どうしたらいいか、なんて分からなかった。でも、遅かれ早かれいつかは終わりが来る事だけは、どこかで分かっていた。



その日は雨だった。ザアザアと家の中にまで聞こえてくる雨音。なまえさんは一向に上がる気配のない雨を見て、「洗濯物が乾かせないじゃん」と口を尖らせた。そんななまえさんの隣に立ち窓の外を見上げる。あの雨雲を見る限り、少なくとも今日1日この雨が止むことはないだろう。この分だと下手をすれば明日にも降るかもしれない。
ただし部屋干しを嫌うなまえさんは、意地でも太陽が出るのを待つらしい。別に乾くなら部屋の中でも部屋の外でもいいじゃないかと言えば、なまえさんは信じられないと言いたげな驚愕の表情を見せた。


「分かってないね恭弥くん!あのお日様の匂いがする服に袖を通す瞬間がたまらないんじゃん!」

「なるほどね」

「あー早く晴れろ」


ちなみにもうベランダには何個もの照る照る坊主が吊り下げられている。そして1番右端には不器用な照る照る坊主が1つ。僕が作ったものである。その顔は彼女が作ったもののようにニッコリと微笑んではおらず、点が2つと線が1本引かれてあるだけだ。あんな無愛想な照る照る坊主を下げたら逆に雨が降るのではないか。しかしなまえさんはあの照る照る坊主を外す気はないらしい。それどころかニコニコしながら「可愛いから大丈夫だよ」ときっぱりと言い切った。どこが可愛いのかは理解に苦しむところだが、なまえさんが大丈夫と言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。

するとガチャリ、と不吉な音を立てる扉。明らかに誰かが入ってきた。なまえさんは一瞬びくりと身体を震わせたが、ゆっくりと玄関の方へと近付いていった。


「なまえさん」


声をかけるも、なまえさんは大丈夫だと視線で答えた。あの華奢な体型とは裏腹に、彼女は学生時代に空手部に所属していたということもあり、見た目程か弱い女性と言うわけではないらしい。それに物怖じしない、いい性格をしている。だからと言ってもしかしたら強盗かもしれないのに玄関へ行くのはどうかと思うが。まあ、いざとなれば実体化して助けに行けばいい話だ。少しでも危ないと思えばいつでも実体化できるようにと耳をそばだてる。
しかし玄関に向かったなまえさんは小さな声で、「どうして」と呟いた。不思議に思いそちらへ向かうと、そこにはずぶ濡れになった男が立っていた。

彼女は驚いてはいたものの、叫ぶ事もなく落ち着いた様子で目の前の男を見ていた。その様子から、恐らく知り合いなのだろう。…いや、合鍵を持っていたぐらいだ。きっとこの男が、前に言っていた彼女の元恋人なのだろう。とりあえず強盗などの類でなかったことに安堵するも、すぐに異変に気が付いた。

何故、殺気を放っている。


「なまえさん、気をつけてソイツ」

「え?」

「なまえ、」


男はガシリとなまえさんの手首を掴んだ。驚いたように見開かれた目、そして徐々になまえさんの表情が苦痛に歪んでいく。すると男はゆっくりと顔を上げた。その目は痛々しいほどの憎悪を浮かべて、ただ一心になまえさんを見据えていた。そして狂ったように次々と醜い言葉を吐き出したではないか。


「どうしてだ、どうしてオレがクビにならなきゃなんねーんだよ。どうしてプレゼンに失敗したお前が謹慎処分で、ただ、提供する動画を間違えただけのオレが、こんな目に合わなきゃいけない!」

「……痛い、離して!」

「そうさ、わざとだよ!オレはわざと、違う動画を作ったし、お前の書類を何枚か抜き取った!でもそれはお前が悪ィんだろ!お前が、オレと別れてすぐに他の男にニコニコするから!え?誰だよ、どんな男と今付き合ってんだよ。しかも他の男と付き合いだした途端に可愛くなりやがって。オレじゃ満足できなかったってのか」


なまえさんは傷ついた顔をしていた。まるで昨日のように、大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて耐えていた。口惜しいし、悲しいし、苦しいのだろう。ギリギリと強く拳を握り締める。沸々とこの男の器の小ささに腹が立った。

すると男は乱暴になまえさんの手を引いて彼女の自室へと連れ込んだ。そしてなまえさんを無理矢理ベッドに押し込むと、着ていた衣服を一気に破いた。途端弾けたように頭の中が真っ白になった。そして気が付けば、


「何してるの」


自分でも驚くほどひやりとした声が部屋に響いた。
そして素早く間合いを詰めると、驚き振り返る男の腕を掴んだ。すると初めて見る僕の姿になまえさんは驚いたように目を大きく見開き、そして男はというと無様に僕を見上げていた。それを冷ややかに見下ろしながら、骨が折れるギリギリのところまで腕を捻り挙げる。するとすぐさま響き渡る男の唸り声。構うものか、僕は尚も男の腕を捻りあげる。何なら殺してやったっていいぐらいだ、手加減などしてやるものか。瞳は冷たく凍らせたまま口端だけを吊り上げてみせると、男は情けなく震えた声で僕に問うた。


「お前、いつから、そこに…さっきまでは居なかったじゃねーか。何でいきなり、こんな」

「ワオ。僕は最初からここに居た。それよりその人から離れなよ、死にたいの?」

「…ひ、い」

「生憎僕はそれほど気が長い方じゃない」

「……!」

「選びなよ。彼女にもう2度と手を出さないとここで誓うか、それともここでこのまま殺されるか」

「ぐ、あ…折れる!折れる!」

「選べ」

「………分かった、分かった!もう2度とコイツに手出しはしないし、近寄らない!だから許してくれ…!」


ぱっと手を離してやると、男は辺りに散らばった自分の衣服を掻き集めてとんでもない速さで部屋を後にした。バタン!と盛大な音を立てて扉が閉められたことを確認すると、気が抜けたのか視界が白く光った。そしてあまりの疲労にその場に膝を着く。
いつものことだった。今までだって実体化した後には大なり小なり疲労はあった。だが、立っていられないほどの消耗など、1度たりともなかったはずだ。ぜえぜえと荒い呼吸を整えようと胸を押さえる。だが息苦しさは増すばかりだ。
痛い、苦しい、意識がぼやける。頭が割れるように痛む。
そして、直感的にとうとうこの愉快な同棲生活にも、ついに終わりが来たのだと分かった。


「恭、弥くん…?」


なまえさんが心配そうに僕を呼ぶ声がした。声がする方へ顔を上げると、なまえさんのいつになく焦った表情がそこにはあった。そしてうずくまる僕の前に立ち、何度も背をさすってくれた。先程まで自分があんな目にあっていたのに、泣くこともせず僕を労わるだなんて。なんて優しいひと。なまえさんなまえさんなまえさん。心の中では何度も彼女の名前を叫んでいるのに、どうしても声が出ない。だが、それでもどうにか手だけは動くようだった。震える手でなまえさんの頬を撫でると、床に落ちていたカーディガンをその剥き出しになっていた細い肩にかけてやった。


「怪我は、ない?」

「ないよ、大丈夫、大丈夫だけど、恭弥くんは?恭弥くんは、…大丈夫なの?」

「僕は…多分大丈夫じゃない」

「……嘘」

「なまえさん、僕達はきっともうすぐ」


お別れしなくちゃいけない。

(10.1031)




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -