ここ数日間、全くと言っていいほど眠れていない。眠ったとしてもそれはまどろむ程度で、1時間か2時間程度だ。いつ恭弥くんが居なくなってしまうのか。そう思うとどうしてもぐっすり眠ることが出来ない。そしていつ目覚めるのかも分からない。それどころかもう目覚めないかもしれない。不安に押しつぶされそうになりながら、アルコールを煽った。部屋に転がっている空のアルミ缶。その内アルコール中毒で倒れちゃったりして。そうなったらわたしはきっと誰にも見つけてもらえないんだろうな。自嘲気味に笑うも、やはりわたしは正気だった。このぐらいの量ではアルコール中毒で倒れないことを知っていたし、危険だと判断すると手を止めた。

ああ、一層の事理性なんて全部弾け飛んで狂えてしまえたらいいのに。人間って、思いの外タフだ。

不安で不安で仕方ないのに、わたしはそれに抗えない。一層のこと何も考えられないほど壊れてしまえたらと思うけれど、やはりそこまで若くはないのだ。これだけ愛していてもわたしはやはり常人でしか居られなかった。それは良いことなのだろうか。恭弥くんはきっと「頭冷やしなよ」なんて冷たくあしらうのだろう。それでもくしゃりと頭を撫ぜて、「寂しがらせてごめんね」って謝ってくれるのだろう。ふ、と微笑が零れた。久しぶりに笑った気がする。

すると背後で何かが動いた。

何か、なんて確認しなくても分かっている。恭弥、くんだ。急いで振り返ろうとするも、恭弥くんが背後から力強く抱きとめていた為にそれは叶わなかった。それでも力強くまわされた両腕にぼろぼろと涙が零れ落ちる。相変わらず体温はないけれど、これは間違いなく恭弥くんの手だ。細いのに力強い、恭弥くんの手だ。
さらさらとした恭弥くんの髪が首筋に触れる。きっと肩に顔を埋めているのだろう。吐息がくすぐったい。


「あれ、今日はお酒を飲む日だっけ」

「ううん。何となく、お酒飲みたい気分、だったから」

「ふうん」

「そうなの」

「なまえさん、痩せた?ちゃんと食べてる?」


久しぶりに聞く恭弥くんの声があんまりにも優しくて、ろくな返事も返せなかった。嗚咽交じりに「食べてるよ」と告げてみたけれど、恭弥くんには聞こえただろうか。でもきっと聞こえたとしても、嘘だと言う事は丸分かりだったろう。


「寂しい思いさせて、ごめんね」


ああ、わたし寂しかった。ずっと1人で居たはずだった。なのに、恭弥くんが居ない日々の過ごし方がもう思い出せなかったの。ずっとずっと寂しくて泣いてばっかりで、仕事にだって行かなくちゃいけないのに、わたし、ずっと行けてない。それに全然睡眠も取れてないしご飯だって食べれてない。ああ、わたし全然駄目じゃん。恭弥くんがいないと、全然駄目じゃんか。
すると恭弥くんはわたしを抱き締める力を強めた。少し息苦しいくらいの圧迫感にどうしようもなく安心する。そして安心すると同時にゆっくりと訪れる睡魔。ああ、何だってこんな時に、眠く、なっちゃうんだろう。


「なまえさん、ちゃんとご飯食べてね。今まで僕が作ってきたもののレシピなら、キッチンの隣のラックの中に入れてあるから」

「わたしに、作れるかなあ」

「ワオ。練習すれば誰でも出来るようになるよ」

「あはは、なら、頑張るね」

「応援してる。それから、ちゃんと仕事に行きなよ。あなたは優秀な人材なんだから。部長に恩返しだってしたいんでしょ?」

「うん、うん。そうだね。わたし、ちゃんと仕事に行くね」

「あと笑って。あなたは笑顔の方が素敵だから」

「分かった」

「約束だよ」

「うん」

「それから、」

「ん?」

「なまえさん」

「なあに恭弥くん」

「…なまえさん」


恭弥くんの声は震えていた。そして少しだけ間を置いて、恭弥くんらしいしっかりとした声で告げた。


「今まで、本当に楽しかったよ」

「……わたしも、すっごく楽しかったよ。恭弥くんの作るご飯美味しかったよ、一緒にゲームしてくれてありがとう。腕相撲も楽しかったよ。いっぱい、色々、してくれて、ありがとう」

「……泣かないで」

「恭弥くん、大好きだよ」


伝えたい事はもっとたくさんあるのに、どうしてわたしはこんなことしか言えないのだろう。ぼたぼたと落ちる涙が、フローリングに小さな水溜りを作っていく。どうしたら、伝えられるだろう。わたしが伝えたい事、どれだけ恭弥くんに、伝えられるんだろう。

でも恭弥くんは全部分かっていると言ってくれた。そして冷たい指先でわたしの涙を拭ってくれた。それから、「ごめん」と小さく謝罪した。

嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だいやだ。


「さよなら、なまえさん」


瞬間、わたしを抱き締めていた腕が消えた。跡形もなく、全てが消えた。急いで後ろを振り返るけれど、そこには、何もなかった。


「恭、弥、くん…」


そこに恭弥くんが居た形跡は残っているのに、肝心の恭弥くんだけが居なかった。さらりとシーツを撫でてみても勿論そこに温かみは残っていない。その瞬間に、何かがわたしの中でぷつんと壊れた。


「あ、ああ…、あ」


視界が滲んで何が何だか分からなくなる。ぼたぼたと落ちる涙の音と時計の秒針の音だけが聞こえる。ぎゅう、と強くシーツを握り締める。居なくなってしまったのだ、恭弥くんは。ここに確かに居たのに。恭弥くんはここに確かに居てくれたのに。
わたしを抱き締めていてくれた力強い両腕はもうない。優しく「なまえさん」と名前を呼ばれることももうない。あの美味しいご飯はもう食べられない。


「でも、約束だもんね」


わたし、明日からは仕事に行くよ。ご飯もちゃんと食べる。きっと悲しいだろうけど、わたしはわたしなりに、頑張るよ。だから、今日だけだよ。今日だけ、思い切り泣かせてよ。

(11.1015)




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