触れられなくなってから、どうやって声をかけていたかすら忘れてしまったみたいだ。いままでなら簡単に声をかけられたはずの距離感で、どう動けばいいのかすら分からない。けれど俺が動かなければきっと彼女は俺との間に溝を感じて、動くことはないだろう。ならばその溝が深くなる前に前のように近寄りたいと思うのに、ふとガラスにうつった自分の顔を見て確信した。その溝をつくり、さらに深めているのは俺自身だ。

それに気付いてからは何をするにしても彼女を目で追うしかなくなってしまった。どうすればいい、なにが違う。ぐるぐる回る思考ではなにも拾えない。わかっているのに、どうにもできない。俺が彼女を好きでいる限り、いままでと同じではいられないのだ。
だが、彼女が俺を必要としていることだけはわかっていた。だからおそらく、いつかは彼女だって俺を前のように必要としてくれるだろうと安易に考えていたのだが、それは俺がうまく彼女の考えをまとめてあげられたり、居心地のいい空間をつくってあげられたりしたからだ。だが、それをできるのが俺だけではなかったとしたらどうだろうか。べつにそれは、俺でなくてもかまわないのである。

だから図書館で男と2人で話をしているのを見かけたときは、心臓が止まるかと思った。かつては俺の居場所だったそこが、まるで今はその男のためにあるように見えて、世界が止まって見えた。


「ねえねえ、あたしの作ったお弁当美味しい?高尾くん」


そう言ってふんわりとした笑顔を俺に向けて微笑みかける大島は、文句なしにかわいいのだろう。その上料理も上手で、差し出された弁当は色鮮やかな上味もよかった。けれど、俺はどうしてもあいつの作ってくれた茶色ばっかりの俺の好きなものしか入っていない弁当のほうが好ましいと思うのをやめられないし、他の人に向けられ慣れた作られたようにうつくしい笑顔よりもあいつのはにかむような笑顔のほうがずっと好きだった。だが、そう思い続けていることすらもいつか彼女の負担になるのなら、今ここで捨てておかなければ。きっと、いつか、あとで。そうやって先延ばしにすればするほど、手遅れになるだけだ。捨てるには重くなるし、きっと彼女はいまより遠くなっていく。タイミングなんてのは早ければ早い方がいいのだ。

だから大島が箸でつまみあげてくれた卵焼きを口を開いて受け入れた。その卵焼きはほんのり甘くて、やはり俺の好みではない。


「うん、美味い美味い」
「ほんと!よかった〜」
「これならいい嫁さんになれるぜ!」
「もー!なら高尾くんが旦那さんになってよ」
「えー?俺ー?俺あんまりいい物件じゃねえと思うけど」
「どうして?」
「食べ物の趣味もなかなか独特だし」


甘い卵焼きを咀嚼しながら、おなじく辛いものが好きな彼女とどこまで辛いチゲ鍋を作れるかという検証をしたことを思い出した。さすがに赤くなりすぎて大量に水を飲みながら食べたものだが、あんなにうまい鍋もそうそうなかったと思う。それに彼女もおなじように清々しい顔をして「またやろう」なんて言っていたのだからおなじ感想を持ったに違いない。外でなにかを食べるにいても韓国料理へよく行ったし、焼肉屋ではメインの肉にも負けないほどキムチを食べ漁った。そんな彼女といるのは、やはり楽しかった。
それを大島ともできるか、と言われれば、否だろう。わざわざ辛い物が苦手なのと言っていた大島の前で辛い物が好きだと公言するつもりはないが、彼女ではない人間が隣に立つということはつまりはこういうことの繰り返しだ。

彼女以上に俺を知る人間などそうそうあらわれない。そして仮に俺を知ることができる人間があらわれたとしても、俺は1からすべてその女に俺を教えていかなければならないのだ。それには何年かかるのか。きっとその最中、俺は彼女を思い出すだろう。俺を知っていることがお付き合いをする条件ではないが、あの居心地の良さや彼女の持つ雰囲気を、
きっと思い出さずにはいられない。


「そういえばさ、この間映画のチケット部活の先輩にもらったの。よかったら高尾くん一緒に行かない?」


その映画は、ロードショーされはじめたころ、彼女と一緒に見に行こうと漠然と思っていた映画だった。けれど、きっともう2度と行くことはないだろう。彼女はあの先輩とよろしくやるのかもしれないし、俺はあの場所へはもどれない。きっとこの想いだって捨てなければならないのだ。ならば大島と映画を見に行こう。この際、自分から離れてしまうのだ。今でも彼女が俺のことを見てくれているのは知っていた。だが彼女の重荷になるのはごめんだったし、それならばいっそ、大島とできている雰囲気を装ってしまったほうがいい。そうすればそのうちに、彼女は俺の心配なんてやめて、自分のしあわせを追い求めるようになるだろう。


「いいぜ、いつにする?」


演じることは難しくないはずだ。いままでだって、ずっとやってきたのだから。

(14.0327)

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