煙草やめてよ、くさいから。
そう言っては、まるで八つ当たりのようにおれに蹴りを食らわすなまえはほんとうに煙草のにおいが嫌いらしい。はじめこそ高校時代に空手でインターハイに出場した経験のあるなまえの蹴りの衝撃には意識が昇天しかけたものだが、同棲しはじめて早2年。もうすっかり「ヤニ野郎」と罵られることにも慣れてきたし、いきなり蹴り飛ばされても受身を取れるようにもなった。

この話をすると決まって近藤さんには「煙草をやめればいいだけじゃないか」と言われるが、禁煙のくるしみは理屈じゃないのだ。おれだってこの2年間、まったく煙草をやめる努力をしなかったというわけではない。だが、やはり理屈じゃないのだ。こればっかりはやってみた者にしか分からない。

そして今日も今日とて殴られるのだろう。ベランダで煙草をふかしながらそう思った。ベランダで吸っているのだから匂いなんてしないだろう?いやいや甘い甘い。おれも最初はそう思ったが、どうやらおれの服から煙草のにおいがするのも気分が悪いらしい。もうどうしようもないじゃないか。

覚悟を決めてリビングに戻る。

しかし、リビングでテレビを眺めるなまえは依然としてバラエティー番組に目を奪われたままだし、いつものように煙草のにおいに眉をひそめることもない。


「……おい」

「なあに」

「煙草吸ってきたぞ」

「知ってるよ見えてたよ。え、蹴られたいの?」

「違えよ!いや、ただ、いつもならすぐに蹴られてたからよ、もしかして今おれ煙草くさくねーってことか?」

「馬鹿言わないでよ、超くさいから。あんた今近藤さんよりひどい匂いしてるから」

「な!おまえ近藤さん馬鹿にしてんじゃねーよ!」

「とりあえず蹴られないことが物足りないって言うんなら殴ってあげるから、ここ座って?」

「遠慮しときます」


なにもなまえがすごいのは蹴りだけじゃない。おれは本気を出したとしてもなまえに殴り合いの喧嘩で勝てるような気がしない。

ずず、とお茶を啜りながらおれを見つめる切れ長の目にたじろぎながらも、なまえの隣に腰を下ろす。殴られるためではない。一緒にテレビを見るためだ。あまりバラエティー番組は見ないおれだが、なまえと付き合いはじめてたまに見るようになった。ここまでなまえの暴力的な面にしか触れてこなかったが、なまえはやさしいひとなのだ。その証拠に、それだけ忌み嫌っている煙草をやめられないおれを見捨てたりしない。おれはそんなところも含めてなまえがすきだ。あいしている。もしもこのままなまえに愛想を尽かされることなく関係が続いていったとしたら、その先に結婚があってもいいと本気で思う。

いや、むしろこいつとなら結婚「ねえトシ」…おれはなまえのほうを見た。


「なんだ」

「怒らないで聞いたほしいの」

「?」

「わたし、トシ以上に好きなひとができたの」


今までなまえに殴られたり蹴られたりしたのとは比べ物にならない衝撃がおれを襲った。今、なんて言った?おれ以上に好きなひとができた?なまえに?まるで金魚のように口をぱくぱくと開閉させることしかできないおれに、なまえは愉快そうにクスクスとわらった。いやいやいや、これは今笑うところじゃない。少なくともおれは笑われていられるほどの心の余裕はない。震える手でなまえの肩を掴み、別れないでくれとみっともなく説得すべきか、それは誰なんだと下手なドラマの主演男優のようにほえてみるか、不完全燃焼も甚だしい男前な対応をしてみるか、どうしようかと混乱する頭で必死になって考えた。


「だから、煙草はやめてね。十四郎」


そう言われて、理解した。
ああ、ああ、そういうことか!安心すると気が抜けて、なまえの肩を掴んでいた手がなまえの膝に落ちた。するとなまえは小さな手でおれの手を掴みあげて、自分の頬に寄せて照れたように笑った。その姿にたまらなく愛しさが募る。おれはこんなにも愛おしいひとと一緒に生きていけるのだ。


「ああ、約束する」


そして愛おしいひとはもう1人増える。おれより好きな人ができたなんて言うから何事かと思ったが、そりゃそうだ。おれなんかよりずっとずっと近くに寄り添っているのだから、そいつになら負けても仕方がない。

禁煙の苦しみは理屈じゃない。ああ、ほんとうだ。煙草を吸っていないやつには永劫分からない苦しみだろうよ。だが、愛ってやつもまた、理屈じゃない。わたしが言ってもやめなかったのに、ってなまえは口を尖らせるだろうが、きっと喜んではくれるだろう。

(11.0323)
ミリアさまに!
甘くなかったら申し訳ないです…!その場合は「甘くねーぞコラァ!」とメッセージを送っていただければ書き直します。(←)
よろしかったらもらってやってください!
素敵リクエストありがとうございました(^^)♪


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