あいつがおれの部屋へ遊びにきたときは、おれがあいつに手料理をふるまうのが一種の慣習と化していた。だから今日もあいつになにかを作るのだろうと思っていた。しかしなんと今日はあいつがおれに何かを作ってくれるらしい。意気揚々と両手にたくさんの食材を抱えてにっこりとほほ笑み、「あとは任せて!」とキッチンへ向かったあいつの後姿は、あきらかにおれにキッチンに来るなと物語っていた。ほんとうに自分1人だけの力で作ったものをおれに食べさせるつもりなのだろう。いや、それはほんとうにうれしい。それはそうだろう。恋人に手料理をふるまわれてうれしくない男なんてこの世にいるものか。しかし、あいつの不器用さはおれが1番よく知っている。だからこそ不安なのだ。ふつうの女なら多少指を切って「切っちゃった」ぐらいで済むかもしれないが、あいつの場合は指ごと切断してしまいかねない。それにあいつが普段から料理をしているなんて話は聞いたことがないし、おれという立ち合いのもとでしか料理を作ったこともないはずだ。しばらくはキッチンから聞こえてくる、こちらのほうが思わず顔をゆがめてしまいそうな悪戦苦闘しまくっている音を聞いていたが、あまりにも恐ろしくなってきたので、そろりとソファーから腰を上げた。
「だめ!スクアーロ来ないで!」
妙に耳のいい女である。
「そうは言ってもよお…なんかさっきから危なっかしい音しか聞こえてこねえぞお」
「大丈夫!ただ包丁使ってるだけだから」
「包丁だあ!?おまえ、あれほどおれが居ねーときは包丁使うなって言っただろうがあ!」
「あーもう!声が大きい!うるさいよ!ていうか料理するときはほとんど包丁使うでしょ!」
「だめだあ!おれが見てるときだけにしろお!」
「あー待って待って待って!ほんとうに来ないで!男子厨房入るべからず!」
「指落としてからじゃ遅えだろうがあ!」
「スクアーロはわたしをどれだけ不器用だと思ってるの!」
「おまえは自分をどんだけ過大評価してんだあ!おまえが満足にできるのは大根をすりおろすくらいじゃねえかあ!」
「大きい声で言わないでよ恥ずかしいなあ!でもわたしの大根おろし美味しいでしょ?」
「まあ、美味ぇけどよお」
「オールオッケー!わたしもそろそろ進化していくころだと思うの」
「大根おろすようになるまで3か月かかったおまえがかあ?」
「今は成長したの!とにかくびっくりさせたいから来ないでね!」
そう言うなまえに気圧されて、おれは仕方なくもう1度ソファーに腰を下ろした。しかし相変わらず聞こえてくるのは危なっかしい音ばかりで、正直気が気じゃない。何を切っているのだろうかあいつは。まるで頭上高く振り上げてまな板にたたきつけているような音に心臓が冷える。しかし血の匂いはしないあたり、どこも切ってはいないらしい。逆に不思議だ。とりあえずいつでも応急処置できるように救護箱を取り出しテーブルの上に置いておく。仮に指が飛んだとしても、応急処置を迅速に行えば、ここヴァリアーの医療施設を使えばとりあえずはくっつくだろう。
たっぷり30分間もの間、まるで拷問にかけられたような気分だった。
そしてやけに焦げ臭いことに気が付いた。なにかが焦げている。だというのにキッチンのあいつが慌てる様子はない。おれはあわててソファーから立ち上がるとキッチンまで走った。
「うおおい!焦げ臭えぞお!」
「スクアーロ…この鍋にこの段階でこのニンジンをいれたいのに、ニンジンの皮が剥けないの…」
「まず鍋の火を消せえ!」
「でもレシピにはそんなこと書いてないもん!」
「臨機応変って日本語があるだろお!そういうことだあ」
「ああなるほど…そういうこと…」
「おまえまったく理解してねえだろお」
「そんなことはないよ!とりあえず火を消せばいいんだね!うん!」
がちゃり。
とりあえずガスの火を消すことぐらいはできるらしいことを確認する。それに安堵して、なまえの手から哀れなニンジンを奪い取る。かわいそうにところどころだけ皮の剥がれたニンジンは不格好というしかなかった。おれはするするとそのニンジンの皮を剥いていくと、適当な大きさに切り鍋にさっさと入れてしまった。隣でなまえは分かりやすくしょぼくれている。
「何だあその顔はあ」
「だってびっくりさせたかったのにスクアーロやっちゃうんだもん」
「いいじゃねえかあ。いつもおれが作ってただろお」
「違うんだもん。わたし1人が作ったものをスクアーロに食べてもらって、よくやったなってほめてもらいたかっただけなんだもん」
「でもここまでは1人でできたじゃねえかあ」
「このぐらい誰にだってできるよ。きっと小学生だって1人でシチューぐらい作れるに決まってる」
フォローの仕様がなかった。たしかに小学生だって8割くらいはシチューを1人で作ることができるだろう。おれは何度か言葉を吐き出そうとしたけれど、すべて途中でやめた。なにを言ってもきっとなまえは喜ばないだろうし、ウソをつくのはおれもなまえも大嫌いだ。火をつけ鍋のふたをする。あとは煮込めば完成である。
「ほんとうはマグロのカルパッチョとか作りたかったけど、わたしには無理だったの。家で練習したんだけど、マグロとかぐちゃぐちゃになっちゃって」
「ありゃ難しいからなあ」
「でもシチューもできないのに、わたし、きっとだめだわ。スクアーロの好物も作ってあげられない彼女なんて、なんだか申し訳ない」
「1,2年すりゃシチューなんざ簡単に作れるようになってると思うぜえ」
「そうかなあ」
「練習しようぜえ。おれが教えてやる」
「うん」
「マグロのカルパッチョなんざそんないきなり飛躍しなくてもいいだろお」
「でも好きでしょう?」
「好きだが、今作れるようにならなきゃいけねえ理由はどこにもねえだろお?」
「うん」
「だから、10年後に作れるようになってたらそれでいいぜえ」
「10年たっても作れなかったら?」
「もう10年待ってやる」
「ほんとうに?」
「ああ」
「じゃあまずはシチューだね」
ぐつぐつ煮詰まっているシチューをかき混ぜながらなまえは笑った。どこかうれしそうにちいさくスキップを踏むなまえの隣で、こういうのも悪くねえと思った。2人並んで料理をする。不器用なこいつの代わりに包丁だとかあいつの苦手とするものはおれがやって、実は味つけに関してはそうとうセンスのあるなまえが味付けをして、そんな風に2人で料理をつくる。どこまでも穏やかでらしくねえが、この空間がたまらなく好きだ。
もしも10年たってもシチューしか作れるようにならなかったとしても、大丈夫だ。マグロのカルパッチョを死ぬまで作れなくたってそれでもいい。なまえが作ったものならなんだっていい。なまえならなんだっていい。そのぐらいおまえがすきだ。今はまだ言わねえが。
そうだな、プロポーズのときには言ってやってもいい。それまでは秘密だ。
(11.0425)
超苦労人なスクアーロになってしまいました…!どうでしょうか(^^)ドキドキ(^^)甘くなっていたでしょうか…?よろしければもらってやってください!