避暑地
(side:M)



 目の前はどこまでも広がる緑と青の絨毯。
 横を見れば、たくさんの木々があたし達を囲むように生い茂り、マイナスイオンたっぷり。
 そして遠くに目をやれば、真っ青な空にとっても映える赤い屋根のお城のような家が、まるでこの景色の一つだと言わんばかりに静かに佇んでいる。
「さすがアヤカ。どれだけ凄いの!?」
 目の前の素晴らしい光景に、あたしは思わず声をあげてしまい、その声に自身が驚く。
 心だけに留めておこうと思っていた声が、まさかこうも簡単に出てしまうなんて、本当に恥ずかしい。
 慌ててアヤカの方を見ると、アヤカは気にしていないのか、フワッとこちらを見て笑ってくれた。
 その横ではキョウスケが、アヤカの手を優しく握りながらも、握っていない方の手で口元を隠している。
 絶対に苦笑しているんだろうな……。
 でも、その姿さえ完璧で、アヤカと並んでいると、絵になるほどだ。

「おーい、荷物はこれだけでいいんだよな!」
 あたしが居心地の悪い思いをしていると、キョウスケ達より後ろから、ジンの声が聞こえる。
 あたしはその救いのような声に即反応し、ジン達の方を見ると、ジンはケンジと一緒にたくさんの荷物を抱えながら歩いていた。
 それはもちろんあたし達の荷物だ。
 アヤカ専用の高級車でこの別荘まで来る途中、ジンが「じゃんけんで負けた奴が荷物運びしようか?」なんて、子供みたいな事を言い出したのだ。
 もちろん結果はこの通り、ジンとケンジの負け。
 キョウスケは気を遣って、「自分も持つ」と名乗り出たのに、意地っ張りなジンはそれを頑なに断ったのだ。
「……ったく、何でオレが」
「ケンジ、口を動かさずに手を動かす! それにセバスチャン見てみろよ。ありえないだろ?」
 ケンジがブツブツと文句を言っている横で、ジンがケンジに活を入れつつも右手を出し、前を指差した。
 そこには綺麗な白髪と真っ黒なスーツをビシッと着こなした、アヤカ専属の執事が悠々と歩いている。
 もちろんジン達と同じ荷物を持っているのだが、その量がハンパなく多い。
 おそらくジン達の二倍は持っているだろう。
 なのに、背筋を伸ばし、スタスタと何事もなかったかのように歩いているのだ。
「凄ーい! さすがセバスチャン!! 後ろのもやしっ子とは違うね!!」
 あたしはその光景に驚きながらも、心が高揚し、思わず拍手をしてしまった。
 セバスチャンは少しだけ口角を上げ、紳士的な笑みで微笑んでくれる。
 その目の横のしわを見て、あたし達が歩んできた年月の長さを感じ、少しだけ心がジンとした。
 セバスチャンはあたし達が小さな頃からアヤカ専属の執事として、ずっとアヤカの傍にいたのだ。
 だから、アヤカと遊べば、必ずセバスチャンも横にいた。
 何も言わず、背筋をシャンと伸ばし、困った時に手を差し伸べてくれる、温厚な人なのだ。
 ちなみに、セバスチャンは純日本人で、きちんと日本人らしい名前がある。
 でも、読書好きなジンが「この小説に出てくるセバスチャンみたい!」と、発言してから、彼はセバスチャンになってしまったのだ。
 それでもセバスチャンは何も言わず、優しく微笑んでくれている。
 あたしの中の理想のお爺ちゃんみたいな人なのだ。
「はー、着いたー!!」
 ジンが別荘のロビーに着いた途端、声と一緒に荷物をドスンッとその場に置く。
 ケンジもジンから遅れて中へと入り、無言で荷物をロビーへと乱暴に投げ入れた。
 その様子にアヤカの眉がヒクリと動いたが、セバスチャンがすぐに荷物を拾い上げ、丁寧に運んで行ったので、何も言わず、すぐにケンジから目を逸らした。
「汗かいたー! さっそく温泉でも入ろうかな?」
 少しだけぎこちない空気を変えたのは、ジンだ。
 大声で頭を掻きながらアヤカとキョウスケの方を見る。
「そうだね、すぐに温泉に案内するよ。ケンジも一緒に行かないか?」
 キョウスケは優しい笑みを浮かべ、ケンジの方に視線を移す。
 するとケンジは疲れていたのか、大きな溜息を吐くと、面倒くさそうに生返事をした。
 それを了承の意だと受け取ったジンは、ケンジの背中を押し、キョウスケはアヤカへフワッとした優しい笑みを浮かべると、クルリと向きを変え、ジンとケンジの三人でロビーを後にしてしまった。
 この場所に残されたのはあたしとアヤカの二人だけ。
「ねぇ、マイコ。少しだけ散歩しない? 綺麗な小川を見に行きましょうよ!」
「えっ!? いいのアヤカ? キョウスケいないけど……」
 アヤカのいきなりの思いつきに、あたしは驚いた。
 だって、アヤカがキョウスケと離れるなんて考えられなかったから。
 まるで一心同体とでも言わんばかりに、いつも一緒にいるキョウスケを差し置いて、あたしと散歩なんて、逆に心配になってしまう。
 アヤカは足が少しだけ悪いから、あたしが守れるか不安なのだ。
 だけど、それを見破っていたのか、アヤカはいたずらっ子のようにウインクをしてあたしの顔を覗き込むように見てくる。
「たまにはマイコと女の子同士のお話がしたいもの! それにすぐ近くだし、足元も悪くないから大丈夫よ」
「そ、そうなの? だったら……」
 アヤカにそう言われても、やっぱり不安だ。
 だけど、せっかくこんな綺麗な場所に来たんだから、ここにいるだけではつまらないという気持ちもある。
 疲れや不安もここでバッと取り払いたい。
 そして、出来るなら素敵な思い出にしたい。
「さぁ、行きましょうか」
 アヤカはその場でクルリと回ると、ロビーからゆっくりと外へ出て行く。
 綺麗な白いワンピースがフワリと舞い、それに合わせて真っ赤なリボンも嬉しそうに踊る。
 やっぱりアヤカは白い服が似合う。
 だけど、色白な彼女には赤がとっても映えて綺麗だ。
 その姿を目で追いながら、あたしもロビーから出ようとしたその時、横にあった花に目が留まった。
 いや、正確には花ではなく、それが活けてあるガラスの器だ。
 そこにはあたしの顔が綺麗に映っていた。
 いつも通りのあたしの顔。
 でも、やっぱり何処か変。
 普通の顔なのに、何処か怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。
 まるでお面を被っているようだ。
「……マイコ?」
 アヤカの声で現実へと引き戻され、思わず首を横に振る。
 頬をパチンと叩くと、アヤカの方へと向き直り、笑って見せた。
「だ、大丈夫だよ! さ、行こっか!!」
 その場から駆け出し、アヤカの横へと並ぶ。
 今、あたしはきちんと笑えているのだろうか?
 笑顔が引きつっているような気がして、気持ちが悪い。
 でも、アヤカにはそんな姿見せられない。
 同窓会の時だって心配かけたんだし、ここでも心配をかける訳にはいかないのだ。
 アヤカは眉尻を下げ、あたしを心配そうに見ているが、何も言わなかった。
 アヤカなりの気遣いだろう。
 ただ、あたしの中では言いようのない気持ち悪さがグルグルと渦巻いて、吐き気がする。
 でもそんなもの、きっと綺麗な景色を見ればすぐに消えてしまうだろう。
 自分にそう言い聞かせて、光がキラキラと遊ぶ外へとゆっくり飛び出した。
 アヤカの言う通り、小川は別荘のすぐ裏にあった。
 もちろん小川の近くにはキョウスケが話していたテニスコートもあり、これだけ広ければ、何があっても人目に付くだろう。
 小川はテニスコートと同じで、人工的に作られた場所のようだった。
 小石等ゴロゴロしているが、全て形が揃っていて、小川の上には可愛らしい橋が架かっている。
 アヤカはゆっくりと歩きながら、その橋の真ん中に来ると、突然歩みを止めた。
「ここ、綺麗でしょ?」
「えっ?」
 アヤカはあたしの方を振り向くと、微笑みながら話す。
 あたしは突然の事で驚いたが、アヤカが別荘とは反対の方向を指差し、嬉しそうにしているのを見て、その指を目で追い、慌てて遠くを見やる。
 そこにはたくさんの山々が軒を連ねるようにして雄大に、そして静かに聳え立ち、あたしを包み込んでいる。
 そこから流れてくるのはとても気持ちのいい風。
 まるで嫌な気分を一気に吹き飛ばしてくれそうな、気持ちのいい風だ。
 アヤカはその風を体中で受け止めると、「どうだった?」と言わんばかりに、可愛らしくあたしの顔を覗き込んでくる。
「そうだね、気持ちいいね」
 アヤカの視線に答えるように、あたしは自然とそう話していた。
 するとアヤカはホッとしたようにあたしの顔を覗き込むのをやめ、息を吐いた。
「よかった、笑ってくれて。何だかマイコが辛そうだったから」
「えっ?」
 アヤカがポツリと呟いた言葉に、あたしの心臓は跳ね上がった。
 ドキドキと大きな鼓動を立て、あたしの鼓膜を振るわせる。
 アヤカとあたしの間にまた風が吹く。
 とても冷たい風が。
 ジリジリと暑い夏なのに、何処か寒々しい。
「私達、友達よね?」
 アヤカはあたしの目を見て、今度はあたしにも聞こえるように話した。
 その目が、その声が、その姿がとても綺麗で、何処か冷たい。
 自分の心臓の音が、鼓膜を破るんじゃないかと思う位、ドクドクと激しく打ち立てる。
「あ、当たり前でしょ?」
 その動揺を隠して、あたしは笑って見せた。
 口元がヒクリとつっているような気分で、気持ちが悪い。
 でも、アヤカはあたしの言葉を聞いて、嬉しそうに微笑む。
「そうよね、よかった!」
 手をパチンと叩くと、綺麗な髪がスカートと一緒にフワリと揺れた。
 アヤカの笑顔を見て、あたしの緊張が一気に解ける。
 さっきのは何だったんだ……そんな事すら思うほどに。
「アヤカ、マイコ、ここにいたんだね」
 あたしが意味の分からない緊張を解いた途端、後ろから声が飛ぶ。
 その声を聞いて、アヤカは嬉しそうに声の主の方を見た。
 もちろん声の主はキョウスケだ。
 綺麗な黒髪をかき分け、困ったようにこちらを見ていた。
「ロビーにいないし、セバスチャンから部屋にいないって聞いたから、探したんだよ。遠くに行ったら危ないしね。二人で何をしていたんだい?」
 キョウスケは優しい微笑みをこちらに向け、あたし達――もとい、アヤカを見ている。
 本当に探したんだろう。
 キョウスケの首には汗が滲んでいた。
 愛されているんだな。
 そんな事をヒシヒシと感じる。
「女の子だけの秘密よ。ね、マイコ?」
 でも、そんなキョウスケの心配なんて気にもしないのか、アヤカはフフッと嬉しそうに笑うと、あたしにウインクをする。
 それを見て、あたしも急いで頷いた。
「そっか……ならいいんだ」
 キョウスケはアヤカの隣まで進むと、フウッと短く息を吐く。
 二人が並んでいる姿を見ると、本当に絵になって、その近くにいるあたしは、どう見てもこの風景には場違いにしか感じない。
「あ、あたし、そろそろ戻ろっかな? 仕事の内容で会社に連絡しないといけない事あるし!!」
 どうしてもこの場違いな所から抜け出したくて、あたしは回転しない頭をグルグル回し、必死で言い訳がましい言葉を慌てて並べ立てた。
 すると二人はキョトンとこちらを見ていたが、すぐにキョウスケは苦笑し、アヤカは悲しそうな目であたしを見る。
「それなら仕方ないね。一人で帰れるかい?」
 助け舟を出してくれたのはキョウスケだ。
 あたしのウソなんてバレバレなんだろう。
 でも、アヤカは本気で眉尻を下げたままこちらを見つめたままだ。
「休日に仕事を抱え込むなんて、本当に大変なのね、マイコ。無理はしないでね」
「あ、ありがとう! それじゃ!!」
 アヤカにウソをついたのは少し胸が痛むけど、この場所にいられないのも事実。
 あたしは二人に手を振ると、急いで別荘へと走っていった。
 心臓がドクドクと揺れる。
 普通にいつも通り動いている。
「仕事……よく休めたよなぁ。書き入れ時なのに」
 別荘の近くまで来た途端、あたしは走るのをやめ、息を整えながら歩いていた。
 会社へ連絡なんて何もないかと言われたら……まぁ、ない事はない。
 休日である今、あたしの会社はお客様を呼び込むのに忙しいのだ。
 だから、本当ならあたしが休みを取るなんて出来ない筈だった。
 でも、それができたのは、アヤカの力。
 アヤカの父の会社とあたしの働いている会社は、取引先として繋がっている。
 アヤカの父の力を持ってすれば、あたしみたいな平社員なんてどうとでも扱えるのだ。
「アヤカの力は偉大だな」
 そんな事をポツリと呟き、そのまま別荘の中へ入ろうと、扉に手をかけた。
 だが、何か聞こえる。
 ブツブツと小さくて聞こえ辛いが、確かに人の声がするのだ。
「何だろう?」
 あたしはついその声が何を話しているのか気になってしまい、扉から手を離し、別荘の壁伝いにゆっくりと歩を進める。
 音を消し、ゆっくりと。
「……から……って!」
「そ……事……だろ!!」
 少しずつ声が大きくなり、言葉が聞き取れるようになった途端、その声の主が何となく想像できた。
 絶対にジンとケンジだ。
 二人が何かを言い争いしている。
「全く……ここまで来て、何ケンカしてんだか」
 ハァッと溜息をつき、二人を止めようとその場から飛び出そうとした。
 でも次の瞬間、あたしの足はその場に張り付いたように動く事を忘れてしまった。
「なぁ、頼むよ! 今月の返済期間過ぎてんだよ!! 作家先生だろ? 少し位融通してくれよ!!」
「あのな、俺はキョウスケやアヤカに言われているように、売れない作家なんだよ!! そんな金持ってない!!」
 ケンジの懇願しているような声と、ジンの荒立った声が辺りに大きく響く。
 あたしはその声に、そしてその内容に驚いて、動けなくなってしまったのだ。
 幸い、二人からはあたしの姿は見えない。
 ホッとし、思わず安堵の息をもらしたが、それが聞こえるんじゃないかと感じ、慌てて両手で口を塞いだ。
「催促の電話がかかって来るんだよ! 何とかしてくれよ、友達だろ!!」
 ケンジの声が響く。
 その言葉であたしはハッと思い出した。
 同窓会での電話――あれは、誰かからお金を催促されたものだったんだ。
 ジンが作家と聞いて、話に加わったのも、お金を融通してもらう為だったんだ。
 それが分かった途端、無性にイライラが募り、思わずその場で地面をドンッと力任せに踏んでしまった。
 すると運が良いのか悪いのか、その場に落ちていた枝を踏んづけてしまい、パキッと乾いた音が辺りに響く。
「な、何だ?」
 その音に気付いたのか、ケンジが動揺したような声を上げる。
 あたしはケンジの言葉にドキッとし、思わず心臓辺りの服をギュッと握る。
「と、とにかく考えてくれよ! じゃあな!!」
 ケンジは早口でそう言うと、その場から逃げるかのように走り去っていった。
 幸いあたしとは反対の方向へ走っていったらしく、あたしの姿を見られる事はなかったが、その代わりにバレなかった事にホッとして、その場から崩れるように座り込んでしまった。
 足に力が入らない。
「こら、盗み聞きはよくないだろ」
「……!!」
 安心したのもつかの間、あたしの頭にコツンと拳が優しく振り落とされる。
「ジンか……びっくりした」
 頭を軽く叩いたのはジンだった。
 呆れたようにこちらを見ながら、溜息をついている。
 だが、その表情は何処か疲れも見え、辛そうだ。
 座り込んでいるあたしの腕を引っ張り上げ、立たせてくれようとしてくれるが、あたしの中ではグルグルと渦巻いた灰色の感情がフツフツと沸き起こってくる。
「ねぇ、もしかしてケンジにお金渡しているの?」
 聞いてはいけない質問だ。
 でも、聞きたくてたまらない。
 だって、そんなのおかしいから。
 友達だからってお金をもらおうだなんておかしいから。
 ジンはあたしの質問を聞いて目を丸くしたが、すぐに優しく微笑んだ。
「マイコが気にする事じゃないから。そんな事より部屋に戻ろうぜ」
 そう言ってあたしから手を放すと、何事もなかったかのように扉へと歩いて行く。
 のん気に鼻歌なんて歌いながら。
「ちょっと……待ってよ!」
 あたしはそんなジンの後ろを追いかけた。
 やっぱり聞いてはいけない質問だった。
 後悔が胸を押しつぶし、謝る機会すら逃し、ただジンの後ろをついていくしかなかった。
 誰だって聞かれたくない事はある。
 ジンだって、キョウスケだって、アヤカだって、ケンジだって……そして、あたしだって。



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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