この間思い出したんだけど、僕はあなたを随分前から知っていたよ。どうして思い出せなかったのか不思議なくらいだった。あなたは僕を知らなかっただろうけど、僕はあなたをずっと見ていた。半年間しかあなたは並森に居なかったけど、それでも僕はあなたを知っていたし見守っていた。そうだ、1度だけ話したことがある。あれは、あなたがあの地理の教師に準備室からダンボール2箱分ぐらいの資料を持って来てくれと頼まれたときの事だった。明らかに無理なその要求を断ればいいのに、あなたは笑顔で引き受けた。そして震える両手で一生懸命泣き言1つ言わずにそれらを運んでいた。
辛いだろうに笑顔を浮かべて、一歩一歩慎重に階段を踏みしめていくその後姿。元来ドジななまえさんが足を踏み外すのはもう目に見えていた。案の定滑り落ちそうになったなまえさんの背を支えてやると、あなたは大きな瞳で僕を見上げて「ありがとう!」と満面の笑みでお礼を言ってくれたのだ。多分あなたは「そんなの当たり前の事でしょ」なんて言うんだろうけど、あんなことは僕にとっては当たり前じゃなかった。僕にとっての当たり前は僕を見れば怯えたように道を空ける草食動物の群れだったから、あんな屈託のない笑顔を向けられた事なんて今まで1度たりともなかった。あなたは昔からそんなひとだった。太陽みたいでどこまでも素直。そんなあなたの腕から段ボールを奪い取ると、小さな身体で何とか取り返そうと試行錯誤していたけれど、無理だと悟れば諦めたように僕の隣に並んだ。


「教室どこ?」

「ま、まさか教室まで運んでくれるの!?」

「?他に何があるの」

「いやー階段の間かなって思ってて。それ意外と重たくってさ、ちょっと参ってたんだよね。助かります」


そう言ってあなたはぺこりと頭を下げた。確かに段ボールは女子生徒が1人で持つには重すぎた。後であの教師にはお灸を据えてやろうと考えながら歩いていると、あなたは照れくさそうにはにかんで、僕を見上げてきっぱりと言い切った。


「優しいんだね」

「………僕が?優しい?」

「こんなに優しい人、そうそう居ないよ。本当にいい人なんだね。なのに美形なんて、より取り見取りだよね。あ、モテるでしょ!」

「……別に」

「嘘だー」


僕が優しいだなんて、初めて言われた。暫く目をパチパチさせていると、あなたは僕の腕から段ボールを1つ奪い去った。…してやられた、完全に油断していた。しかしなまえさんは決してそれを手放すつもりはないらしく、しっかりとそれを抱え込んでいた。そして笑ったのだ。あの屈託のない笑顔で。


「半分こにしたら重くないでしょ」


別にこのぐらいどうってことないよ、そう言ってやろうかと思ったけど、やめた。せっかくの彼女の好意を無駄にするのは気が引けたから。それにこんな風に誰かと荷物を分け合うことなんて今までに経験がなかったし、それに案外と悪くなかったのだ。隣に並ぶあなたは、今まで僕が見てきたあなたそのものだった。裏表もなく活発で人がいい。


「ありがとう」


あなたはそう言って教室へと走った。両手に抱えられた2つの段ボール箱はやはり重そうだったが、さすがに教室内まで運んでいくわけには行かない。教室にはたくさんの草食動物が居る。そんなものには耐えられそうになかった。しかし不思議と廊下に人影はなく、僕を見て喚く草食動物たちは居なかったのが唯一の幸いだった。
ひらひらと手を振るあなたに手を振り返した。きっとあなたは覚えていないだろう。あなたは人気者だったし、僕とはたったこれだけ会話を交わしただけだ。それにこの数週間後、あなたはどこかの中学校へと引っ越してしまったし。ぼんやりと窓から眺めども眺めども、あなたの姿が見えないグラウンドは面白みの欠片もなかった。きっともう2度と会うこともないだろうと思っていた。けれど今どういう縁だか知らないが、一つ屋根の下で暮らしている。

ああ、きっと僕はあの日に既にあなたを好きになっていたのだ。そして今、その記憶を失くしていたにも関わらず、またあなたを好きになった。苦笑する。僕はどうやら、あなたという人間が心底大好きらしい。


もう1度、会いたい。それだけが、僕のたった1つの望みだった。

(10.1108)




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