらしい。
しかし知られてしまったものは仕方がない。諦めてあたしも紅茶を持ってザンザスの前に座れば、ザンザスはそれを待ってから読み終わったらしい号外をあたしのほうへ放り投げた。


「くだらねえニュースだな」
「そりゃイタリアに住んでるザンザスからしてみれば目新しいニュースなんてないでしょうよ」
「そうじゃねえよ」
「じゃあ、どういうことよ」
「これを読んで、おまえはどうするつもりなんだ」
「はあ?」
「こりゃボンゴレの記事だ。もし、俺らが窮地に瀕してるなんざ笑えねえニュースがあったら、おまえは何かするつもりだったのか」
「……それはどうだろうね」
「気に入りの情報屋には素直らしいな」


…役に立たない情報屋め。あたしがやつに話したことはすべてザンザスに筒抜けらしい。
ああ、そうだ、あたしが必至になってイタリアの情報を集めていたのは彼らの息災が知りたかったのと、いざとなればこの力を彼らに最適のタイミングで貸すことができるように、だ。だからあの情報屋にもボンゴレの情報は細かく集めさせていたし、それは義務でもなんでもなくあたし自身の希望だった。
あたしはザンザスに惚れているのだ。男としてもボスとしても。そんな男のために尽力することは、ヒットマンとしてなによりの喜びだった。

けれどザンザスの前に現れるつもりはなかったのである。多少力を貸せば、あたしはまた消えるつもりだった。もう2度とザンザスに迷惑をかけるつもりなど、なかったのである。
だが、でもだって、と言い訳をするつもりはない。もしかしたらあのとき、なんて期待もしない。すべては終わったことで、今あたしがここにいるのはあたしが決めたことだ。そこにあたし以外の責任はないのである。

だからおおきく息を吸い込んで、なるべくヒットマンだったころのあたしらしく振る舞うことにした。
もう、女であることをザンザスに悟られたくはない。


「それならあんたはどうしてここにいるの」
「どういう意味だ」
「あんたとあたしは終わってて、あんたは結婚してるでしょう」
「それが理由か」
「ええ」
「全部か」
「何が言いたいの」
「傑作だな、おまえは何を嗅ぎまわってやがったんだ」


あの女なら追い出した、と告げたザンザスの左手の薬指には何もついてはいなかった。そしてそれはもうすでにザンザスが結婚という契約を誰とも結んでいない証拠にもなりえる。たしかにザンザスがここへ来る前に外した、という考えもできなくはないけれど、あたしはザンザスがそこまで器用な男ではないことを知っている。
知っている、知ってしまっているのだ。


「…どうして」
「俺の求めた条件をクリアしなかったからだ」
「あの条件をクリアできなかったの?」
「おまえ以上の女になることが条件だった」
「…はあ?」
「無理だろうが」
「……あんたって、結局何がしたいの」
「ならおまえは何がしてえ」
「あたしは、あんたのいないところに」
「俺はそれをもう認めねえ」
「はあ?」
「俺が我儘なのは今に始まったことじゃねえだろうが。甲斐甲斐しく手紙なんざ送っておまえの便りを待つのは性に合わねえ」


あの手紙はベルやスクアーロが贈ってくれたものじゃなかったの、と、返す声は言葉にならなかった。それどころかうまく呼吸もできない。今までのあたしが消えていくのが分かる。たった1人きりで、一般人を演じてうまく生きているつもりになっていた、不格好なあたしが。そして生まれるのはザンザスのことが愛しい愚かなヒットマンだ。どちらのほうがいいかなんてもう今のあたしにはわからない。選択肢なんてない。


「3年も1人の時間を与えてやったんだ、残りの全部は俺に捧げろ」


そう言うザンザスの手にはプラチナリングが握られていて、それを指ではじいてあたしに寄越すザンザスにロマンチックなムードなんて、最初から期待していない。あたしが愛したザンザスは、もうすでに完成されているのだ。どんなザンザスだって受け入れられる自信はある。だからあたしもそれを受け取って、それを左手の薬指にはめてやった。

おそらくここでの生活はもう今日で終わるのだろう。満足げに高笑いするザンザスがきっとあたしを攫ってしまう。けれどそれでいいではないか。なにも困ることなどない。空虚の3年間がただ終わっただけだ。そしてこれからもまた、あたしは愛した男のためにすべてを捧げる日々を送ることができる。それは何よりも、幸せなことだ。

(14.0218)
大変遅くなりました…!素敵なリクエスト、本当にありがとうございました!


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -