世間一般的に「悪」であると呼ばれるものが嫌いだった。だからわたしの夢はちいさなころからそれらを裁くヒーローになることだったし、実際わたしはそんなちっぽけで壮大な夢を大人になって叶えたつもりでもいる。利益のために人を殺す暗殺者を消し、わたしたちの国を脅かすスパイを消し、そうしているうちに、わたしの求めていた正義もおなじように誰かにとっては「悪」であることに気が付いていたけれど、それでもわたしは誰かを不幸にはしない。国のために動くわたしだけれど、それでもわたしはわたしなりの正義をもって動いているつもりだった。
そんなわたしが結婚するだなんて誰も予想だにしなかったに違いない。仲間だって「おまえに結婚願望があったのか」なんて驚いていたぐらいだ。だからわたしはそんな彼らに笑顔でピースをして、ウェディングドレスを着たまま彼とスポーツカーに飛び乗ってそのままハネムーンに出かけた。しあわせだった。お互いほとんど一目惚れで結婚まで突き進んでしまったけれど、後悔はない。任務先で出会った彼こそがわたしの運命の人だったのだろうと思う。国に殺せと言われたヒットマンはまったく見付けられないどころか名前以外の情報すらつかめないままで、その男を殺す任務はいまだに継続してわたしに課せられているままだけれど、きっと彼の傍にいればわたしはいつかその任務すら全うすることができるだろう。


「行ってらっしゃい、アンドレア」
「ああ、留守は頼んだぜえ」


イタリア人であるアンドレアは結婚して半年も経つのに、わたしに行ってらっしゃいのキスを強請る。そんな彼にキスを返せば、彼は嬉しそうな顔をして家を出て行った。ほんとうにわたしには過ぎた旦那だと思う。100人いれば100人がうつくしいと称えるであろう顔をしているだけでなく、彼はほんとうにわたしを慈しみ気遣ってくれるのだ。そんな彼を騙していることに罪悪感はあるけれど、それでもわたしだって仕事を辞めるわけにはいかない。
だからわたしは普段は甲斐甲斐しい専業主婦のふりをして、彼が出社してから、自分のオフィスへ向かうのだ。そのときは彼の前では着たこともないようなスーツを着て、髪だってきっちりまとめて向かう。きっとアンドレアはこんなわたしの姿なんて想像もできないだろう。彼はわたしが一日中家にいて、家の掃除をしたりお菓子を焼いたり友達と談笑したりしていると思っている。まあ、実際はわたしではなくわたしの部下が家の掃除をしたりお菓子を焼いたり晩御飯を作っていることなど、彼は知らなくていい事である。わたしたちの結婚生活が幸せであるためには、少なからず秘密が必要だ。


「おはよう」
「おはようございますなまえさん」
「今日は何か変わったことはあった?」
「先日例のスパイの一団を叩くことはできました」
「そう、快挙じゃない」
「でもなかなかヴァリアーのヒットマンは出てきませんね」
「難しいところね、ボンゴレに守られているから」
「ほんとうにヴァリアーを見つけ出すことはできるんでしょうか」
「見つけられるかじゃないでしょ、見つけるのよ。ただイタリアで暴れているだけならまだしも、彼らはわたしたちの国に被害を及ぼしたのだから」
「それもそうですね」


そう言いながらキーボードを叩くわたしの優秀な部下のうちの1人である彼女は、それでも「いい情報を掴みましたよ」とわたしにそのファイルを投げ渡した。だからそれを受け取り、ぺらぺらと捲ってみるのだが、そこにはたしかに今までどうしても掴むことのできなかった情報が記載されてあって、ぺろりと下唇を舌で撫でる。


「名前が分かったのね」
「はい、ヴァリアーの作戦隊長の男の名前はスペルビ・スクアーロです。外見的特徴をつかめなかったのが残念ですが」
「ここまでわかれば上出来よ。…ああ、失礼」


ぴりりり、と色気もクソもないメールの着信音を響かせるプライベート用のスマホを取り出すと、そこには当然だが、プライベートで1番連絡をとる夫のアンドレアからメールがきていたものだから思わず唇がつりあがる。そんなわたしを見て「新婚って幸せそうでいいですねえ」なんて茶化す彼女に言葉を返してやることはない。わたしはこの組織において1番の腕を持つ工作員であり、ここの司令塔である。誰もわたしには逆らえない。


「ごめんなさい、わたし帰るわ」
「ええ?帰っちゃうんですか」
「アンドレアの仕事に必要な書類が今日家に届くらしいの。受け取らなくっちゃならないわ」
「まったく、マフィア実態調査で向かったイタリアで運命の出会いなんて、ドラマみたいなこと実際にあるもんなんですね」
「あなたもマフィア実態調査行けばいいじゃない」
「それなら次回期待しておきます」


そんな冗談を口にする彼女だって恋人がいるだろうに浮気な女だ。そう笑ってやりながらオフィスを後にして、絶対にアンドレアには遭遇しないルートを辿って家へ戻る。そしてまたただの専業主婦のような姿に戻り、アンドレアの書類を受け取ったのはなんとオフィスを出てから20分後の出来事だった。
だが、その書類は不思議なほどに重い。いや、彼は仕事のできる男だから、こんなふうに書類が家に届くのは別段珍しい事ではないのだ。けれど、これほどまでにずっしりと重量感のある書類を果たして郵送で送る必要はあるのだろうか。…なんて、勘ぐり過ぎだ。スパイとして長く生き続けたせいか、わたしには妙に疑り深いところがある。


「…開けてみようかしら」


幸いなことに、一度開封した書類をまるで未開封のように取り繕うだけの技術をわたしは持っている。それにおそらく、優しいアンドレアはわたしが書類を見たぐらいでは怒らないだろう。「あなたがどんな仕事をしているのか気になっちゃって。ごめんなさい」とでも言っておけばきっと彼は笑って許してくれるに違いない。そう思ったわたしは、いつもなら書類なんてすべて彼の部屋の机の上に置いてしまうというのに、その書類を開封した。開封してしまった。
けれどわたしは失念していた。あまりにも幸せだったから、考えることすら忘れてしまっていたのだろうか。

わたしたちの結婚生活には秘密が必要だった。それはもしかしたら、何もわたしだけの話ではなかったかもしれなかったのだ。


「スペルビ・スクアーロ…」


イタリア語で記載されたその書類には、スペルビ・スクアーロという名前があった。それも、その書類はスペルビ・スクアーロに宛てたものだったのだ。そこにアンドレア、なんて名前は1つだって記されてはいない。
けれど、ああ、これは夢なんだ、なんて都合のいい想像はしない。わたしはスパイだ。これがどういうことなのか、わたしは的確に理解することができたし、そのための対策をすぐに考えられるだけの冷静さを持ち合わせてもいた。
そして、わたしがどうするかなんて、決まっている。というより、決められているのだ。

裏切りを思わせるような事態は三日以内に解決する。つまりはターゲットであるスペルビ・スクアーロを三日以内に殺す。それがスパイであるわたしが何よりも遵守しなければならない絶対的な掟であり、そしてそのターゲットを殺せなかったということはつまり、わたしがアンドレアに、スペルビ・スクアーロに殺されるということだ。


「おかえりなさい、アンドレア」
「ああ、ただいま」
「キスする前に聞いてほしいことがあるのよ」
「?なんだあ?」
「スペルビ・スクアーロってだあれ?」


そう言ってやった瞬間彼の顔はすぐさま歪み、そこからはもう愛し合ったことなんて忘れてしまった。隙があれば殺してやろうと銃の引き金を引き、彼の惚れ惚れするほどうつくしい斬撃をなんとか避けて、そんなふうに暮らしているうちに、だれかを殺すための手法のすべてを出し尽くしてしまったわたしたちに、これ以上殺しあうことの終わりはあるのだろうか。
お互い血にまみれたまま、任務失敗のベルを聞く。そのとき、銃を投げたのはどちらが先だったか。


「3日前までただの主婦をやってたやつとは思えねえような動きだったなあ、なまえ」
「だれもただの主婦をやってる、だなんて一言も言わなかったじゃない。それにあなたもただの営業マンにしては剣の使い方が上手だったわ」
「誰がただの営業マンなんて言った」
「お互い様ね」
「なあ」
「なによ」
「その任務ってのは3日以内にやらなくちゃならなかったんだろお」
「そうね」
「3日経ったぞ。この場合はどうなんだあ」
「さあね。ただの夫婦喧嘩にでもなるんじゃない」
「そりゃいい」
「ついでに可愛い奥さんのお願いでも聞いてくれたりしないかしら」
「可愛いだけじゃねえけどな」
「こういうエキセントリックさもいいでしょ」
「で、なんだ。素直に甘えてくるってんなら考えてやらねえこともねえぞお」
「今日が終わるまでに、わたしのいた組織を潰すのを手伝って」


任せろ、と微笑む彼の手を取れば、もう背後には裏切り者のわたしを殺さんと3日前まではたしかにわたしの手足だった部下たちが控えているのが見て取れた。けれど、負ける気がしない。結局わたしたちはお互いを殺すことができなかった。だからこそ、一緒にいるためならなんだってするだろう。


「はじめて会った時から運命だって思ってた!」
「奇遇だなあ、俺もだ」


そう言いながらわたしを引き寄せる彼の腕は生涯わたしを離しはしないだろう。そしてわたしだって何があってもこの男を手放すつもりはない。地球の裏側にいったって2人なら生きていける。きっと世界で1番お似合いの夫婦だ。もうウソを吐く必要はない。何もわたしたちを隔てるものはない。
ようやく、彼に心から愛していると言えるような気がした。

(14.0502)
お題が…!お題が素敵すぎて負けました…!!すみませんこれは…お気に召しませんでしたら書き直します!リクエストありがとうございました!

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