神奈川に引っ越してきて早数日、いきなり恋人である彼女からいまにも死にそうな声で「…黄瀬、こんなのもうあたしの手に負えない…助けて…」という不審な内容の電話がかかってきたので、俺は慌てて財布だけを引っ掴んで家を出た。
が、同時に来なければよかったと思った。


「うわ、ちょ、何この部屋くさ!」


そう、そこはゴミ屋敷だった。
いたるところに散乱したゴミ、服、あともはや何か分からないもの。それに一体何がどうなったらこんな匂いを発するのか想像すらもできないような圧倒的に凶悪な臭気に押されて、来たばかりだというのに彼女の安否を確認することなく逃げようとしたその矢先、彼女はなんと俺の後ろに立っていて、そしてなおかつ俺の服の裾を掴んで最高にいい笑顔を俺に向けた。…だいたいこういう場合、彼女がろくでもないことを俺にお願いすることは経験上知っている。だが、それでもこれだけは御免こうむりたい。


「…あのー、これってさ、もしかして俺」
「そう、ウチのお母さんダメ女なんてレベルじゃないの。ほんとに片づけられない女とかそんなもんじゃなくてさ、ちょっと放っておくだけでこんな部屋にしちゃう天才なの」
「ちょっと?ちょっとってレベルじゃないんスけどこれ!」
「ちなみにあたしはここに半年前やってきてキレイに掃除して帰りました。3日かかりました」
「半年前掃除してコレ!?超年季はいったゴミ屋敷にしか見えねえんスけど!」
「お願い黄瀬」
「…いや、あのちょっとコレは無理っス」
「ほんっとにお願い黄瀬、あたしこのままじゃ進学できない」
「いや、分かるには分かるっスよ、状況は。でも俺もそんなにさ、片付け得意ってわけじゃないしさ…」
「黄瀬、勘違いしないでね。これはお願いじゃないの。命令」


あれ、その台詞どっかのアニメで聞いたことがあるような…と意識を彷徨わせている間に、彼女は切り札をだした。「この間貸したCD割れてたよね」手伝うことが決定してしまった瞬間である。


「つうか、これまずは何をしたらいいんスか…」
「普通なら換気なんだけどね」
「窓びっちり何かに覆われて開かねえんスけどこの部屋呪われてるんスか?」
「下にある服が重すぎて開かないんだと思うんだけど、聞いて驚くなよ。あたしが来たときはこの2倍は詰みあがってた」
「2倍!?」
「片付けられない人間がもの買うのはもう法律で取り締まったほうがいいんじゃないかなって真剣に考えたよね」


そう言う彼女の目はマジで、俺はいたたまれない気持ちになりながらも服の袖をまくりあげた。これは片付けではない、むしろ戦争である。そして彼女は懐かしい帝光のジャージに身を包み、もともときつめの双眸をさらにきつく吊り上げさせて、俺に袋を持たせた。…何をさせるつもりなんだろう。


「黄瀬は衣服回収係ね」
「え、だってこれ女の人の服じゃ…そんなん俺が触っていいもんなんスか?」
「あいつ逃げやがったの。あたしが来るまでにある程度は片付けておいてね、って言っておいたんだけど、そうしたら残ってるのは全部ゴミだからーみたいな感じで次の出張先に消えたの。だからここに転がってんのは全部ゴミだから。ブランドバックといえどもゴミだから」
「えげつねえ」


ブランドバックでさえも容赦なく捨てろと言い切る彼女になにか戦慄めいたものを感じながら、それでも俺は引き下がるわけにはいかないと食い下がった。


「だ、って、もし、下着とか出てきたらどうすんスか!」
「じゃあ黄瀬は水回りの掃除したい?髪の毛がもはやヘドロになってたりする風呂場を磨きたい?生ごみが腐ったを通り越して新しいものに成り代わろうとしてるのを取り除きたい?」
「俺、衣服回収係すげえ好きっス」
「素直でいいと思う」


なるほど彼女は戦地に赴くのか。もうすでに泣きそうな彼女に向かって敬礼をすると、彼女の敬礼を返してくれた。だから、俺はとにかく心を無にして紫や黒や赤のランジェリーたちを袋に放り込み、ブランドバックも見ることすらなく捨てる作業に没頭する。というかこんな高そうな下着やブランドバックが転がっているということはこいつの家はそれなりに金持ちだったりするんじゃないだろうか。…いや、働き頭であるという母親がかなり浪費している可能性も否めないが、きっと収入は少なくはないに違いない。
そしてゴミ袋3袋分ぐらい衣服を回収したころには、ほんっの一部ではあるが、床が見えるようになった。だからそれが嬉しくて、俺はそれを報告しようと風呂場にいるであろう彼女のところにまで向かったのだが、即座に行かなければよかったと後悔した。


「う、うげえええ何スかそれええ」
「見ちゃったのね…」
「いや、そんな芝居いらないぐらい軽くホラーなんスけどそれ何なんスか!!」
「髪の毛が溶けてヘドロになったうえになにかを呼び込んでたみたいな」
「それって魔物かなにかなんじゃないスか?お祓い行こう?」
「あたしはこれを半年前にも撃退してるんだ…だからきっと今回もできるはずなんだ…」
「震えながら立ち向かってたんスか!?」
「だって気持ち悪い…!!」
「ほんとこんなこと言いたかないけどあんたの母親どうなってんスか!」


もうもはや新たなミュータントのようなものができあがってしまっていたらしい風呂場は凄惨な状態を極めていた。そりゃもう、つらい。見ている俺でもつらいのに、ゴム手袋ごしとはいえ触らなくちゃいけない彼女のつらさなんて非じゃないだろう。かわいそうに。だからといって手伝ってはやれないチキンな俺でごめん。
というわけで俺はやっぱり衣服を無心で回収しつづけ、部屋の外では夕日が沈みかけていたころ、ようやく衣服はすべて回収できた。というか、俺は服を捨てるのに何枚のゴミ袋を使ったんだろう。何階エレベーターを往復したんだろう。そして何回、袋の中で腐っていた食パンを踏んだんだろう。…ああ、おぞましい。あの感触はすぐにでも忘れたい。
すると彼女の方も任務を遂行できたようで、真っ青な顔をしながらキッチン・トイレ・風呂場から戻ってきた。正直、生還は無理だろと諦めていた一人息子が戦争から帰ってきた母親の気持ちである。もう抱きしめてやりたい。というか2人で泣きたい。そう思いながらも、俺は今度は落ちている生ごみを回収する作業にはいった。もう、なんというか、何回か踏んでおいたおかげか知らないが手で触るのにも生理的不快感はすこしばかり軽減されているようである。まあ、直接は絶対触りたくないから袋の端を持ち上げて捨てているだけだけど。


「うわー床が見えて嬉しいのに床じゃりじゃりしてて泣きそう」
「もうなんていうか、それは心を無にするしかないっスよ…」
「こんなこと頼っちゃってごめんね黄瀬…」
「何言ってんスか!俺は彼氏っスよ…彼女が困ってたら助けるのが男ってもんっス…」
「あたし黄瀬が困ってたらマジなんでもするから…」
「じゃあ、今っス…」
「ごめんね…」


もう、こんなときどんな顔をしたらいいのか分からないの状態である。だからって笑ったところでどうにもならないのだが。
そして夜には彼女の荷物がやってくるそうで、俺は慌てて掃除機をかけ、彼女は慌てて布団を干し、なんとか、荷物がやってくるころにはキレイな状態にすることができた俺はその場で泣きながら彼女とハイタッチをした。もう、なんていうか、そうするしかなかった。ほんと、最高難度のRPGをクリアしたあとのような爽快感だった。たぶんこれだけなにかから解放された感じを受けるのはこれっきりだろうと思う。


「さ!ばりばり荷解きしていくっスよー!」
「おー!」
「家具の配置はこれでいいんスか?」
「うん!ごめんね、なんかほんと何から何まで」
「全然家具動かすの手伝うほうが精神衛生的にも体力的にも楽だったからこれは気にしなくて大丈夫っスよ」
「もう今日の晩御飯はオニオングラタンスープ作るわあたし」
「やったー!」
「っていうかその箱何?」
「え?なんだろ、開けていい?」
「うん」


まあたぶん服だろう、と彼女は言った。だから俺も笑いながら「じゃあこれが春物だったら俺タンスの中にしまっちゃうっスね」と言った。彼女も「おねがいー」と笑った。だから俺はそれを開けて、中に手を突っ込んで、引きずり出した。
そして沈黙。
それから俺の意見はこうだ。

下着類なら下着類と、どうして段ボールに書いておいてくれなかったのか、と。


「う、うわああああああ」
「わああああああ」
「見た!?見た!?」
「見てないっス!まだ見てない!」
「ウソ!じゃあどんなのだったか言ってよ!」
「白生地のワンポイントで黒がはいったレースがいっぱいついてるやつ!」
「う、うわああああああ」


俺は悪くない、なんて主張が通じるはずもない。下着を抱えたまま真っ赤な顔をして突っ伏してしまった彼女は1時間俺と口をきいてくれなかったし、俺も黒や紫なんかのきわどい下着よりもそんな純粋そうでかわいい下着がやたらと生々しく思えてしまって彼女と目を合わせることができなかった。
ちなみに、テンパったまま彼女が作ったオニオングラタンスープはいつもよりかなりしょっぱかったが、残さず全部食べた。さすがに帰ってちょっと泣いた。

(13.0327)
黄瀬くん連載番外編、汚部屋掃除の真相はこんな感じでした!(笑)たぶん!(笑)あまり期待してくださっていたようなものにはならなかったかもしれません…!すみません…!ニアさま、素敵なリクエストありがとうございました!!(^^)これからもよろしくお願いいたします!


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