電車の吊革の高さっていうのは何を基準に作られているんだ、と毎回電車に乗車するたびに思う。
本当に毎回毎回シートから立ち上がるたびに額に激突してくるし、いざ手で掴んでおこうと思っても微妙な位置だからか地味に腕が痛くなってくるし、もうどうしろって言うんだ。それに小さな背丈の子なんかは吊革すらつかめずにいたりする。もうこれを作ったやつはどういった目線でこれを作ろうとしたのか。謎が謎を呼んでいるレベルで謎だと心底思う。
だがまあわたし1人が多少文句を言ったところで日本の電車のシステムがすべて変わるはずがない。きっとこれからもずっとこのシステムを保ったまま電車のシステムは向上していくんだろう。すくなくともそれが変動するのは明日や明後日の話ではない。だからわたしは諦めることにしたのだった。


「うわ、今日も人多いな」
「まあ時間帯が悪ィからな」
「仕事終わりのサラリーマンとかか」
「あるいは俺らみてェな部活終わりの高校生やバイトあがりの大学生とかな」
「うわーほんと死んでる」


やはりというべきかこの時間帯になると電車は異常に混む。まあわたしたちが住んでいるあたりがオフィスビルがたくさんあったり学校があったりしているのが原因の一部なんだろうけど、それにしてもこの人の多さは電車に乗る気力を根こそぎ削がれていく感じがする。けれど電車に乗らなければ家に帰ることができないのはどう足掻いても変わることのない事実だ。まさかここから家までのタクシー代を捻出できるほどわたしの財布事情は景気がいいわけではないのだから。だからわたしは盛大にため息を吐くと、電車の中に乗り込んだ。
すると青峰は目ざとく何かを発見したようでわたしの腕をつかむとそこまでグイグイ引っ張っていくではないか。


「ちょ、ば、青峰!こける!こけるから!」
「あ?大丈夫だろ」
「大丈夫じゃないから慌ててるんじゃんか!」


しかし青峰はそんな何も知らないまま後ろ向きに引っ張られているわたしを一瞥すると大丈夫だと一言言い捨てて、さらにわたしを引っ張って行った。まったく、何が大丈夫なんだ何が。なんてそんな文句を垂れる暇もなかった。青峰はわたしの腕をさらに強く引くと、ぼすん、とシートに座らせてきた。ちなみに隣には携帯ゲームに夢中になっている大学生のお姉さんが座っている。


「…え…は…?」
「1人分席があいてんのが見えたんだよ」
「え、ちょ、そんな1人分あいてるんならアンタ座りなよ!部活終わってしんどいのは青峰のほうでしょ!」
「俺はいいんだよ、鍛え方が違ェから」
「わたしはマネージャーなのに」
「あーもういいから黙って座っとけ」
「でもさ、」
「うっせえな、仮におまえが立ってたとしたらこんだけ人で混んでたら、どさくさに紛れて痴漢とかされるかもしれねえだろうが。そういうの、俺が嫌なんだよ」


だから俺を安心させるためにも座れ。とわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる青峰の手にもうされるがままになっておくことにした。それにわたしだって痴漢されたいわけではないし、こんなふうに女の子扱いされるのが嫌なわけではない。むしろ、くすぐったい感じはあるけれどとても心地よいのだ。もう青峰に指摘されてしまうぐらい真っ赤になってしまっているらしい顔の熱をなんとか逃がそうと必死に両手で顔を煽いでみるも効果は薄い。


「ったくもー青峰はほんとに心臓に悪い事ばっかり言うよね」
「あ?彼女守るのは彼氏の責務だろうがよ」
「こんだけ身長あったらどちらかというとそこらへんのカップルの男に近いけどね。守られる体型っていうか守る体型だけどね」
「そーんな細ェ腕でかよ」
「青峰と比べたらの話でしょ!」
「おまえ倒すのなんざデコピン一発で十分だわ」
「なにその圧倒的な弱さ」
「まあ、なんだ。とりあえずおまえは座ってりゃいいんだよ。んで俺に守られとけ」
「…彼氏の威厳を保つためにも?」
「そういうことにしといてくれよ」


けれどわたしたちが電車に乗っている時間はさほど長くない。すぐに最寄駅の名前が放送されたので、わたしは慌てて腰をあげた。この時間電車は非常に混んでいる。だからすぐに降りられるように準備をしていないと、下手をすれば手間取っている間に電車が発信してしまうことだって珍しくないのだ。そう思って立ち上がったのだが、これはいつものパターンだ。慌てて立ち上がる、額におもいきり吊革をぶつける、悶絶する。それを分かっていたのにどうしてわたしはすぐに立ち上がってしまったのか、と来るであろう衝撃に怯えて目を閉じる。…が、予想していた衝撃は一切わたしの額を襲ってこないではないか。


「…あれ」
「オラ、どうしたなまえ。はやく降りねえと扉閉まんぞ」
「あ、降りる降りる!すいません、ちょっと通してくださいすいませーん!」


しかし(ほぼ)満員電車にシンキングタイムなんてやさしいものは存在していない。わたしは青峰になかば引っ張られるようにして無理矢理電車を降りたのだった。うん、毎日のことながら戦争だった。しかし、どうにもこうにも腑に落ちない。いや、誰かが吊革を掴んでいたのかもしれなけれど少なくとも青峰は吊革を掴んではいなかったし、周りの人たちだって吊革を掴んではいなかったように見える。なのにどうしてわたしは吊革におもいきり額を激突させなかったのだろう、と額を押さえながら考えてみるも、答えは出ない。だが、青峰はなんだかんだでまわりのことをよく見ている少年だった。すぐに「どうした」とわたしに尋ねてくれる。だからわたしは応えたのだ。


「いや、いつもならあんなふうに勢いよく立ち上がったら吊革が額にぶつかって超痛いんだけどさ」
「あーあれ地味に痛ェよな」
「うん。だけどそれが今日なかったんだよね。どっかに絡まってたのかな」
「あ?そりゃ俺が吊革を持ち上げてたからだろ」
「へっ?」
「ぶつかりそうだったから避けといた」
「そ、そんなことしてくれてたの…」
「おまえのことぐらい見てっから、俺といるときは気抜いてていいんだよおまえは」


そう言いながら軽く拳でわたしの頭をはたいてくる青峰は本当にわたしを甘やかし尽くすつもりらしい。まったく、そんなにわたしを甘やかして、わたしが青峰以外の男で満足できなくなったらどうしてくれるんだ。なんて、きっと答えは決まっているんだろう。


「あー日に日に青峰のこと好きになってる気がするわ、わたし」
「当然だろ、俺以外の男になんざ渡すつもりねえっての」
「じゃあ青峰がわたしの最後の男だ?」
「不服かよ」
「いいえ、とんでもないです!」


わたしを腕にくっつけたまま自然に歩を進める青峰はきっとこれからももっとわたしを甘やかすつもりで、そしてそれを苦とも思っていないんだろう。ああ、これが普段桜井くんのお弁当を横から掻っ攫って楽しんでいる性悪ガキ大将だなんて誰が信じるだろう。だけどそんなところも青峰の可愛い魅力のうちの1つだなんて思っているうちは絶対に青峰の傍からは離れられないし、青峰もわたしを離したりなんてしない。こういうのをきっと幸せって言うんだろう。

(13.0513)


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